第6話 訪問者

 小野が去ったあと、藤吾は、考え込んだ。

 どういう意味だろう?

 藤吾は、小野に会ったことはなかった。

 思い違いということもない……何か、藤吾が気づいていないことがあるのだろうか? 

 想いをめぐらし考え込んでいる間に、家に着いた。

 と、門の前に見慣れぬ人物がいる。

 藤吾は、目を見開き、近づいた。


 腰までとどく漆黒の髪が、夕刻の淡い陽の光のなかでも、目に焼きついた。

 学生かばんをかかえた両腕が、ひどく細く見える。

 見覚えのある制服は、北校のものだ。

「伊田さん?」

 彼女は、こちらを向くと問いかけた。

 白く細い顔と、その澄んだ眼差しは、まっすぐに伸びた背とあいまって、凛とした雰囲気を与えていた。

 いつまでも、彼女を見ていたかった。

 が、藤吾は、うなずいた。

 よほど学生かばんが重いのか、少しふらつきながら、彼女は近よってきた。


「北校の、吉見冴といいます」

 吉見となのった高校生は、ためらいがちに続けた。

「剣道部に所属してます。――大上に会ったそうですね?」

 藤吾は、答えあぐねた。

 会ったといっても、会話をかわしたわけではない。相手が一方的に、打ちかかろうとしただけだ。

 黙っていると、

「その時のことを、くわしく話してください」

 吉見冴は、ぐいと顔を近づけてきた。

 藤吾は、大上と遭遇したときのことを、すこしずつ、身振り手振りをまじえながら、なるべく大上に対する恐怖感が出ないように、押さえた口調で話した。

 吉見冴は、うなずきながら、聞いている。

 藤吾の話が終わると、深々と、ため息をついた。


「大上が迷惑をかけたようですね。謝ります」

 冴は、藤吾に向かい、頭を下げた。

 なぜ、彼女が謝るのだろうか。

 藤吾は、混乱した。

「大上とは、どういう……?」

「大上は、うちの道場生です」

 吉見冴の家は、古くから続く、剣道の道場を経営していた。もともとは、江戸時代に藩校の師範をつとめていたらしい。道場の名前は、藤吾も、聞いたことがあった。稽古は厳しい。が、今の剣道には無い技を教えてくれると評判になっていた。

「大上は、とても熱心で……」

 冴は、唇をかみしめた。

「強い剣をめざしていました」

 こんなことをする人間ではないのだと、藤吾に伝えたいように思えた。


「なかに、はいったら?」

 玄関のドアが、ふいに開いて、藤吾の母親が顔を出した。

 どうやら、窓から藤吾たちを見ていたらしい。なかなか家に入ろうとしないので、しびれを切らしたに違いない。

 二階の藤吾の部屋に入ると、吉見冴は、物珍しそうに、室内を見まわした。

 部屋は六畳で、畳の上にカーペットを敷き、洋室に近い雰囲気にしてあった。普通なら一人で暮らすには十分な広さだが、部屋の半分が、ベッドに占領されている。どうせ背が伸びるからと、大きめのものを買ってしまった。ゆったりと眠れても、部屋が狭くてしかたがなかった。


 冴は、本棚を見ていた。

「剣道の本がありますね?」

「ああ、昔、貰って――」

 そういえば、小さい頃に誰かから貰ったんだった。誰だったっけ。

「剣道、やってないんですか?」

「うん」

「そうなんですか……」

 冴は、意外そうな声を出した。

「結局、大上と剣を合わせることはなかったんですね」

「なかった、それで助かった」

 あわせようにも、剣など持っていない。あのまま素手でやりあっていたら、大変なことになっていた。

「そちらの田代さんが、まるで、かなわなかったんですね?」

「うん」


 冴は、じっとカーペットの敷かれた床を見つめ、考え込んでいた。

 陽は沈みかけ、窓のすぐそばに居ても、かすかな残り陽では、冴の表情をつかめなかった。

 窓からの陽射しで長く伸びていた冴の影が少しずつ薄くなり、やがて消えた。

 明かりをつける時間だった。

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