27.つぎはぎの置き手紙
「――そうして私は、生贄になった。私は伝承に輪廻の血族として記された存在だった」
「村の人間たちは、輪廻の血族が生まれ落ちる時届きの花畑の実在をも知り、彼らはあっと言う間にそこを探し当てた。それから私が物心つくのは、もう花畑ではなく村の中。小さな家の、二階の一室だった。ここから私の細切れの人生が始まったの」
シオンは静かに語った。グラジオは俯いたままそれをただ黙って耳にする。自ら決心して過去を尋ねたつもりだったのに、返す言葉が見当たらなかった。
シオンは続ける。優しい彼女は、やはり誰も責めることはしない。
「そりゃそうだよね。村娘に死んでほしい村人なんて、いるはずない。代わりに私を使い続けるなんて真っ当な考えだよ。それに、きっかけは私が望んでやったことだったんだから」
彼女の村に対する姿勢を何となく把握できたグラジオは、一つだけ気になったことを聞いた。
「……ハイドレジアとはもう会わなかったの?」
「……うん。会えなかった。私はずっと家の中だったし、たぶん彼女も私には会いたくなかったと思う。きっと恋をして、家族ができて、その家族に看取られ、生を謳歌したんじゃないかな」
グラジオは追求せずに少し間を作る。もうそれ以上言及することはしなかった。
「……ありがとう。教えてくれて」
そのときシオンは、またあの言葉を口にする。静かな口調はどこか明るいものへと移ろいだ。
「それじゃ、次はグラジオの番だよ」
グラジオはシオンの顔を伺う。彼女が何を望んでいるのか分からなかった。
「教えてほしいの。あの日から一五年、どんなことがあったのか」
シオンは俯いたグラジオを覗き込む。しかし彼はこちらに視線を向けることもせず、淡泊に語り始めた。
「……僕は崖から突き落とされて、気が付いたときには森の中の小さな湖に浮かんでいた。そこからは死に物狂いでチョウランを出て、それで何とか辿り着いたこの街に住み着いて。そこからはただ、必要な力を手に入れるために鍛錬した。君を今度こそ救いたかったから。本当に、ただそれだけだよ」
グラジオは一五年もの月日を、たったこれだけの言葉でまとめ上げた。そして彼はそのままシオンに向かい合うようにしてに立ち上がる。
「さ、もう遅い。帰ろうか」
シオンが口を挟む間もなく、グラジオは話を切り上げた。それはまるで、言及されることを嫌がるように。
彼の過ごした一五年間は、果たしてたった一息でまとめることができてしまうほどに薄っぺらいものだったのだろうか。そうさせてしまったのは、私なのだろうか。シオンはそんなことを思惑してしまうが、それを口に出すことは辞めておいた。それにきっと口に出しても、優しい彼は真実を語らないのだろう。
「……分かった。帰ろう」
そうしてシオンは、グラジオと共に帰路へついた。
夜が深まる。シオンは早々に眠りへ落ちた。グラジオはそれを見計らうように、殺風景なデスクへと向かう。数枚のメモ紙をちぎってペンを握ると、その場でまた何かを書き始めた。時々ペンを止めては、また強引に手を動かす。ようやく四枚のメモ紙は、整然とした文字で埋め尽くされた。
グラジオはメモ紙を纏めてつまみ上げると、それをテーブルのほうへ運ぶ。一枚の地図をテーブルに置くと、その上に四枚のメモ紙を並べて貼り付けた。
つぎはぎの置き手紙を長く見つめるのは辞めにした。彼の中の決心が鈍りそうだったから。
音を立てぬようにトランクケースを持ち上げる。玄関へ向かうと、そこに掛けられたローブを身にまとった。帽子にも手を伸ばそうとするが、それはそのままにしておいた。
「――ごめん。君の為に、さよならだ。最後にたくさん教えてくれてありがとう、シオン」
グラジオは居間の方を向いて呟く。ノブは異様なほど重たく感じるが、錆びかけの鍵で玄関の扉を静かに開いた。家の裏に回ると、愛馬のオラスが眠る厩舎へ足を運ぶ。
「……こんな真夜中に起こしてごめんよ。一緒に来てくれ」
オラスを家の正面まで出すと、庭に置いてある荷車を彼へ取り付ける。馬車の先頭に腰掛けると、オラスはゆっくりと歩を進め始めた。
拝啓、シオンへ。まずは、急に家を出たことを許してください。君は僕に縛られて生きるべきではない。だから君が食事を覚え、森の外でも一人で生きていけるようになれば、僕はこの家を出て君を自由にしようと最初から決めていました。
シオンはまだ一五歳だから、きっと年を取り過ぎた僕よりも、もっと分かり合える人間に出会えるはずです。その人に出会うまでは寂しいかもしれませんが、絶対にその人は現れます。その日までどうか、強く生きてください。
下の地図は、この街のとある花屋までの経路です。店主には新人の女の子を紹介すると話をつけてあります。シオンはきっと花が好きだろうと思い、勝手に君の仕事を選んでしまいました。店主のご老人は優しいので、生活で何かで困ったことがあれば、是非そこを頼ってください。
最後に、昨日は君の全てを教えてくれてありがとう。僕は君のことを永遠に忘れません。楽しい一五年でした。それではどうか、お元気で。グラジオ。
朝になってみれば、そのつぎはぎの置き手紙にシオンは崩れ落ちた。差し込む朝日がこれほどまで冷ややかに感じたことは、きっと人生で初めてだろう。
「どうして……どうして!!」
時の流れは残酷だった。恋とは蕾で、愛とは花。ただ蕾を土に埋めることは簡単でも、その全ての蕾が花を開かせることはできない。二人の蕾は一五年の豪雨に晒され、虚しくも花を咲かせず腐り落ちた。
「――おや旦那。こんな早くから馬車を出して、どこか遠くで仕事かい?」
街の隅に住む顔見知りの老人は、グラジオへ声を掛けた。グラジオは一度馬車を止めるが、その男に顔を向けること無く応える。
「……
手綱を引くと、オラスは再び歩みを始める。老人はその小さくなってゆく馬車を、ただ呆然と見つめていた。
遠ざかってゆく、一五年を過ごした街。愛する人を孤独から救うため、夢を捨ててまで費やした一五年。男はようやく報われたはずだった。愛した人間を救えたはずだった。それなのに、こうして自分がまた、彼女を孤独へ追いやろうとしている。
しかし一五歳も年の離れた少女を愛することなど、きっと許されはしない。だからせめて彼女の全てを知ってから、そこを去った。
「……ふふ、確かにあの男で間違いなさそうだ。ようやく会えたな、あのときの
グラジオとは一歩遅れて街を出る馬車が一つ。そこへ腰掛ける黒髪の女の名はアジサ。二人の男衆も同乗する。
うっすらと笑みを浮かべるアジサとは対照的に、男たちの顔に張り付くのは、暗く深い憎悪の表情。女はちらりと男たちに目を通すと、その激情を煽るように呟いた。
「それで良い。妾たちは住処を奪われた。あの化け物とそれを連れ去った男が、全ての元凶なのだ。そしてその男は今、妾たちの目の前でのうのうと生きておる。復讐の時は来た」
そこに言葉を返す者は居なかった。それはその場の誰もが、彼女の演説に同意していたから。
「何度死のうとも蘇る化け物など、殺す価値もない。ならばせめて、その化け物の愛した命を奪おう。それこそがあの化け物への報いとなる。完全なる復讐が果たされる」
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