12.花たちの守護者

 少年の瞳は決意に満ちていた。それでもたった一人の少年にはあまりに無茶なことは明白だ。少女は引き返すように促そうと、思わず声を荒げてしまった。

 「ちょっと待って! ねぇ君ってば、こんなことしたら――!!」

 「僕はグラジオ。"君"じゃない。グラジオだ。分かってるよ、そんなこと。君をここから連れ去ったなら、きっと僕は村にも調査隊にも居られなくなる。でもそんなことどうだっていいんだ。僕は君に、自由に生きて欲しい!」

彼が口にしたのは解決策では無い。言ってしまえば、ただの願望を子供の我儘だろう。それでも彼のあまりにまっすぐな瞳は、彼女を心のどこかで期待してしまう。

 ただ腕を引かれ続けるイベリスは、その少年に情動された。

 「……ふふ。誘拐されたのは、人生で初めてかな」

どこからやってきたか分からない涙を拭ったイベリスは、ようやく少女らしいあどけない笑顔を浮かべた。こちらへちらりと振り返ったグラジオに目が合うと、彼女は続ける。

 「それに"君"じゃなくて、イベリス。イベリスだからね」

少年はただ微笑んだ。二つの小さな人影が、大きな森を裂くように駆け抜けてゆく。




 ヒペリカ村の中央広場では、賑やかなムードが続く。

 リナリアは広場の隅に置かれた丸太に腰掛けたまま、ただ呆然と時を過ごす。脳裏に焼き付いたのは、小さくなるグラジオの背中。あれから一向に姿を見せない彼を、彼女はどこか心配していた。それは単なる親切心とは違う、別の感情であることを認めずに。

 サルビアは事情を話したがらない娘の側へ腰を下ろした。もう夜も深いので、ふとリナリアへ提案する。

 「お母さんと一緒に、寝よっか」

 「……まだ、眠くない」

 「……そっか。でも、もうお部屋に戻りましょう」

 「いやだ」

いつもの不貞腐れ方とは違った。彼女が何を想うのか、サルビアはゆっくりと問いかける。

 「……話してくれる?」

 その優しい語りかけは、リナリアは胸の内をときほぐす。しかし思春期とは繊細なもので、彼女は己の葛藤を語ることができなかった。グラジオの行方が掴めない、ただそれを伝えることがどこか恥ずかしい行いに思えてしまう。

 母娘のもとへ、ふらふらとした人影が近づく。

 「おお、二人とも。こんなとこに居たのかぁ」

語尾をとろけさせながら現れたのはバルディア。しゃっくりをしながら娘の前に立つと、特に理由も無く頭を撫でた。

 酔っ払った父親は何の脈絡も無くリナリアを褒めちぎる。

 「リナリアちゃーん。今日も可愛いな~」

彼女はそれを冷たくあしらった。

 「お父さん……お酒臭い」

 「ああ~ごめんよリナリアちゃん。お父さんが悪かったよお」

男は面倒な酔い方をしていた。もうそこに頼れる隊長の面影は無い。

 「ちょっとあなた。酔いすぎですよ」

サルビアが呆れた表情で彼を叱った。バルディアはご機嫌な様子で返す。

 「大丈夫大丈夫。まだそんな酔ってないからなぁ」

 そのとき突如として、村はけたたましい鐘の音で満たされた。賑やかしい広場は、一瞬の隙で悲鳴で塗り替えられる。あっと言う間に酔いの覚めたバルディアは深刻な声で呟いた。

 「……なんだ?」

 愉快な音楽と妖艶な舞いは鐘の音に掻き消される。村人たちが不安を募らせる中、事情を知る男が広場へ駆けてきたのはすぐ直後だった。その男は落ち着かぬ様子でカムの元に駆け寄ると、地面に崩れ落ちて声を張り上げる。

 「イベリス様が……見当たりません!!」

一声で付近は騒然となった。村の大人たちには、それがいかに重大なことか理解できている。

 話は中央広場の隅々へ巡った。場が混乱する中、カムは老人のもととは思えぬ迫真の声を張り上げる。

 「静まれ――!」

強烈な音圧に皆が黙ってカムの元を向く。そして老人は粛々と策を打った。

 「男衆は武装し村の外を、他の者は中を探せ。天照守あまてらすは日の出の前に生贄を捧げる儀式。日の昇るまでに輪廻の血族を殺めるのだ!!」

 調査隊の者の価値観からすれば、それはあまりにも無情な指示だろう。しかし村の者がその指示に動じることは無い。女性たちは広場から散り散りになると、農具や縄を抱え家の中や共用倉庫のあらゆる場所を捜索する。男衆は倉庫から防具を取り出し慣れた手つきでそれを身に纏うと、小隊に分かれ整列を開始した。

