第8話 三択は見抜けない

 学校に着くと加地はオレを置いて部室へと走って行ってしまった。

 オレはそれを見送って、昇降口には向かわない。

 課題でも出ていれば教室で進めたんだが、まだ授業すら受けてないからな。校内の施設も把握していないし、とりあえず散歩でもしてみることにした。


 豊大附属には校門が二つあって、最近リニューアルしたハイテクな新門と、古めかしい重厚感のある高さ三メートルにも届こうかという旧門だ。両方とも正門と呼ぶにふさわしいものがある。

 新門は道路を挟んで隣の敷地にある豊作大学側にあって、旧門はその全く逆側にある。

 最寄り駅はいくつかあって、それぞれ近い方を使うようになっている。


 オレは旧門の方から通学するのだが、旧門側から入ると庭園というか森が広がっている。ちょっとした池や川が流れ、大きな岩が脈絡もなく設置されていたりする。ビオトープってやつだろう。

 塀の外は普通に住宅街が広がっているので、ここだけ生態系が違うみたいだ。


 オレはビオトープの中に設置された飛び石を渡って、森の奥へと向かった。


 限られた敷地なのでさほど奥行きのない森だったが、早朝ということもあってか空気が美味い。春先の穏やかな陽気を吸い上げて、爽やかさをプラスしてくれている。これがフィトンチッドか。

 深呼吸して奥まで進むと、ちょっとした広場になっていた。ちょうど空を覆う木々の隙間から朝日が差している。


 表の道から目立たないところにベンチが置いてあるのも良い。

 座り心地を試すべく、オレはさっと汚れを払って、ベンチにゆっくりと腰かけた。

 木製の横長ベンチは少しひんやりと冷たい気もするが、しっかりとした反発があってまだまだ現役であることを教えてくれる。

 座るとちょうど差している柔らかな朝日が頭から降り注ぎ、最高に気持ちが良かった。

 オレが葉緑素を持っていたら光合成が始まっていたであろう。


 ぼんやり日光浴を楽しんでいると、どこか遠くから鐘の音が聞こえてきた。天上から届けられたように荘厳な音色。時間を忘れるほど素晴らしい体験だ。

 そんなオレのゴキゲンを乱す電子音が響く。セリーン!


 『遙くん、今日は休み? 風邪でもひいたの?』


 七海さんからのチャットだった。


 無言でスマホの時計を確認する。

 うん、始業の時間を過ぎている。


 オレは慌てて教室へ走った。本当に時間を忘れるバカがどこにいんだよ!


 階段を三段飛ばしで駆け抜け、教室の前まで来てから気付いたが、どうせ遅刻になるなら走る必要なかったのでは?


 もう遅刻かと思うと、さっきまで感じていた焦りが急に霧散した。あっちぃな。お茶でも買ってくるか。

 校内の自動販売機で凍頂烏龍茶を選んで、水分補給しながら教室に戻る。


 朝のホームルームを中断させるのも悪いかなあ、と教室の前でだらだら凍頂烏龍茶を飲んでいると、まだチャイムも鳴っていないのに突然扉が開いた。


 担任の先生だ。


「お前、さっきから何してんだ……」

「遅刻になっちゃったんで、途中で入るのも迷惑かなあと思ってお茶してました」


 先生はちょっと理解できないものを見る目をした。


「そういう時はすいませんでしたって謝って、さっさと入ってきていいから。ええっと、悪いが名前なんだっけ?」

「七星です」

「そうか、七星。まだ高校生活も始まったばっかだし、今日は大目に見る。今度から気を付けろよ。ほら、さっさと席につけ」

「分かりました、ありがとうございます」


 先生の後ろに付いて、教室に侵入する。ちょっとしたざわつきをくっつけて、オレは席に向かった。

 比良さんと目が合ったけど、つい瞬きでごまかしてしまった。

 カバンを机の脇に引っ掛けていると、七海さんがこっそりと囁いてくる。


「おはよ。何かあったの?」

「おはよう。学校にはいたんだけど、日光浴してたら時間過ぎてた」

「すごい理由だね……」


 そうかな? そうかもしれん。アホすぎる。

 先生が注目を集めるべく、柏手を打った。


「はーい、静かにしろー。改めて連絡事項を挙げておくからな。

 今週はまだ授業はないが、明日実力テストをやるからな。中学校の範囲だからしっかり復習しておけよ。ええい、ブーイングはやめろ! 俺も採点大変だからやりたかないわ!

 それから今日の午前中は係や委員会など、決めるものを決める。午後は部活動紹介で体育館に移動だ。どっちも希望があれば早いうちに決めておけよー。

 それとな、昨日質問あったが、アルバイトについての話だ。これは担任の判子と、生徒指導の先生にも判子をもらう必要がある。希望があれば書類を渡すから、それを埋めてまずは先生のところに持ってくるように。

 とりあえずは以上だ。不明点があれば確認しにくるように。先生は職員室にいるからな」


 先生がそう言うと、ピッタリ次のチャイムが鳴った。

 出席簿を持って出ていき、扉を開け閉めしてから再び入ってきた。


「次のホームルームもな、俺の担当だよ……!」

「せんせー、ボケてるー?」

「うるせえ、席につけ!」

「みんな座ったままだって!」


 目立ちたがりの男子が声を上げ、そこから笑いが広がる。

 中学の時より、良い先生なのかもしれないな。



 今日のホームルームで決めるのは主に三つ。


 教室の係と委員会活動、そしてグループワークのメンバーだ。

 まず先生は教室内の取りまとめをする学級委員を選出した。何を基準にするのかと思えば、入試の成績が良かった人を順番に指して拒否しなかった二人に決まった。このクラスで一番勉強の出来る二人の男子が学級委員長と副学級委員だ。

