20.夜明けとともに、もう一度。

 シオンは駕籠かごから姿を露わにすると、舞台の前方へゆっくりと歩み出す。熱気を感じられるほど聖火台の近くまで前進したところで、彼女は儀式のしきたりに則りその場所へ跪いた。空っぽになった駕籠かごは男たちによって舞台から降ろされ、部隊には少女が一人取り残される。

 シオンは胸の少し前あたりでふわりと両手を合わせた。

 「……華暦四二七年。一五年の時を経て、チョウランに生きる神々へ。ここで新たな生贄を捧げ、次なる一五年の平穏を求めたまう。災いの雨が人々に苦しみを与えぬことを願って。永遠なる陽が、チョウランへ注がれ続けることを願って。ヒペリカは、チョウランと共に。ヒペリカは、雄大な自然と共に」

 言い慣れた文言を並べ終えると、舞台の裏に整列した男衆は無数の鐘を打ち鳴らし始めた。少しずつ大きさの異なる鐘はそれぞれが異なる音程を発し、忽ち広場は崇高な雰囲気で満たされてゆく。

 不規則な鐘の音が鳴り響くそのうちに、生贄となった少女は跪いたまま自らの身を捨て、聖火台へと突入する。そこでようやく天照守あまてらすは完遂されるのだ。

 時は満ち、舞台は整った。シオンが今ここで身を投げ出せば、それで全てが完結する。

 この村の為に死ぬと決めたはずだった。それで後悔が無いと思ったはずだった。しかしながら見下した先の炎は、彼女に確かな恐怖心を抱き身を硬直させる。

 村に生きる人々と触れ合い、そこで紛れない愛を見た。彼女はそれを守ると決めた。それこそが自分の幸せであると気付いたはずだった。それなのに心の中の何かが、まだ彼女を縛り上げる。たくさんの愛に触れ、生を謳歌したつもりだった。それなのに、どうしても迫り来る死から逃げ出したい。

 「……やっぱり、無理だ」

彼女の涙だけが聖火台へと滴る。 

 「……だって私は、愛することを知ってしまったから」

 己の愛の為に生きたい。それはただ他人が紡ぎ合う愛を見守ることよりも、ずっとずっと尊く思えた。紛れもないエゴイズムだが、きっとそれこそ人間が人間たる意味なのだろう。例えその愛した人が死んだものと聞かされようとも、彼女が彼を忘れることは決してできない。

 己の愛の為に生きる尊さ。その愛の為に己の命を賭ける尊さ。彼女が家の中に積み上げられた本を何度読もうとも、そんなことは記されていなかった。グラジオがそれを教えてくれたから、彼女はそれを知ったのだ。

 シオンの異変を察知したカムは、すぐさま男衆に命令を下す。

 「舞台へ上がれ! 生贄を聖火台に突き落とすのだ!!」

指示を受けた二人の男衆は、すぐさま舞台へと駆け上がる。彼らは中央で小さくなって座り込むシオンの背中を目指した。

 そのときシオンは囁く。もう居ないと分かっていても、ただその名を口にしたかったから。

 「……助けて……グラジオ」

舞台に登った男衆の手がシオンの背中に伸びる。そして彼女はまた、きっと同じ家で目を覚ますのだろう。定められた運命からは決して逃げられない、はずだった。

 舞台に登った一人の男衆はもう一人の男衆の腕を掴み上げると、あろうことかそれをそのまま舞台の裏へと振り落とす。断末魔を上げて転落する男は、落ちた下で鈍い鐘の音を響かせた。突然の出来事に鐘の打ち手が思わず手を止めれば、それを発端に次々と鐘の音は止む。場が静まり返ったとき、舞台には男とシオンだけが取り残された。

 男はローブを深く被ったまま、シオンの手を引いて立ち上がらせる。顔を隠したまま、おもむろに口を開いた。

 「……今ここで選ぶんだ。他人の為に生きるのか、自分の為に生きるのか。君はどっちを選ぶ――?」

 それはシオンの知った声では無い。それでも彼女はその声から、微かに誰かの面影を感じた。だからこそ彼女は、すぐに選ぶことができた。もう迷わない。少女は感極まりながらも、ただ素直に胸の内を明かかす。

 「私をもう一度……誘拐してくれますか――!」

 答えを聞いた男は、シオン姫を抱えた。暗い森の中を目指すべく、男は颯爽と舞台を駆け下りる。

 「――貴様! 何者だ!!」

 武装を済ませた数人の男衆が二人の前へ立ちはだかった。束の間彼らは得物を手に容赦なく迫り来る。しかしローブの男は、それらを容易く一蹴した。振りかざされた槍を完璧に見切って回避し、続けざまに繰り出されるであろう突きの方向を誘導する。その結果生じたのは男衆同士の味方討ち。男衆に適切な陣形が組まれていないことを巧みに利用し、ローブの男は多勢を制した。

 それでも背後からは、増援の男衆の声が響く。

 「撃て――!!」

 男たちは弓を引いた。その刹那、矢の雨が二人へ襲いかかる。しかし依然として、ローブの男はそれを上回った。彼は目の前で立ち尽くす一人の男衆の背後へ回り込むと、その男を盾にしてみせる。男の胸を覆っていた鎧は矢を弾き、矢の威力を殺した。

 ローブの男は盾にした男衆を放り捨てる。その男衆が腰を抜かしている隙に、ローブの男は再び駆け出した。

 しかしいまだ場所は中央広場。更なる新手の男衆が、またも二人の行く手を阻んだ。

 ただその男衆らをもってしようと、もうローブの男は止まらない。彼は下段蹴りで男衆らをまとめて薙ぎ払うと、また凄まじい俊足で駆け出した。




 中央広場を突破してから続けて見え始めるのは、家屋と畑の点在する草原。村人が中央広場に集合している為、そこに人気ひとけはない。静まり返った中に聞こえるのは、背後から鳴り響くの男衆の怒号だけだった。

 「――逃がすな! 撃て!!」

 彼らの執念は凄まじく、束の間にして第二波が始まった。男衆も体勢が整いつつあるのか、弓矢隊の増援は進み、先程とは比べものにならない人員が見て取れる。

 そのときシオンはすかさず声を上げた。自身を抱きかかえる男よりも村の土地に詳しい、彼女自身にしかできないことだったから。

 「あっち……!」

暗い中で彼女が指差した先、それは畑の傍に佇む年季の入った物置小屋。そして小屋のすぐ隣には、大きく頑丈な樽が積み上げられている。

 放たれた矢が二人を貫く寸前、男はその小屋の陰へと飛び込んだ。そして矢の風を切る音が止めば、彼は樽を蹴り崩す。無数の樽は緩やかな下り坂を転がると徐々に速度を増し、弓矢を持つ男衆たちへと突撃した。

 遠くからは混乱の声がこだまする。それを見計らい、ローブの男は陰から飛び出した。そこからはただ懸命に脚を森の方向へと運ぶ。二人の視線の先では、太陽は少しずつ顔を出し始めた。




 「……気に入らぬ。また妾が教えてやらねばならんか。うぬは人間に都合の良い道具であると」

 中央広場にて。騒がしい催しを嫌うアジサは、広場での騒動にやや遅れて到着した。彼女は男衆の一人から愛用の弓矢を受け取ると、静かなる怒りを宿しながら太陽の昇る方角を目指す。

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