 バルディアはひとつ溜め息をつく。

 「……どうやら、イカれてるのは俺もだったらしい」

村のために一つの命が失われるという事情を知った彼は、確かにそれを黙殺しようとした。しかしその生贄にこれほど生への執着を見せられてしまえば、彼ももう限界である。

 長老のカムは付き人を連れバルディアの元を訪れる。その老人は鋭い視線を彼へ突き刺すと、凄まじい剣幕で尋ねた。

 「調査隊の方々も、協力いただけますな?」

半ば強制するような口ぶり。バルディアは少し迷った素振りを見せながらも、濁すことなく返答した。

 「私が間違っていた。我々はただの調査隊です。人を殺めることはできません」

 「過去二十三回の天照守あまてらすにて、輪廻の血族が逃亡する事態は無かったと聞く。貴様らが何かそそのかしたのではあるまいな!?」

バルディアの口元が引き締まる。そして次の刹那、彼の声が低く暗いものへ移る。それは命を軽んじる愚かな己と、この村に対する怒りだった。

 「……あなたが輪廻の血族の話をしてから、私は村の中に居るであろうその正体を探りました。村の外れに住む、ミント色の髪をした少女。彼女こそが輪廻の血族。そしてその子が天照守あまてらすの生贄なのですね。この村は、たった一人の少女を十五年の年月が流れるたびに殺めてきた。生贄などという、非科学的な儀式の為に命を奪ってきたのです」

 「あれは少女ではない。人間の少女の姿をしただけの、ただの化け物だ」

 「いいえ人間でしょう。人間だから逃げたのです。人間だから、死に恐怖を感じるのです。彼女は気づいただけだ。人間としての本当の生き方に」

 「あれは生贄になるべくして生まれた化け物だ!! 戯言たわごとをぬかすな!!」

 「ちょっと爺様! だめだって!!」

杖を振り上げたカムを制止したのは、背後からやって来た彼の孫娘のリカ。

 バルディアは怒りを露わにする男へ冷たく吐き捨てた。

 「私も過ちを犯した。長老殿から生贄のお話を伺った際に、こうやって情に身を任せるべきでした」

彼は視界からその老人を消し去ろうと、背後の妻と娘へ振り返る。

 「二人は馬車に戻ってくれ。私は全隊員に馬車へ戻るよう伝えて回る」

そのときリナリアは父にしがみついた。彼女は涙ながらに訴えかける。

 「ねえ! 調査隊のみんなで、村の人を止めて!! それに……もしかするとグラジオが――」

 「ダメだ。私には隊員を守る義務がある。村の者と衝突させるわけにはいかん」




 暗い森に、二人の影。グラジオはイベリスの手を引いて、闇雲に大木の隙間を駆け抜けた。そのとき、少女は掠れた声で呟く。

 「グラジオ……ごめん……ちょっとだけ止まって……」

気づいたとき、イベリスは酷く消耗していた。グラジオはすぐに立ち止まると、慌てて彼女の手を離す。

 「ご、ごめんイベリス!」

 イベリスの息が荒い。するとそんな彼女を見計らうように、辺りを漂う光の玉は彼女へとつき纏っった。それに続き、水の粒もまた彼女のところに訪れる。イベリスが息を整え語り始めるまでは、グラジオはその神秘的な情景に気を取られてしまっていた。

 「夜は光が弱いから、あまり激しく動けなくて……」

 「光? どうして光が関係あるの?」

 「……私はグラジオが言ってくれたとおり、人間だよ。でも、体は人間と花が半分ずつ。だから食事の他にも、光と水が私の原動力なの」

 イベリスに集まった光の粒は白い肌を照らし、水の粒は水滴となって静まる。彼女は掌に落っこちた水滴にそっと触れると、ようやく続きを語った。

 「……でも食事はずっと慣れなくて苦手で。だから普段は、光と水に頼ってるの。でもそれだとこの通り、光が少ない夜はすぐ弱っちゃうん。ごめんね、こんなときに迷惑かけちゃって」

イベリスはそのまま近くの大木に寄りかかって腰を下ろす。そこ向かうだけでも、あまりにおぼつかない足取りだった。

 「あともう少しだけ……時間が欲しいの」

うっすらとした苦悶の表情の中に、申し訳なさそうな心境が見て取れる。グラジオは迷うことなく彼女の要望を承諾した。

 「そんなこと全然いいんだ。それに、無理させてごめん」

そしてグラジオもまた、同じ大木の元へ腰を下ろす。

 「少し休もう。イベリス」

 「うん。ありがとう」

 「……でもその間さ、もっと、もっと教えて欲しいんだ。君のことを」

 「……いいよ。グラジオになら」

少女は笑った。照らされた笑顔に少し拍動が速まるグラジオを横目に、彼女は口を開く。

 「大森林・チョウラン。まだそんな名前すら無かった。そこが小さな小さな草原だった頃のお話――」

そこから、少女が紡いできた長くも淡い物語は始まった。


 


 名も無きミント色の髪の幼女は、揺り籠くらいの平たい石の上に体を丸める。どうやら眠っていたらしい。立ち上がってみたが、足が縺れてうまく動けない。結局抗うことはできず、草原に倒れ込んでしまった。

 ゆっくり体を起こすと、彼女の目には忘れられぬ光景が焼き付いた。虹よりも鮮やかに、海よりも広い。そんな花畑が広がっていたのだ。

 そして幼女はその景色を目撃し理解する。いや、まるで記憶が解錠され、それが一気に押し寄せたというべきだろう。

 「……私は、ここに咲く花たちの守護者だった」

 どこからともなくやってくる光の玉は。この花畑で土にくるまり蕾となる。どこからともなくやってくる水の粒は蕾に命を吹き込み、美しく咲き誇るその日まで、彼らをゆっくりと育んでゆく。少女はそれを見守り続けるために生まれた。彼女は使命を抱いた、花たちの母親であったのだ。

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