17.出会いに触れ、変わってゆく。
「……あんな子……初めて見た」
シオンの背後から差し込んだのは、彼女よりも一回りほど幼い声。ふとそちらへ振り返れば、彼女の前方には二つの人影が並んでいた。
小さな背丈から、きっと年下だろうと容易に察しが付く。一五歳に満たないであろう彼らは、きっと知らないのだろう。輪廻の血族も、
人影の正体である一人の少年は、好奇心を剥き出しにしてシオンの元へ駆け寄る。束の間彼女は、すかさず質問攻めを喰らうこととなった。
「君はここに住んでるの? 名前は?? 何で髪が緑色なの??」
「あ、えっと、それはね……」
あまりに急で不意だったもので、シオンは口籠もる。
「緑じゃなくて、ミント色でしょ」
少年の背後から歩み寄る一人の少女は、絶妙なところを訂正した。その振る舞いから、恐らくは少年よりも一回り年上だろう。
少年は少年らしく反抗した。
「なんだよ、緑もミントも同じだろー」
「違うわよ! ミント色ってのはね、緑色よりもこう、なんていうか――」
少女を差し置いて、少年はまたシオンへ尋ねる。
「どっちでもいいや! ねえ君、名前教えて!」
「……私は……シオン。あなたは?」
「俺はシネラ。そんでこれは、俺のお姉ちゃんだ」
「ちょっと、これって何よ!? 私にはリージアって名前があるんだから!!」
「シネラ君と、リージアちゃんね」
凸凹な姉弟のやりとりは何とも微笑ましい。シオンには少しだけ、姉弟という関係が羨ましく映った。
シネラの質問は続く。
「ねえ、シオンはずっと家の中に居たの? 初めて見た顔だけど」
「そ、そうなの。今まではずっと、体調が悪くて……」
咄嗟に嘘をついてしまった。それでも真実を知らぬ幼き姉弟は、それを疑うことなく信じ切る。
「なら、もしかして村のことあんまり知らない? 俺らが教えてあげるよ!」
シネラは笑ってシオンの手を引いた。しかしここで、リージアは弟の襟を掴む。
「ちょっとシネラ。私たちは今からお家に帰って、畑仕事を手伝わなきゃでしょ。忘れたとは言わせないから」
「ちぇ、覚えてるっての……」
シネラは不貞腐れる。彼が観念した様子を見せたので、リージアの腕は彼から外れた。
そのときシオンは、咄嗟にも言葉を紡いぐ。人間との交流という望みを叶えるには、それが近道だと信じた。
「……あの、私も手伝いたい。その、畑のお仕事を」
姉弟は突然の提案に、不意を突かれたような表情をする。そして束の間、二人は口々に返答した。
「い、いいの!?」
「シオンやめときなって……結構大変だよ?」
目を輝かせるシネラと、心配するリージア。シオンは少し微笑むと、迷わず頷く。
「ぜひ、お願いします。やらせてください!」
シオンは二人に続いて村の中を歩む。もちろん想像はしていたが、やはり彼女には村の大人たちの奇異な視線がまとわりついた。それは生贄であったイベリスが逃亡したことへの不信感か、生贄としての人生に囚われた運命を不憫に思う罪悪感か。真意は分からずとも、その視線は確かな痛みを伴った。
「――ところでさ、なんでシオンは裸足なの?」
リージアの真っ当な質問で、シオンは目の前の世界に引き戻される。彼女は咄嗟に返答した。
「えと、それは、裸足のが落ち着くからかな」
「変なのー」
シネラは悪気無く思ったままに反応する。リージアは失礼な弟を躾けるように頭を押して黙らせると、自然にこちらを気に掛けてくれた。
「でも畑は、裸足だとめちゃ汚れちゃうよ?」
「平気。裸足がいいの」
シオンは笑顔で応える。姉弟はその健気な様子に微笑んだ。
冷たい視線はいまだシオンへ向けられ続けるが、幸いにも二人はそれに気が付いていないようだった。シオンは一度目を瞑り、今だけは目の前の新しい出会いを楽しむことにする。
「――ただいまー!」
シネラは、畑の中で鎌を握って雑草を刈る父親へ声を掛ける。その声に反応した男は、すかさずこちらへと振り向いた。
