第2話

 翌日、休暇の申請のためにクロードは王城に出仕した。

 これまでほとんど休みらしい休みをとっていなかったクロードの申し出は、「おう、休め休め!」と上司をはじめ全会一致の勢いで受理された。

 クロードは、その場では顔色こそ変えなかったが、騎士団の詰め所を出た後にほんのりと落ち込んで肩を落とした。


(あんなに笑顔で送り出さなくても……。理由すら聞かれなかった。実は私は、彼らに必要とされていなかったのか……? それどころか邪険にされていて、休みの間に誰かが私のポジションを狙……)


 仲間を疑う愚に、眉を寄せて吐息。庭園に沿う回廊をとぼとぼと歩き出す。

 その背後から、のんびりとした声がかけられた。


「クロード~、ちょうどよかった。一緒に食事しよう。話がある」


 聞き覚えのある間延びした男の声に、クロードは肩を落としたまま振り返る。

 そこにいたのは、顔の前面まで波打つ黒髪に覆われた、人相の判然としない長身の男。暗い色合いのローブを身に着けており、宮廷魔術師のひとりと知れるが、いかにも胡散臭い見た目をしている。

 クロードは胸を張って姿勢を正すこともしなければ、落ち込んだ顔を隠すこともなく、重い溜息とともに相手の名を呼んだ。


「リュカ。その不審者ぶり、相変わらずだな。前髪くらい切れば良いのに」

「やだよぅ、俺はこう、常に視界が薄暗い今の髪型が気に入ってるんだ」

「今の……? 知り合ったときから君はずっとだっただろ。これほど長い付き合いなのに、私はいまだに君の素顔を見たことがないぞ」

「そうは言っても、前髪がなくなったらクロードはきっと、俺に会っても俺だってわからないよ。どうするの、意外に明るい好青年だったりしたら」

「好青年? 想像もつかないな」

「ひでぇな。俺は俺だってのに」


 軽口を叩きながら、肩を並べて廊下を歩く。

 先程までの重苦しい気持ちがすっと軽くなっており、クロードはいつの間にか背を伸ばして口元には笑みを浮かべていた。


 リュカは、クロードが肩肘張らずに付き合える数少ない友人のひとり。気さくな人柄に加えて、独特の存在感のあるトボけた容姿のせいもあり、一緒にいても緊張することがない。

 姿が見えると、なんとなく安心する。話しているうちに、傾いていた気分も持ち直す。他のひとに言えないことでさえ、リュカには打ち明けてしまったりもする。

 このときも、二人で歩きながら「どうしたの。珍しく落ち込んで見えたけど」と水を向けられ、つい口をすべらせてしまった。


「本当はね、リュカに頼みたいことがあったんだ。ほら、リュカって転移魔法が使えるよね? 遠くに領地があって必要なときだけ帰ってるって前に言ってた。その魔法で、私をとある方の領地まで連れていってもらいたかったんだ。会いたいひとがいて」


 魔術師としての腕はたしかなリュカであるが、素顔同様、出自は判然としない。それでも王宮勤務である以上、素性は確かなはずで、クロードは詮索しないようにしている。ただ、以前話の流れで領地について言及したことがあったのだ。「一緒に行く?」と誘われ、クロードは「休みがない」とそのときは断ったが、ひそかに「なにかの機会には頼らせてもらおう」と記憶に留めていた。

 それだけのことであったが、なぜかリュカは固い声で聞き返してきた。


「クロードの会いたいひとって? 誰だよ」


 そこには鋭くうかがう気配があったものの、クロードは気づかぬまま「あはは」と自嘲めいた笑いをもらす。


「それが、私も面識はないんだ。ハニートラップの相手で」

「ハニトラ……!? クロードが!? 相手はどこのご令嬢か姫君か?」


 リュカがそう考えるのも無理はない。美青年として通っているクロードは、今このときでさえすれ違う侍女たちの注目を浴びている。なお、リュカは「なんでお美しいクロード様の横に、あんな男……」と嫉妬混じりの陰口を叩かれていた。

 端的に、クロードは女性にひどくモテている。


「そう思うだろう? 違うんだ、男性だよ。私の妹に懸想している方がいて、断れないのを承知で婚約を申し込んできたんだ。それで妹が参ってしまっていて……。相手がどんな方か確かめてきて欲しいと言われている。踏み込んで言えば、色仕掛けもして欲しいようだ。ただの好色野郎と動かぬ証拠をおさえてしまえば、それをちらつかせて申し込みを撤回させるつもりで。私も異存はない、そのつもりでいる」


「それってつまり……、クロードが女装して好色な男に近づくってことか? 場合によっては、証拠を得るために、自分の身を危険にさらす覚悟で」


「笑えるだろ。休暇はそのために申請したんだ。なんでも標的ターゲットは十日後の夜会に現れるらしい。首尾よく任務をこなすために、これから十日間、私は女装の準備をする。ドレスを仕立てたり化粧を試したり……。ダンスはどうかな、女性パート踊れるだろうか」


 そもそも色仕掛けと言ってもなぁ、私だぞ? とクロードはリュカへ横目を流す。相変わらず顔全体前髪のカーテンに隠されたままのリュカであったが、ちらりと見える唇は固く引き結ばれていた。


「……リュカ?」


 ふと、空気が張り詰めているのを感じて、クロードはいぶかしげにその名を呼ぶ。

 ほんの少し間を置いてから、リュカは低い声で囁いた。


「クロード、腕に覚えがあるからといって、油断は禁物だよ」

「わかっている。相手もずいぶん腕の立つ男らしいが、負けるつもりはない」

「腕の立つ……? 本当に心配だよ、クロード。君は自分の魅力をわかっていなさすぎる」


 歯切れの悪いリュカの物言いに、クロードは首を傾げた。


「そうは言っても、相手はご令嬢ではなく男性だぞ? 私は普段の男装ではなく女装だし」

「それのどこに俺は安心すれば良いのか、さっぱりわからない」


 その後も、話せば話すほどにリュカの態度は深刻さを増していった。茶化すこともできぬまま、クロードは(何か悪いものでも食べたのか?)と危ぶみつつ、その日は解散となった。

 リュカの話を聞きそびれたことには、後から気づいた。


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