第31話 探索者
ふろしきを背負った行商人が、村の家を一軒ずつまわっていた。主に薬、あとは生活に必要な雑貨を、大阪から仕入れてきたといって売っている。
にこにこした如才ない男で、庭先に座り込んで世間話を、よくしていた。
三郎が、朝、家をでるとき、声をかけてきた。
こんな早朝から、もう売りにまわっているようだ。
「坊ちゃん、お早いですねえ。武家の方で、こんな早く起きる人は初めてですよ」
にこにこしながら、
「もう、道場を開けておられるんで?」
三郎は、うさんくさげな顔を、行商人に向けた。
「道場は、まだじゃ。ちょっとした用事じゃ」
「木刀や竹刀の打ち合いで出来た傷に塗る薬は、いかがですかな?」
「間に合っておる」
三郎は、追い払うように手を後ろにふって、昨日飯を運んでやった少年のもとに向かった。あとから、小夜と祖母が上ってくる。それまでに、少年がまだ同じ場所にいるか確かめ、清潔な着物を着せ、身なりを整えてやりたかった。
三郎は、着物の入った風呂敷包みを背負い、街道を北に進み始めた。
あの傷では、疲れ果て眠っているだろう。ゆっくり上って、たくさん眠らせてやろう。小夜がきたら、休む暇もなくなるに違いない。
小夜は、昨夜もあの少年のことを、寝る間際まで話していた。藩の役人以外で、まったく知らない人物が村に入るのは、何年ぶりだろう。小夜が興奮するのも無理はない。三郎は自分も少なからず興奮しているのに気づき、苦笑いした。
三郎は、橋の上の少年や小夜のことにばかり気を取られ、行商人がひそかに跡をつけているのに、気づいていなかった。
行商人は、国境まで続く街道をそれ、林のなかに入ってゆく三郎の跡をつけた。
足音を殺し、息をひそめ、林のなかの草木に触れても音が出ないよう、柔らかい動きの特殊な歩行方法を用い、なおかつ速い速度で三郎を追いかけた。
三郎は、まったく気づかぬ様子で、焚き木置き場と思われる屋根のある橋をわたり始めた。三郎の姿が、積み重なった焚き木の陰に隠れた。行商人は、橋の反対側を、じっと見つめた。
が、三郎は、いっこうに出てこない。行商人は、奥歯を噛みしめ、考え込んだ。
橋の上で何をしている? 覗きこんでみるか?
いや、橋の入口には、物陰にするものがない。見つかるとまずい……。
逡巡していると、三郎が出てきた。
行商人は、はっとした。背負っていた風呂敷がなかった。橋のなかに置いてきたらしい。気はせいたが、三郎がこちらに気づかぬ距離まで遠ざかっていくのを、じっと待った。
三郎の姿が見えなくなってから五十数えたあと、隠れていた木々の陰から出て、橋のたもとに向かう。
気配を殺し、積み重なった焚き木の向こう側を、慎重にのぞき込む。
行商人は、声をださずに笑った。
やっと見つけたのだ、――脱藩者を。
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