第36話 旅立ち
旅立ちの朝、小夜と祖母が、猪之助の隠れている炭焼き小屋まで、見送りに来た。
猪之助の出立支度は、とうに終わっており、小屋の前で、待ち受けていたようだった。
「忘れ物はないか?」
祖母が尋ねる。
「全部、持ちました。旅の糧食までいただいてしまって。本当に、ありがとうございました。……この御恩は、わすれません」
小夜は、身体は本当に大丈夫なのか、何度も聞いた。
「小夜殿にも、お世話になりました。もう大丈夫です。以前より元気なくらいです」
そばに、たたずんでいた三郎も、小夜に、声をかける。
「伊予まで送っていくから、心配ない。途中で体調が悪くなるようだったら、引き返すから……」
小夜は、泣きそうな顔で、まだ何かいいたそうだった。
「さあ、行こう――」
いつまでも、小夜の相手をしていては、出発できない。暑くらないうちに、峠を越えてしまいたい。
猪之助は、何度も何度も、祖母と小夜に頭を下げていた。
三郎も、小夜の頭に軽くポンポンと触れたあと、
「では、行ってまいります」
祖母に頭を下げ、街道の方を向いた。
「行ってまいります」
猪之助も、もう一度頭を下げ、小走りで、歩き出した三郎に追いつき、並んだ。
三郎は、一度振りかえった。
小夜は、まだ見送りの手を振っていた。
じっとこちらをみている杖をついた祖母が、背を丸めているわけでもないのに、ひとまわり小さくみえた。
隣を歩く猪之助をみると、口を真一文字にむすび、歯を食いしばっている。眼をみると、今にも涙があふれそうだ。
背中をポンと叩くと、
「見ず知らずの者に、情けをかけてくれた方との別れは、こたえます」
猪之助は、そういって、ついに涙をこぼしてしまい、何度も袖で涙をぬぐった。
三郎と猪之助は、そのあと、しばらく無言で歩き続けた。
昼時までには、峠を越えられそうだった。
千代ばあさんは、二人の背中がみえなくなっても、手を振り続けていた小夜に、
「三郎は、帰ってこんかもしれん……」
と、ポツリといった。
「そう、かもしれません」
小夜は、落ち着いた声で答えた。
「帰ってこないなら、こちらから行けばよいのです」
いまでも、うちを離れて遠くに、それも藩の外に出るほど遠くに離れることへの怖さはある。でも、兄上を追ってだったら、どこへでも行ける。
千代ばあさんは、小夜のなかに、力強い何かが、生きることへの意志のようなものが育ってきていることに気づいて、顔をほころばせた。
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