19.ヒペリカに生きる者として
シオンは残された時間のうち、その多くを家の外で過ごした。奇異な視線を向けられることは相変わらずだったが、それでも彼女は人間と共に過ごす時間を経て、多くの村人と打ち解け絆を深めた。ときには畑仕事を手伝い、時には子と戯れる。食事を共にすることもあった。そしてその触れ合いは、彼女が村で生きた退屈なおよそ三〇〇年の中でも、突出して濃密な記憶となる。
華暦四二七年。シオンはとうとう十四歳を迎えた。そして
シオンはまたいつもの窓に還った。そこではまた、いつもの見慣れ過ぎた光景を目に焼き付ける。
それでも四年間にも及んだ交流の数々は、同じキャンパスをより立体的に彩った。人々と実際に触れ合った記憶は、さらに絵画を鮮明にする。
畑で老人が撒く何か、その答えは肥料。その傍にある家から出てくる女性は、老人の孫娘。籠を抱えたその女性が向かう先は、きっと近くの小川だろう。
窓の向こうの人間が何を思って活動しているのか、全て分かる気がした。こうして交流を絶たれてしまおうとも、もう彼女は人間へと心酔していたのだ。
「――シオン! おはようー!!」
視界よりずっと下の方から元気の良い声がした。遠くばかり見ていたので今まで気付かなかったが、そこにはリージアとシネラがこちらを見上げている。
すかさずシオンは返答した。
「おはよう。今日も二人揃って、凄く仲良しなのね」
「ねえねえ、今日は散歩しないの? 最近は日課だったのに」
少年はあまりに健気な顔でこちらを伺う。真実を語ることなど、彼女には到底できない。
「……少し体調を崩してしまって。ごめんなさい」
また嘘をついてしまった。シネラは不安そうな顔を浮かべながらも、励ましの言葉を送る。
「……そっか。ゆっくり休んで良くなれよ!」
「……ふふ。ありがとね」
――森の中に潜む人影が一つ。逞しい体つきに、少しだけ伸びた髭。太い両腕にはいつくもの傷跡が刻まれ、深く被られた帽子は顔を覆い隠す。その者は何かを瞳に映したとき、それに吸い込まれるようにして見とれた。
ある日には、一人の青年がシオンのもとへ立ち寄った。二階の窓を見上げた青年は、そこから顔を出す少女へと尋ねる。
「シオンちゃん、今日は出てこねーのか?」
「ごめんなさい。ここのところ体調が悪くて」
「……あらま、そりゃお大事に。畑になった果物置いてったるから、食べてくれよな!」
「ありがとう。お言葉に甘えて頂きます」
またある日には、一人の少女がシオンのもとへ立ち寄る。
「おねーちゃん、体調悪いって聞いたけど……大丈夫?」
「うん。平気よ」
「げ、元気になったら、また一緒に遊んでねっ!」
「……ええ。勿論」
時が無情に過ぎてゆくなかで、シオンの元には多くの人間が訪れた。それはまさに、四年間の時で築かれた深い交流の賜物。ただそこに訪れる者が十五歳に満たない子供ばかりなのは、彼らが彼女に定められた残酷な運命を知らないから。
そしてその日は訪れた。日の出と共に決行される
己の終焉を知りながらも、シオンは変わらず窓の外をただぼんやりと眺める。ふと視線を下に落としても、もうそこには誰の人影も無い。そしてそれを補うように、一五年前のことが今頃になって鮮明に想起される。あまりにもあっと言う間の一五年だった。
「――シオン。そろそろ……時間です」
母は娘を呼ぶ。シオンは振り返った。このとき見る母親役の表情が苦悶に満ちているのは、三六〇年経ってもずっと変わることはない。
「お母様、そんな顔しないで」
「……ごめんね」
母親役がこのとき俯いてしまうのも、三六〇年ずっと同じだ。だからこのとき、少女は必ず語り掛ける。
「……あなたは母親として、私を一五年もの間育ててくれました。分かっています。最も辛いのはあなたなのです。私は恨みなどしません。だから何も背負わず、生きてください」
彼女のせめてもの言葉だった。それでも母親の顔は晴れない。これもまた、三六〇年ずっと同じだ。
夜明けまで数分。少女は
「綺麗よ、シオン」
どんな言葉を送ろうと、もう娘を救うことはできない。それでも母親として、彼女はただ純粋に娘の晴れ着姿を賞賛した。
「ありがとう、お母様」
シオンは優しく笑った。
深夜の中央広場は、少しずつ静けさに包まれ始まる。広場後方に設置された長椅子で横になるシネラは、母親の膝枕ですやすやと眠る。横に座るリージアは、目を擦りながらふらふらと母に寄り掛かった。今にも閉じてしまいそうな少女の瞳は、舞台の女性たちが一斉にそこから掃けていく様子を映し出す。
「んん……」
そのとき、シネラは丁度目を覚ました。母親は視線を膝に落とす。
「あらシネラ、起きたのね。丁度良かった。お母さん、もう少しで起こそうしてたとこだったの」
彼の母親は優しく微笑む。シネラは少し体を伸ばすと、またうずくまった。
「まだ寝る……」
「シネラ、少しだけ我慢よ。これから村で一番大事な儀式があるの。リージアも、もう少しだけ頑張って」
母は二人を軽く揺すって語り掛ける。シネラはそれを聞くと、のそのそと体勢を起こし始めた。母の膝はそっと軽くなる。
先程までの賑やかな雰囲気は一変した。村人は皆揃って聖火台の方を向いて立ち上がると、両手を胸の前で合わせ、まるで祈りを送るような動作を始める。
「さ、あなたたちも」
母はリージアとシネラに告げると、おもむろに椅子から腰を上げた。二人も見よう見まねで母に続く。
数人の男衆は
舞台中央から見下ろすことのできる地点に設置された聖火台には、松明の小さな炎が放り込まれた。その火は藁に広がり、みるみると大きく成長してゆく。
舞台の現れた二人の若い女性によって、ついに
シネラは震えた声で母親に尋ねる。
「……ねえ、どうしてシオンがあそこに? なんで!?」
「……それはね、あの子が選ばれた子だからよ」
母は真っ直ぐにそれを見据えて語る。こちらに視線を向けてくれない母親に、シネラは漠然とした不安を覚えた。
「シオンはあんなとこで……何するっていうの?」
「あなたたちは、それを今から目に焼きつけるの。ここに生きる、ヒペリカの民として」
○ヒペリカム
科・属名:オトギリソウ科オトギリソウ属
学名:Hypericum androsaemum
和名:ヒペリカム・アンドロサエマム
別名:小坊主弟切(コボウズオトギリ)
英名:Tutsan
原産地:ヨーロッパ西部~南部
花言葉:「きらめき」「悲しみは続かない」
※引用『花言葉-由来』https://hananokotoba.com/
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