「リージア、シネラ! やっと帰ったか……っておいおい!?」
シオンにとっては予想通りの反応だった。一五年に一度しか家を出なかった生贄が、突然家に押し掛けてきたのだから。
彼女の正体を知る男は、彼女を一体どう扱えばよいものか分からなかった。それでもシネラは、父の唖然とした表情をもろともせずにまた口を開く。
「あのね、シオンも畑手伝ってくれるってさ!!」
リージアは付け足す。
「これで仕事も早く終わるわねー」
打ち解けた様子の三人を見て、男はすぐに不安を露わにした顔を変えた。未熟なはずの子供は、時として大切なことを教えてくれる。男はついさっきまでの自分を情けなく思い、自虐するように笑うと、大声で三人を呼び寄せる。
「よし、三人ともこっちだ!」
リージアとシネラは駆け出した。調査隊が村へ来る以前よりも良質になった土の上を駆け、父の元へと急ぐ。シオンは少し遅れを取ったが、すぐに姉弟の後を追った。
三人が父親の前に揃うと、男はすぐにシオンの足元へ注目する。
「おいおい、シオンちゃん裸足じゃねえか。リージア、お前の靴でも貸してやれ」
「シオンはね、裸足が好きなんだってさ」
「……そうか。でも結構汚れるぞ。いや、どっちにしろもう遅いか」
男はシオンの汚れた素足を見ながら呟いた。その視界に映り込むように、シネラは父の前へと飛び出す。
「だったら今日は、俺も裸足だー!」
靴を脱ぎ捨てたシネラはその場で足踏みを繰り返すと、瞬く間にして足は泥に塗れた。子供の爛漫さに父は思わず頭を抱える。
「なんでお前まで裸足なんだよ……こりゃ母さん怒るぞ……」
二人の少女は、息子が父を振り回すその様子に笑った。そしてその笑い声は伝播し、その場の全てを笑顔に包む。シオンにはその空間があまりに幸せだった。一瞬だけでも、そのときだけは彼らの家族の一員になれた。そんな気がした。
シオンに任された仕事は肥料の散布だった。白い粒を土に混ぜ込むことで、大きい野菜が育つそうだ。
バケツに満杯まで入った肥料を小さな杓子で掬い上げ、土に満遍なく振りかける。ひたすらにこれの繰り返し。相当な根気のいる仕事だろう。
シオンは腰を伸ばしてこっそりと休憩をしつつ、遠くに見えるリージアとシネラへ焦点を合わせる。二人は水やりを行っているようだった。
その姉弟は先程までのあどけなさを捨て、真剣な面持ちで汗を流す。彼らが生きる為に必要な仕事なのだから、そこにおふざけが入る余地は無いのだろう。
「――水はたっぷり撒いてくれよ。人間が与えてやらねば、すぐに乾燥してしまうからな」
父の聞き飽きたアドバイスに、リージアは応えた。
「分かってるってば!」
シネラは意外にも丁寧に仕事をこなしながら、畑仕事よりもっと先の話を始めた。
「パパ、畑仕事終わったら次は俺と鬼ごっこだかんね!!」
「シネラ、残念だが鬼ごっこの前に、みんなで母さんの仕事の手伝いだ」
「うえー忘れてたー」
その家族は、生きるべく農業へと勤しみ、共に助け合って愛を育む。シオンにはその営みが、かけがえの無く尊いものに思えた。彼女は限りなく繰り返される自身の命をもって、これほどにも素敵な命たちを守っていたのだ。
気が付いてしまった。生贄となって守ってきた村の平穏とは、愛に満ちた素晴らしいものだった。彼女に新しい感情が湧き始めるのは、必然だろう。
(私の命一つで、彼らの笑顔の続きが見れるのなら……)
「――シオン、立ち尽くしちゃってどうしたのー!?」
シオンはリージアの声で我に返った。どうやら手を止めてしまっていたらしい。目には見えないはずの愛に、見とれてしまっていたようだ。
「なんでもないよっー!」
シオンは大きな声で返す。腰を曲げると、また杓子で肥料を掬い上げた。
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