行き止まりの中の幸福



 約束の相手が来るまで仕事をしていると、トントンとノックがあった後に返事を待たずにドアが開けられる。



「君はいつも時間通りだね冬麻とうま。でも今日呼んだのは晴彦はるひこのほうなんだけど」


「……晴彦が嬉しそうにお前とお茶するといっていたからな。眠らせてきた」

「眠らせてって……やれやれ過保護だな。晴彦と僕は幼馴染だ。友達とのお茶くらい許してやればいいのに」

 壁井冬麻かべいとうまは鋭くこちらを睨むと、カツカツと靴音を立ててテーブルに近づく。



「お前じゃなければ許したさ。榊原さかきばら、頼むから晴彦の知らないところで死んでくれないか」

「……はぁ。それ何度目だよ。言われるこちらも少しは傷つくのだけど」

「少しも傷ついた素振りも見せない奴が何を言う」

「君はいつも僕にはきついね。……少しそこの椅子に座ってくれ。この時間は晴彦のためにあけてあるんだ。晴彦の代わりに君に珈琲を出そう」


 部屋の隅の電子ケトルを使って、ドリップパックの珈琲を入れる。


 ミルクと砂糖は不要。

 甘党の晴彦と違って冬麻は無糖派だ。


 珈琲を冬麻の前に出すと、僕を睨みながらも飲み始めた。

「それで、晴彦に何を話すつもりだった?」

「久しぶりに会うだけだ。少し昔の話をしたり、近況を話したり。友達ならそんなものだろう?」

「昔の話、ね。裏切り者のお前と話す昔の話だって?」

「僕は裏切ったつもりはないよ」

「今のお前の姿が、俺への裏切りじゃなくて何だって言うんだよ」

「少なくとも晴彦には、僕は裏切った覚えはない」

「俺たちの過去を知るお前がいること自体が不愉快なんだ。晴彦のためにも、もう呼び出さないでやってほしい」

「それを決めるのは晴彦だろう? 君がなんでも決めるのは、いくらなんでも過干渉だ」

「過干渉でもなんでも……あいつの為なら俺はお前の首ぐらい喜んで締めてやるさ」

「そんなことできやしないくせに」


 微笑いたみの向こうで心がきしむ。


 彼は僕を一切見ない。

 どれだけ望んでも、どれだけ願っても。


 いつだって、彼の心にむ男には……叶わない。



「晴彦は元気?」

「お前と関わらないからお陰様で」

「電話越しではずいぶんと寂しそうだったけど」

「幼馴染補正ってやつだ。お前の希望から寂しそうに聞こえるだけで、晴彦はお前がいなくたって元気だよ」

「お袋さんは?」

「この前町内会の旅行に行ったって言ってたよ」

義父おじさんは?」

「……若年性痴呆症だってさ。施設に入っているよお陰様で」

「冬麻は?」

「…………お前にさえ会わなければ、一瞬前までは元気だったさ」

「はは、もう15年以上の付き合いになるのに、本当に手厳しいな」

「もう15年以上にもなるんだ。頼むから静かに晴彦の前から消えてくれないかな」

 いつだって彼の関心は晴彦のほうに向いている。


 僕が入る余地なんて、ない。


「それは冬麻、君の意見だ。晴彦は違うかもしれないよ?」

「そうだとしても俺は、お前に消えて欲しい」

 まだ完全には冷めきっていない珈琲をごくごくと飲み干して、ご馳走さんと乱暴にカップソーサーに置く。


 まだこの部屋に10分程度しかいないというのに。


「もう呼ぶなよ」

「次は二か月後ぐらいかな?」

「死んどけ」



「それでも僕は……冬麻、君に会えてよかったよ」

 返事は乱暴にドアを閉める音だった。






 彼が珈琲を飲み干したカップソーサーを片付ける。


 彼が来た時点で僕の目的は果たされた。



 トントンと今度は慎ましやかなノックがしたので、どうぞと声を掛ける。


「先生? もうご友人は帰られたのですか?」

「ああ、少し急いでいたみたいでね」

「そうでしたか。ではこちらでカップを洗いますよ。……それにしても。受付を済まされた時は風上さんとても穏やかそうでしたのに。出るときは少し当たりが強くて」

「はは、少し彼の嫌なことを言ってしまってね」

「いつも朗らかな方なのに珍しいですね」



「少しだけ、過保護な方に出て来てもらったからね」

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