第14話 【七海凪沙のターン】1st
高校に進学したばかりだけれど、この三年間も味気ない毎日になるのだろうな、と私――七海凪沙は考えていた。
私の家は飲食店を経営していて、親は「学校のことを優先しなさい」と言ってくれてはいるけど、私が店を手伝うことを止めはしない。
もちろん私が望んで店を手伝っていることを知っているのが前提だ。ただ、やはりその上で圧縮される人件費などの経費を考えると、そう簡単には止められないほどの貢献値が積み重ねられていた。昨今の原料や設備費の高騰も他人事ではない。
そうして家のことを優先する私は学校で孤立こそしていないが、特に仲の良い友だちもおらず、ただ勉強をするために中学校へ通う日々を過ごしていた。
それが学生として正しい姿なのだろうけれど。
私は進むべき道を早々に決めてしまった人間だ。
美味しい料理を振る舞うパパの背中を見て育った人間が、同様の姿を夢見ることもまた止められない。
パパの後を継ぎ、洋食店『Seven Seas』のシェフになる。
そう目標を定めてから、より重心を学校生活から夢の方へ移してしまった。
私としては夢に向かって寄り道せず邁進するだけだと選んだ方向だったが、両親からすると正しい方向に向かっているようには見えなかったらしい。
進学する高校を選ぶにあたって、私は料理を学ぶのではなく大学への進学を想定していた。
料理の技術はパパに教えてもらえるし、例えば候補の一つである豊作大学で学べる素材の知識は料理に活かせると考えたのだ。パパは料理人としての素材は知っているが、農家や学者といった植物や生き物の専門家からはまた違った知識が得られるはずだ。
だから申し訳ないが、大学まで行かせてほしい。
家族会議の場でそう言った私に、パパは尋ねた。
「凪沙、お前、友達とか……か、彼氏はいないのか?」
「彼氏はいないけど、友達くらいはいるよ?」
学校ではちゃんと話す相手ぐらいいる。
「でもお前、ここ二、三年、友達を家に連れてきたことないだろ」
「みんな部活してるしね。それに連れてきたって、私が手伝いしてるところ見て楽しいかな?」
「そうじゃなくてだな……」
「凪沙、あなた好きな男の子とかいないの?」
「そういうのはいいかな。私、今は料理を上手くなりたい」
ママの質問にそう返すと、一層二人の顔が曇った。
「学校は楽しい?」
「ママ、学校は勉強しに行くところだってば」
「そうだけど、そうじゃないでしょ」
「もう、さっきから何が言いたいの?」
いつもはハッキリと話す二人が、その日に限っては舌の上で言葉をごにょごにょと練っているだけ。
焦らされると、私にとって不都合なことを言いかねているのかもしれないと不安が湧く。実は店を継ぐのに反対しているとか。
パパが「ふう……」と我慢していた息を溢し、
「あのな凪沙。お前が店を手伝ってくれるのはすごい助かってる。お前が店を継いでくれるというのも、パパたちはすごく嬉しいし、楽しみにしてる。凪沙の目標は応援する」
「うん、ありがと。それなら今まで通りがんばって、大学を目指す、で進路はいいかな」
「ダメだ」
「…………えっ?」
その返答に私は耳を疑った。
否を返される要素が思い浮かばなかった。
「なんで? 大学の費用の問題? それなら高校だけなんとかしてもらえれば、あとは奨学金とか借りるから……」
「金の問題じゃない。凪沙の人生計画には致命的な欠陥があるってことだ。それを修復しないと、許可は出せないな」
致命的な、欠陥?
どこに?
