第34話 対決 その一
「誰か、近づいてきておるようじゃ」
千代ばあさんが、ふいに声をあげた。
猪之助と話し続けていた小夜が振り向いた。
「兄上が、あとから来るっていってた」
「いや、三、四人、おるようじゃ」
千代ばあさんは、木刀替わりの杖をとりあげ立ちあがった。
「心当たりは、あるかの?」
猪之助は強く首を振り、立ちあがった。
「ここに、いてください」
ふたりに迷惑をかけたくないのか、外に出ようと、小夜を手で制し、千代ばあさんの横を通り抜けようとした。
と、千代ばあさんが、猪之助の肩を押さえた。肩に置かれた手を、猪之助は振り払おうともがいた。
が、びくともしない。千代ばあさんの手が重しとなって、猪之助の身体を押さえていた。老人の手とは思えない強さだった。
「行かせてください! ここで斬り合いになったら、おふたりがあぶない」
「わしに、まかせてもらえんか?」
千代ばあさんは、鋭い眼で、猪之助をみている。
小夜も、猪之助の腕をとって、祖母に加勢した。
「おばあさまは、大丈夫だから。その怪我じゃ無理だから!」
「お主が出れば、切られるだけじゃ。他藩の、それも武家の者がいれば、無茶はできまい」
猪之助は、ふらつき膝をついた。やはり、無理をしていたようで、くそっという小さな声を漏らし、千代ばあさんと小夜に頭をさげた。
「情けないが、お頼み申します。追手は、何人も切り殺している手練れです。くれぐれも気をつけてください」
千代ばあさんは、うなずくと、焚き木のあいだを抜け、橋のたもとに出た。
「誰か、おるのか? 隠れておらんで出てこんか!」
大声で呼びかけた。
「四人、いるようじゃの。
木々の奥でガサゴソと音がした。白い巡礼装束をまとい、笠をかぶった老人と、その後ろに付き従う家来らしき男がふたり、姿を現した。
「まだ一人、いるじゃろ?」
千代ばあさんは、鋭い目で、林の奥をにらみつけた。
また、ガサゴソと音がして、先の三人とは、離れた、右手の方の木の陰から、行商人の男が現れた。
白装束の老人が、口を開いた。
「奥にいる者を、こちらに渡せ」
「渡せぬな」
千代ばあさんは、まったく動じた様子がなかった。刀替わりの杖を軽く握り、膝を少し曲げ、右足をわずかに前へ踏み出した姿勢を保っている。
「渡さなければ、命をなくすぞ」
老人も、持っていた杖を左腰にかまえ、杖の先に手をそえた。
ふむ。居合か。
千代ばあさんは、ひとりごちた。
老人の杖が仕込み杖なのは、間違いなさそうだった。後ろのふたりも、腰の短刀に手をかけている。
老人の初撃をふせいでも、後ろのふたりがすぐさま、斬りかかってくることが推察できた。
老人たちが、じりじりと間をつめてくる。
千代ばあさんは少しさがって、橋の欄干に身を寄せた。千代ばあさんの着物が欄干に触れた瞬間、後ろの二人が動いた。
老人を追い越し、短刀を抜き、千代ばあさんに飛びかかった。が、千代ばあさんが欄干に寄ったために、片側からしか攻撃できない。前後に並んで、短刀を切りつけることになった。
ばあさんは一歩前進し、前の男が降りおろす短刀の根元に杖を叩きつけた。短刀を持つ手の骨のつぶれる音がして、前の男の手から短刀がはじかれ、男の身体は、のけぞって後ろの男にかぶさった、
後ろの男は、前の男を肘で防ぎ、横にころがしながら、ばあさんの脇腹に短刀を突き立てようとした
ばあさんはさらに半歩進み、欄干に身体を押し付け、その反動で回転しながら、突っ込んできた男のあごを杖で打った。
男はばあさんの帯に短刀をわずかに突き刺したまま、突進してきた老人の前にころがった。
老人は腰を低くし、ぎりぎりまで待ってから仕込み刀を抜いた。前にころがる男たちが邪魔だったが、気にせず居合切りを放った。
刀は、ばあさんの喉に届くはずだった。が、ばあさんは、すでにそこに居なかった。半歩、ななめ後ろに下がり、紙一重でかわすと、焚き木を投げつけた。
老人には、ばあさんがいつ焚き木をつかんだのか、みえなかった。焚き木が額に当たる寸前に二度目の居合を放った。刀は空を切り、額に焚き木があたる。木くずが目の前をふさいだ。
木くずの後ろから、タテに細い何かが飛び出した。ばあさんの杖が老人の額に叩きつけられた。杖はしなって、額を割り鼻骨をへし折った。
後方でみていた行商人は、老人が倒れるのをみると、くるりと向きを変え、逃げ出した。
「なにやつ!」
林を抜けて山道を降りてきた三郎が、逃げ出した行商人に木刀を叩きつけた。とっさによけた行商人の右肩に木刀が食いこむ。行商人は衝撃を殺すように膝を曲げ、腰を落とすと、その姿勢のまま、三郎の横を走り抜けた。
「待て!」
三郎の呼びかけに答えず、林のなかに姿を消した。
三郎は、踵を返し、千代ばあさんのもとに駆け寄った。千代ばあさんは、帯に刺さった短刀を引き抜き、三郎に渡す。
「ご無事ですか? 小夜は?」
「兄上! わたくしも猪之助殿も無事です」
三郎は、ホッとして、大きく息を吐いた。
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