11.僕は君を誘拐する。

 村を灯していた陽はすっかり落ちた。その眩い光から取って代わるように、村の中央広場には無数の松明が灯される。前夜祭が始まった。

 村の女性たちは設営された炊事場にて、伝統料理の炊き出しに精を出す。菜食が中心でありながらも色彩豊かな鍋は、若い隊員たちでも十分に食欲がそそられるほどだった。

 舞台の上では白い絹のような民族衣装に身を包んだ若い女性たちが、背後の楽器隊の旋律に合わせ舞いを披露した。伝統的な化粧姿は彼女らを妖艶に彩り、調査隊の男たちはすっかり釘付けにされてしまう。

 「……こりゃ苦労して舞台組んだ甲斐あったぜ」

 木樽のジョッキを片手に握ったキキョウもまた、釘付けにされる雄の一人。彼は数名の隊員と共に最前列を陣取ると、その舞いをここぞとばかりに目へ焼き付けた。

 傍に居た隊員はキキョウへ肩を絡めて囁く。

 「なあ、お前どの子が好みよ?」

キキョウはなぜか誇らしげな顔でそれに応える。まるで答えを準備していたかのようだった。

 「俺はこう見えて、色恋には慎重なのよ。そういう目で見てねーの」

男は眉間に皺を寄せると、アルコール臭を撒き散らして口を開いた。

 「んだよそれ。最前列に来といて意味分かんね」

 「俺は一目惚れしねーってこと。いつの日か、運命の相手と。それはそれは幻想的な出会いを果たして恋に落ちるのさっ」

キキョウは至って真面目な様子で発言するので、男はからかうのを諦めた。急なロマンチックに酔いが覚めた男は、ふと落ち着いた口ぶりで語る。

 「……幻想ねぇ。そりゃ誰とも出会わずに、天涯孤独ってことなのかもな。なにせ幻想ってのは虚構と紙一重だ」

男の声色からは失望が聞いて取れた。キキョウは少し口角を上げると言葉を返す。

 「ああ、だからいいんだ。儚いからこそいいんだ。出会うかも分からないし、もう出会ってるのかも分からない。人間が長い時間賭けて、やっと認識できるかもしれないのが幻想だ」

男は納得したのか、手にした木樽ジョッキを口元へ運ぶ。それが口元を離れたとき、男は呟いた。

 「お前、哲学者のが向いてるんじゃねーの」

キキョウは少し満足気な顔をすると、釣られるようにしてジョッキを口元へ近付ける。

 「俺は研究者だ」

そのとき、二人の背後から声が掛けられた。

 「――おいおい。お前に酒はまだ早いだろ、ガキんちょ」

声の主はバルディア。男はキキョウの横の席に割り込むと、握られたジョッキを奪い取った。

 「うあっ、ちょおい!」

バルディアはお構いなしにその中身を飲み干す。ジョッキを下げると、彼は当然のように問い掛けた。

 「それで……何でお前はグラジオを庇ったんだ?」

 「……んえ?」

あまりにも自然に聞かれたので、キキョウは思わず変な声を漏らす。バルディアは焦りを隠せないキキョウへ更に問い掛けた。

 「お前、そんなにあいつと仲良かったっけか?」

 「いや……気付いてたのかよ!」

 「お前が隊規則を破るときは、もっと姑息で周到な手段を選ぶ。サンプルを無くすなんてヘマしないだろ。それに採取した花だけ無くなるなんて、どう考えてもお前の仕業じゃない。そもそもお前の研究分野、花じゃないし」

キキョウは全て見透かされていたことに観念すると、全て正直に語ることにした。

 「……貸しあったからよ、それを返しただけだ。それにもしあいつがバレたら――」

 「俺はグラジオの才能を見込んでる。だから俺はまだ子供のあいつを、親の許可も無く連れ出して隊に入れたんだ。普通に誘拐だぜ?」

バルディアは続ける。

 「あいつは良い観察眼を持ってる。規則一つ破ったくらいで、やすやすと追い出さねーよ。まあまだ一五歳だから、正隊員としてあいつ一人で調査に出向くことはさせられん。ただそれだけだ」

 「そ、それで雑用にしたのかよ」

 「ああそうだ」

キキョウはひとつ溜め息をつく。

 「ったく、じゃあ俺は余計なお節介で調査禁止食らったってのか……」

 「そうなるな。まあカッコついたから、いいんじゃねーの」

そのとき傍に居た隊員の男がふと呟いた。

 「そういやグラジオはどこだ?」




 これだけ離れても、食欲をそそる良い香りが漂って来る。微かに聞こえる愉快な音楽も、まだ広場で続いているようだ。今夜だけは、光の玉だけに照らされたいつもの夜よりも一段と明るい。