「ママも賛成はできないわ。凪沙の失うものが多すぎるから」
「失うって……何言ってるの? 全然分かんない、どういうこと?」
「これはママたちも悪かったんだけど。でも、まだ間に合うから」
「凪沙が店にこもりっきりになるよりも、もっと重要なことがあるんだよ、世の中には」
「言葉で伝えても、凪沙には理解できないと思う。でも十年後、二十年後に後悔するかもしれないし、しないかもしれない。そういう不確定だけど大事な分岐路に凪沙は立っていて、その道を通ってきたママたちからすると、それは凪沙に必要なものだと思うの」
どんな答えを求めているのか、理解できない。
何を言っているんだろう。
私は料理をするのが好きで、将来的にそれを仕事にしたくて、それに沿った進路を目指す。パパとママはそれを応援してくれるって言ったのに。
私を説得する両親が、得体の知れない影に見えた。
鋭く首を振ると影は振りほどけて、私のパパとママが現れる。
「……結局、私はどうしたらいいの?」
「進学先は凪沙の狙っているところで良い。ただしパパとママから課題を出す」
「課題?」
パパは重々しく頷いた。
「凪沙が自分の料理を食べさせたいと思う人を連れてくること。男でも女の子でも、相手に条件は定めない。凪沙が連れてくるまで、凪沙を店のキッチンには立たせないことにする」
「な……っ」
反射的に文句が飛び出しそうな口を、私は手で物理的に閉じた。
沸き立つ肺から生まれた泡が全て胃の中を通ってから、ようやく手を降ろして口を開く。
「……それをしたら、私に得るものがあるってこと?」
「凪沙次第で得られるかもしれないし、無駄になるかもしれない。でも、やらなかったらゼロだし、パパたちは最初からゼロになる道を進んでほしくない」
「…………分かった。ううん、分かってないけど、分かった」
了解したら、あからさまに安堵している二人を前に断れるわけがない。
私だって二人が喜ぶ姿を見たいのは確かだ。その大事な二人が揃って「私に必要」だと言っている。
それが何なのかは全く理解できないが、与えられた課題に挑戦することでしか私が思う本道へは進めないのだ。
パパが言った。
「凪沙がどんな人を連れてくるのか、また楽しみが増えたな。一人と言わず、五人でも十人でもいいからな。できれば女の子友達だとパパは安心なんだが」
「あなた……」
こうして、私は不可解な課題を携えて、入学式を迎えることになった。
入試結果が出てから学校が始まるまでに、課題をクリアするために必要だと思われることを推察していた。
まずは大前提として、私以外の第三者が必須である。
私の料理を食べてくれる誰か。
私が料理を食べさせたいと想う誰か。
腕前を評価してくれるのであれば誰であっても食べてもらって構わないとは思っているが、そういうことではないのだとはさすがの私も理解している。
利害関係で繋がった相手だとNGではないか、そんな所感があった。利害のない感傷がプラスに繋がるのかは果たして不明だが、ともかく誰でもいいから相手が要るのは確実だ。
ゆえに高校生活でやるべきは社交だ。
クラス、部活、委員会。手段や関係を問わず、母数を増やす活動をする。
母数を増やしていけば、自ずとそういう相手も一人くらいは見つかるのではないだろうか。
幸いにも私の外面は悪くない。
中学では優等生で通っていたし、そこに社交的な要素を足してやればよい。簡単だ。
童謡の如く友達百人作ってやろうではないか。
入学式の間、退屈なおじさんの話を聞き流しながら、一年生の人相を見て脳内リストにチェックを入れる。勝手な話だが、清潔感の無い人はお断りだ。あとは姿勢の悪い人を弾いていく。私はキッチンで真っ直ぐ立つ人が好きなので。
私の苗字の関係上、半分ぐらいの私より早い順番の人はほとんど後ろ姿しか見えないが、それはおいおいでいいだろう。
強いて言えば前に座っている男子はかなり姿勢が良いのでポイントが高い。鉄の芯が背骨に刺さっているように、寝ている人もいるおじさんの話を微動だにせず聞いている。
式を終えるまで、その男子の姿勢は揺らぐことがなかった。私的には感心を通り越して尊敬までいける。
前に座っていたということはクラスが同じ、席順も近くになるはずだ。何らかの話題を作って話しかけてみようと思った。
話題は式を終えて退出する時に向こうからやってきた。
保護者席の最前列に膝立ちでカメラを構える女性がおり、そのレンズが明らかに前席の彼を追っているのだ。
私の両親は、どうしても断れない予約が入ってしまい、残念ながら入学式には来られない。コレをきっかけに一人目のお友達を作っていこうではないか。
私は深呼吸をして、前を歩く男子の肩をそっと叩いた。
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