10.天照守(あまてらす)
その日の村の様子は、つい先日この村へ辿り着いたばかりの調査隊でさえ感じられるほどに、どこか騒がしい。
小さな籠に果物へ詰める女性に、大きな材木を村の中央広場へと運ぶ男たち。子供たちは薪を抱えて駆け回る。まさに村民が一体となり、来たる何かの準備へ精を出した。
暇を持て余すキキョウはいつもと違う村の様子が気になり、ふと近くに居た村人へと尋ねる。
「なああんた、こりゃ一体何の準備なんだ?」
「そうか、調査隊の人は知らなかったな。明日は一五年に一度の式典・
「まーそれはいいけど。でもってよ、こんな大量の材木を一体何に使うってんだ? 豪邸でも建てるつもりか?」
「こいつらは全部、儀式用だ。この後は材木を司祭が全て清めて、聖火台とそれを見下ろせる高さの舞台を組む」
「聖火台を木材で、か。どう考えても燃えちまうだろ」
「それでいいんだ。とにかく大きな炎が必要だから、台ごと燃やしちまう。大きな炎をできるだけ高いところまで届けて、降雨を防ぐんだそうだ」
男の雨を嫌うような発言から、キキョウはようやく気が付いた。
「……そういえば、ここに来てから雲の一つも見ちゃいねーな。そんなに雨を恐れてるのか」
「村の伝承によれば、雨は厄災の元だ。すなわち晴れこそが平和の象徴。現に俺は、生まれてから雨の一つも浴びたことないぜ。なんなら、空から水が降るという現象が実在するのかすら疑わしいね」
「……もはや未知の領域か。よくそれで農業が成り立つもんだ」
キキョウはおもむろに男から材木を奪い取った。
「んじゃ、これ広場まで持ってくぜ」
グラジオはたった一人で村の隅に転がる倒木へと腰掛ける。昨晩、彼は己の掲げた夢の為に隊の規則を破った。そして花にとっての幸福の為に、その一時の夢を捨て去った。結果得られたものは、少女の花を悼む悲痛な表情。そしてキキョウの、強がりながらもどこか苦しみの垣間見える表情だった。
「……グラジオ? 一体何してんの? サボってるわけ?」
突然飛来したのは、まだ幼い声。俯いて足元ばかり映していたグラジオは、聞き覚えのある声の方へ顔を上げる。
彼の瞳には、妙に離れた距離からこちらへ声を掛けるリナリアの姿。彼女は腕を組んで偉そうに振る舞うが、端から見ればそれはただの威張った小娘で違いない。
グラジオは訳も分からず応答した。
「……リナリア?」
「だから何してんのって、聞いてんのよ!」
リナリアはいつもの難癖を付けるときの声色で、こちらへと迫り来る。自分を大きく見せようという心理の表れなのか、彼女は妙に大股で歩を進めるが、グラジオでさえも怯えさせるには至らない。
グラジオはとりあえずの返答を呟いた。
「何って、別に何もしてないよ」
そして彼はまた視線を下に戻す。しかしそこにまで少女の小さな靴が映り込んだ。
「あんた雑用なんだから、サボってないで仕事しなさいよね」
頭の上からは、また棘のある声が降り掛かる。グラジオは渋々と何かの返答を試みるが、うまく言葉が浮かばなかった。きっと心のどこかで、人と話すのを酷く面倒に感じていた。
リナリアは動き出す。彼女は俯いたグラジオの視界から消えると、彼のすぐ横へと腰掛ける。今はそっとしておいて欲しかったが、それはまるで話し相手になってやろうと言わんばかりの距離感だった。
グラジオは黙秘を諦めると、頭を上げてもう一度リナリアへ視線を向ける。余計なお世話には違いないのだが、かえって気が変わった。
「……話、聞いてくれる?」
「し、仕方ないわね。いいわよまったくもう」
リナリアは気乗りしない言い方をしたが、頼られることへの無意識な嬉しさは隠せないでいた。元はといえば彼女から歩み寄ってきたのだから、きっと最初からそのつもりだったのだろう。
それでも察しの悪いグラジオはそんな少女の心遣いに気付くこともできず、簡潔に述べ始める。
「……僕は隊規則を破ったんだ。サンプル品の花を無断で持ち出して、廃棄した」
「ええっー!! 破ったの!? あんたバカなの!?」
リナリアは思わず大きな声を上げた。すかさず焦りながら、自分の口に手を当てる。いつもはグラジオを貶めようとする彼女だが、このときばかりは誰かに聞かれることを恐れていた。