 点数が必要な要素だとは思えないが、他に選ぶ手段も特にないのか。学級委員ぽい顔とかで選ばれるよりマシだな。


 そこから先生はプリントを委員長に手渡し、部屋の隅で腕組みをし始めた。後方彼氏面だ。

 委員長はプリントを見ながら副委員と軽く打ち合わせをして、教壇に立った。眼鏡が光る。


「えー、学級委員長になった佐藤です。副委員長の須藤くんとがんばっていくのでよろしくお願いします」

「須藤です、よろしくお願いします」


 おざなりに拍手が飛んだ。


「まず説明すると、係か委員会のどちらかには必ず所属することになります。主に係はクラスに関わること、委員会は学校全体に関わることを担当するそうです。須藤くんが今、黒板に書いてくれているんですが、それぞれ人数が決まっているので気を付けてください」

「クラスの人数に対して役割が足りなくねえ?」


 声の大きなお調子者から質問が出される。確かに、と委員長は頷いてプリントを改めて確認した。


「これかな? いずれの係・委員会にも所属していない生徒は、自動的に雑用要員に数えられるそうです」

「そこは先生から説明するが、雑用要員はマジで雑用要員だ。係や委員会を問わず、仕事の手伝いを要求される。過去の例を挙げると、美化委員が主導する美化強化月間で人員が足りないからって最終日の大掃除に軒並み狩り出されたり、文化委員には行事の度に荷物移動の要員に設定されるぞ」


 クラス全員の心が一つになった。

 雑用要員だけにはなりたくない。


「それじゃ、少し考えてもらって……五分くらい時間取るから、やりたいヤツの下に名前書いてください。人数がオーバーしたら、じゃんけんしてもらおう」


 オレは早速思案の海へ潜る。


 係はクラスのことだけに日々の細々としたことが多いけど、大きな時間を取られることが少ないと思われる。

 委員会は学校全体の話になるので主語が大きくなりがち。放課後にまとまった時間の会議などが入れられそうだ。


 オレは思案の海から浮上し、答えを出した。

 保健委員、あるいは図書委員がベスト。


 放課後まで引っ張られることのなさそうな係は部活に入る連中が殺到するはずだ。競争率が高すぎる。

 であれば多少妥協して、拘束時間を予測しやすい委員を選ぶべき。


 図書委員。これがベスト。


 しかしオレには『メタモルフォーゼ』がある。『メタモルフォーゼ』は人体操作の極致だ。それに習熟したオレは人体に最も詳しい人間と言っても過言ではない。それを最も活かせるのは保健委員に違いない。

 目立つ拘束時間も考えられなかったので、これもベスト。


 どちらを選ぶか。


 保険委員は仕事の不透明性から拘束時間なしと判断して他の人にも選ばれる可能性が高い。オレもそう思ったし。

 図書委員の方が競争率は低い。

 コレで決まりだ。


 オレは委員長の合図を待たず、席を立った。


「まだ時間あるけど?」

「もう決まったから。さっさと書いた方が時間短縮できていいじゃん」

「それもそうなんだけど。じゃあ、時間来てないけど決まった人は前に出て書いてください」


 図書委員の項目にオレの名を書き入れてフィニッシュ。

 先にオレの名前を入れることで、後から来るやつに人数超過のプレッシャーを与える戦術だ。完璧だ。


「遙くん、図書委員にするんだ。本、好きなの?」

「図書委員は拘束時間の予測が立てやすいから。ま、読書もするよ。七海さんはどうするの」

「うーん、家の手伝いとかもあるから、掲示の係とかにしようかな……。ねえ、奏ちゃんはもう決めた?」

「えっ?」


 唐突に振られたパスに比良さんは反応できなかった。

 比良さんがオレに向けていた視線を七海さんへと向ける。


「あー、うん……。狙ってたやつにはるかが行っちゃったからどうしよっかな、って」

「図書委員? 人気あるんだねえ」

「一番楽そうだからだよ。はるかもそれで選んだんでしょ」

「失敬な。代わりにそこそこの拘束時間がありそうだろ」


 再び向けられる視線に捕まらないよう、オレは視線を彷徨わせた。

 一度避けてしまってから、なんだか合わせづらくて、つい。


「二人も早いとこ書いておかないと、人数オーバーしてるところは選びにくくなるぞ」

「言われてみれば……。とにかく空いてる係のところに名前書いてこよう」

「あたしも空いてるところでいーかー」


 七海さんと比良さんが黒板に向かう。


 だんだんと問い詰めるような性質に変わりつつあった比良さんの視線から逃れられて、オレはホッと息を吐いた。

 ちゃんと会話してるだけでもオレは相当がんばってると思うんだけどダメ?


 すでに疲れた気分で黒板を見ると、見事掲示係に内定した七海さん、そして図書委員には比良さんの名前とあと色んな人の名前が書いてあった。おかしいぞ。オレの完璧な作戦が破綻している。

 その後『メタモルフォーゼ』で培った肉体知識を武器に挑んだじゃんけん大会は激戦の末に惨敗し、オレは雑用要員になった。比良さんは図書委員になっていた。


 おかしいじゃん!

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