第37話 対決 その二
峠を越えると、はるか遠くに青黒い瀬戸内海がみえる。手前に城下から港へつづく町並みがぼんやりとみえ、長い坂道に飽きてきていた三郎たちは、目標ができて、元気が出た。汗ばんだ身体に鞭うって、歩を進めた。
くだっていくと、不規則に曲がりくねった道の曲がりの部分に鬱蒼とした林があった。
前後を雑木林にはさまれ、曲がり終えるまでは、街道をゆく人からはみえないところで、道の真ん中に、誰かが立っていた。
三郎は、はっとした。
見覚えのある人物だった。四人いた追跡者の、つかまっていない最後の男だった。
三郎は、この男に木刀を打ち込み、すれちがったので、よく覚えている。ひと月も現れなかったので、
猪之助が、腰の短刀に手を伸ばした。数歩、三郎の前に出て、前に立ちふさがる男に、大声で呼びかけた。
「何者だ? 何の用事か?」
男は、豪快に笑った。
「盗人のたぐいでないことは、わかっておろう……」
男は、右手に杖を持っていたが、まったく地面にそれをついていない。男の仲間が持っていた仕込み杖と同様のものだろう。
男は杖の柄を持ち、無造作に刀を抜きはなった。
男の顔は、すでに行商人のフリをしていた頃のにこやかな顔ではなかった。血走った眼がらんらんと輝き、三郎と猪之助をにらみつけている。
三郎は、前に踏み出しかけて止まった。息がつまった。足が容易に動かない。
男の顔がさらに、浅黒い肌の眉毛の太い、いかつい険しい顔に変わった。気のせいではなく、ひとまわり身体が大きくなった。抜き放った刀には、青白く眩ゆい光がまとわりついている。光は少しづつ伸び、短かった仕込み刀が、短槍に近いくらいの長さになった。
三郎は、つばを飲み込んだ。味わったことのないすさまじい気が、うねる波となって三郎と猪之助に襲いかかってくる。剣気、いや、これこそ、鬼気としかいいようのないものだった。
と、三郎のなかで、何かが動めいた。三郎の魂の内側、さらにその奥底から、ゆっくりと何かが起きあがった。そのものは、三郎のなかで、大きく広がった。身体全体に広がり、四肢の隅々まで溶け込んでゆく。
三郎は、大きく息を吸って、ゆっくり息を吐いた。全身がかっと熱くなり、力がみなぎってきた。
相対する男に、気合を込めて問いかけた。
「われは、伊田三郎! 鬼気をまとう者よ! 名のることもできぬのか?」
「われは源氏が頭領、源の義家なり――」
男は抜き身の刀を、猪之助にも三郎にも届かぬはずの、間合いで振った。
三郎は、とっさに腰に差していた木刀を抜き、長く伸びた青白く輝く刀を防ごうとした。
激しい衝撃が腕と肩から伝わり、木刀が真ん中から折れ、はじけ飛んだ。かがみこみ、必死で仰向けに反った身体を、もとに戻す。
猪之助が、あっと短い声をあげ、地面に転がった。手にあった短刀がなくなっている。道の端まで転がり、かろうじて林にはいる手前で止まった。林のなかは、急な下り坂になっている。なかまではじかれたら、下まで転がり落ち、けがを負っていたかもしれない。
男は、猪之助のことは気にせず、三郎に打ちかかった。丸太のようにふくらんだ青白い光の剣を振りおろした。
三郎は、内側から未知の力が湧き上がるのを感じた。折れた木刀から灰色の光の剣が伸び、男の剣を弾き返した。さらに踏み込み、男の手首に切りつけた。男の手から、仕込み刀が落ちた。
三郎は、さらに切り込む。
が、男はにやりと笑い、一歩横によけ、三郎の側頭部にひじ打ちをしかけた。
三郎は一瞬の判断で、首をまわし、額でそれを受けた。後ろに跳ね飛ばされながら、片手で男の腕をつかんだ。折れた木刀を捨て、背負いで相手を投げた。
男は、驚いた顔をしたが、空中で身体をひねり、横向きで落ちた。
三郎は、落ちた男に突進した。
と、男は、横向きの姿勢から、地面を蹴りつけ、三郎にとびかかった。男の頭が、三郎の胸に激しく当たった。三郎は、男の脇に手を突っ込み、投げようとしたが、男も三郎の両腕を抱え込んだ。
三郎と男は、がっちりと組み合うことになった。男は、獣のような声でうなり、三郎を締めあげた。
三郎は、息を吐きながら、締めあげられた両腕に力をこめた。後退して勢いをつけると、後ろに倒れながら、男を持ち上げ、さらに放り投げた。
男は頭から落ち、三郎の腕を放した。三郎も投げを打った際、後頭部を地面にぶつけ、すぐさま立ち上がったが、ふらついた。
男もふらつきながら立ち上がり、打ちかかる三郎のこぶしを、両手で止めた。が、衝撃までは受けきれず、跳ねとばされ、地面を転がった。
三郎の両手の間に、灰色に鈍く光る長い刀が現れた。
転がった男も闘志を失わず、片手を地面につき、片手に青白く輝く刀を出現させ、三郎に向かって立ち上がった。
三郎は、激しく踏み出し、神速で刀を振り下ろした。男が片手でかまえた刀をはじき、肩からななめに切り下げた。
切り口から、白い霧のような気があふれでた。男は、そのまま前に倒れた。身体が小さくなり、苦しい乱れた息が、三郎まで聞こえてくる。三郎の内部から、自分のものではない声がでた。
「八幡太郎殿。いまの世も、源氏の裔(すえ)を名乗る者が治めておる。安堵されよ――」
男は、顔を伏せたまま、かすかにうなずいたようにみえた。
三郎の内部から、湧き上がった力が、潮が引くように抜けていった。三郎のなかに存在していた何かが、徐々に薄れ、消えていく。
三郎は、消えてゆく何か――何者かに呼びかけた。
――あなたは、誰だ?
――イトウ、ヤゴロウ……
かすかな声が、その何者かが消えたあとに残った。
猪之助が、ようやく起き上がって、声をかけた。まだ、血の気のひいた顔をしている。
「かたじけない。また、助けられました」
三郎は、我に返った。
ふと、下をみると、祖母から預けられた男びなの人形が落ちている。首をひねりながら、人形を手ぬぐいにつつみ、懐にしまった。
猪之助に肩を貸しながら、街道をくだっていった。
伊予の城下が近づくと、土と草のにおいが薄れ、荷物を運搬する浅い河の、水と泥のにおいが漂ってくる。
伊予の港までは、まだ、しばらくかかる。休み休み、ゆっくりと行こう。
旅立ちは、長い時間がかかるものなのだ。
〈了〉
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