「それでキキョウさんが僕を庇った。だからキキョウさんは今、罰として調査禁止処分中。僕なんかの代わりに」
「……持ち出した花、元に戻さなかったわけ?」
「全部埋めたんだ。ミント色の髪をした少女が言ったように」
そのときリナリアは下を向く。知っていることを言うか言わぬべきか、彼女はただそれを迷った。
グラジオはその様子を見かねて尋ねる。
「どうかしたの?」
リナリアは少し神妙な顔をすると、迷いを捨てる。
「……そのミント色の髪の女の子ってさ、凄ーく白い肌だった?」
グラジオは少し驚いた顔でリナリアを見つめる。
「そう。リナリアも知っているの?」
「いや。会ってはない。けど聞いたの。お父さんから」
「聞いたって、何を?」
リナリアはグラジオに目を合わせず、何とか絞り出して問いに応じた。
「――そのミント髪の女の子はね、もうすぐ死んじゃうの」
いつもの窓際に立つイベリスは、普段と少し違う村の様子をひっそりと眺める。吸い込まれるようにしてそれに見入る彼女が何を思うのか、背後から歩み寄った老婆には分からなかった。それでも老婆は彼女へ声を掛け、現実へと引き戻さなければならない。
「……とうとう、終わってしまうのね」
老婆はまるで自然の摂理であるかのように表現した。きっとそれは、罪悪感からの逃避行。
イベリスは穏便な声色で返答した。
「いいえ、始まるの。ヒペリカ村の人々の、あなたたち人間の命の続きがね」
老婆は見透かされてしまったことに気付いて思わず詫びる。
「……ごめんなさい」
「謝ることはないのです、おば様。あなたは母親として、この私を一五年もの間育ててくれました。それに、最も辛いのはあなたなんです。勿論、私は恨んでなどいません。だから何も背負わず、生きてくださいね」
少女は取り繕うように笑った。
「――明日行われる
リナリアは震えた声でグラジオへ語った。そして少女は、更に父から盗み聞いた言葉をなぞらえる。
「その生贄に選ばれたのは、ミント色の髪をした女の子」
グラジオたちにとって、生贄とはあまりに程遠い文化だった。故に彼は意図せず言葉を詰まらせる。
「生贄……そんなのって……」
ふつふつと混沌の感情が湧き出た。それが怒りなのか悲しみなのか、そもそも何に対しての感情なのかすら分からない。
「そんなの……おかしいだろ? ただの女の子が、そんなことで命を落とすのか?」
リナリアは黙り込む。これほど情動的なグラジオを見たのは初めてだったが、それに驚くような心の余裕は持ち合せてはいなかった。
そしてグラジオは突然腰を上げると、そのまま逃げるように走り出す。
「ちょっと……グラジオ! グラジオ!!」
リナリアは立ち上がって彼の名を呼んだ。それでも彼の背は小さくなってゆく。彼女は彼を止めることができなかった。
太陽はまた落ちてゆく。空が茜色に表情を変えても、村の忙しない雰囲気は続く。木材で組まれた聖火台の完成は近い。すでに組み上がった舞台には、数名の村人によって最後の装飾が施された。
「――ふう。結構時間かかるもんだな」
舞台の側にて。キキョウは汗を拭うと、重力に従って自然落下するように地面へ座り込んだ。村の男も疲労を隠せず、近くの柱へと寄り掛かる。
「これでもあんたらのおかげで、随分と早く作業が進んでるんだ。俺はまだガキだったから覚えてないけど、一五年前は夜になってやっと完成したんだとさ」
「へー。全く大変な伝統をお持ちで」
「村に生きる全ての命を思えば、これくらい楽なもんだ」
イベリスはまた窓の側に立つと、いまだ村の様子をぼんやりと目にする。煌々と燃えるような夕日。少女は意に反して震え始める右手を、すかさず左手で抑え込んだ。
「もう明日になれば私は……イベリスは終わる、のね」
平常心のつもりだった。それでも彼女の震えは、心の深いところで確かに燃え上がる恐怖心を露わにする。
「私は人間の為に死ぬ……私にしかできないことなの……だからこれくらい……なんてこと……」
少女は白く小さな拳をぐっと握りしめた。定められた運命を許容するために。
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