 気まずくない、と言えば嘘になる。それでもグラジオは帰ってきてしまった。村の少し外れに佇む、あの少女の住む家へ。

 イベリスは今晩もまた窓のすぐ傍に居た。広場から届く賑やかしい情景を五感で楽しむ最中、少年の来訪に気が付き視線を下方へと落とす。少年と少女の瞳は一つに集まった。

 イベリスは少し微笑むと、どこか優しい声で話し掛ける。それは先日のことが心苦しいであろう彼を気遣うような声色だった。

 「あなたは行かなくていいの? 前夜祭はきっと楽しいわよ。美味しい料理もあって、楽しい踊りも見れて、それで――」

 「……君は?」

 「え……?」

 「君はいいの? これで」

グラジオは知ってしまった少女の運命を憂いた。無意識ながらも、少年はどこか歪んだ表情に支配される。それでも彼は、ただ思うままに続けた。

 「君は……君は明日殺されるんだろ? それを知っているんだろ!? なのに、なのにどうして!?」

少年の声色とは対照的に、少女の声色は終始穏やかさを乱さない。

 「私は、大丈夫だから」

 「大丈夫なわけないだろ!? 死ぬことがどれだけ苦しいのか――」

 そのときイベリスは、突如として窓の縁に足を乗せた。そしてなんと彼女は、二階の窓から軽快に外へと飛び出す。颯爽と着地してみせれば、裸足のままグラジオへと駆け寄った。少女はグラジオをあやすように、そっと抱きしめる。

 イベリスの目に映ったグラジオは、あまりに悲しい表情をしていた。それが彼女には耐えきれなかった。母親のような温かい笑顔でイベリスは囁く。

 「私は大丈夫なの。大丈夫。だから、心配しなくていいのよ」

グラジオは突然の出来事に頬を少しだけ赤らめた。表情が穏やかになったのを見ると、イベリスはゆっくりと手を離す。

 「――あのね、私は人間じゃないの。私は『輪廻の血族』。たとえ何度死んでも、赤ん坊になって蘇る。だからね、私が村を守る為の生贄になるべきなの。一度きりの人生を送る人間の女の子が生贄になるくらいなら、たくさんの人生を送る私が生贄にならなきゃ」

そのときイベリスが見せたのは、大人びた口調には似合わぬ愛嬌ある笑顔だった。それでもグラジオには分かる。彼女は嘘をついている。彼女の笑顔の裏には、何かが隠れていると。

 「君は、何年ここで生きているの?」

 「……うーんと。天照守あまてらすが十五年ごとだから、それが二十四回目。だから三六〇年かな」

 「村に来る前は? どこで何をしていたの?」

 「この森と一緒に産まれてから、この森と一緒に生きて。そして死んで。また生きて。そのときは人間よりも、花に近い生き方をしていたかな」

そこでグラジオは、少し口籠もりながらもなんとか尋ねた。

 「君は、今のほうが幸せなの?」

イベリスは少しだけ下を向いて考え込むと、視線を下に逸らしたまま応じた。

 「それはどうだろう……うーん、比べられないかな。どっちにもそれぞれの幸せがあると思う」

 「比べたくない。そうじゃないの?」

少女は黙り込む。内気な少年でも、このときだけは遠慮無しに訴えかけた。

 「殺されるのが、怖くないの?」

 「違うの。私は殺されるんじゃなくて、村のみんなの為に……」

 「君は人間だ。それなら、きっと死ぬのも怖いはずだろ!」

 「それは……えっと……」

 「人生の回数なんて関係ない。人間なら自分の夢のため、志のため、愛のために生きたい。君は……君はそう思わないの――!?」

イベリスは口を歪めると、グラジオの胸に小さな両拳を押しつけた。

 束の間、少女の頬には涙が伝う。まるで押し殺していた何かが溢れ出すような、そんな涙だった。

 「思うよ!! 思うに決まってる!! だって私は人間だもん!! だって……普通の人間の女の子だもん!!」

大人びた声色を失ったイベリスは、そのまま地面へ崩れ落ちそうになった。グラジオは彼女に腕を回すと、それを咄嗟に支える。

 イベリスはか細い声で続けた。

 「私は森に産まれてから、ずっと独りぼっち。この村でようやく人間との出会いを手に入れた。私はもっと、もっと大切に、もっともっと鮮やかに人生を送りたい。たとえそれが村のみんなの為でも、たった一五年に刻まれた人生なんて嫌なの……!」

 一五歳の大人びた少女は、隠し続けた歳相応の本心をグラジオに吐露した。その言葉は、今まさに同じ長さの人生を歩む目の前の少年を動かす。グラジオはイベリスの小さな両手を、日々の仕事で傷に塗れた厚い両手で包み込んだ。

 「僕と一緒に、ここから逃げよう」

イベリスはすぐに応じることができなかった。三六〇年の時を過ごした場所は、彼女の心を深く絡め取る。イベリスに刻まれた大量の記憶は、彼女をここへと縛りつける重たい足枷だった。

 グラジオは言い換える。彼なりの優しさだった。

 「ごめん、間違ってた。今のは無し。僕は今から、君を誘拐する――!」

そして少女の白い腕を掴んだ少年は、暗い森の中へ駆け出した。

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