8.始まりの秘境と終わりの秘境

  雲一つ無い空が続く。雲に隠されることなくまん丸な陽がゆっくりと沈んでゆく。スーセンと数人の隊員が乗った馬車がヒペリカ村へと帰ってきたのは、ちょうどその頃だった。

 「お帰りなさい、お父さん!」

リナリアは馬車から降りたスーセンに飛びつく。チューリはそれを微笑ましく見つめた。

 「ただいま、リナリア」

スーセンは笑顔で愛娘に応える。しかしその笑顔は、少しばかりぎこちない。

 色鮮やかな花畑と、そこに佇む一軒の古びた小屋。謎に謎が積み重なった。調査隊にまた一つ、打破すべき壁が立ち塞がったのだ。

 チューリは素人なりに成果を伺ってみた。

 「あなた、調査はどうだったの? 何か見つかった?」

 「それが、またワケの分からんものに出くわしてしまったよ」

複雑な表情を浮かべるスーセン。すると突然、彼は何かを思い出したようにチューリへ尋ねた。

 「そうだ。あいつは、グラジオはどこに居る?」

 「グラジオ? あの子ならきっと、馬車の掃除をしてますよけど」

目の前に自分が居ながら突然グラジオの話を持ち出す父を見たリナリアは、嫉妬心からか頬を膨らませる。スーセンはそんな彼女の頭に手を置いて機嫌を取りながら話を続けた。

 「……そうか。なら明日にするか」

 「グラジオに何をさせるんです?」

 「図鑑に載ってない花を持ち帰った。世界中の花を見ること、それがあいつの夢だ。採取した花のサンプルくらいは、見せてやろうと思ってな。もしかしたら、あいつなら何か分かるかもしれない」

チューリはそれを聞くと、どこか嬉しそうに微笑む。

 「あの子も毎日頑張ってるから、ご褒美ね。きっと喜ぶわ」

そのとき、低く掠れた声が耳に飛びこむ。長老であるカムのものだ。

 「無駄だとも。その花の正体は、村の者でも分かりはしない」

 「おや長老殿。いらしてたのですね」

 「見つけたのだろう、『時届きの花畑』を。そこに自生する花は、全て名をトキバナと言う。それ以上のことはここに居る誰に聞き出そうとも、答えは得られん。全てを知るのは、村の伝承を記した先人のみだ」

 「その伝承を教えていただけますか、長老殿」

 「聞いても無駄だとも」

 「よいのです。単なる好奇心ですからね」

カムは一呼吸を置くと、ゆっくり語り始めた。

 「……大森林・チョウランには二つの秘境がある。その一つは始まりの秘境、そしてもう一つは終わりの秘境。お主たちが見た『時届きの花畑』は、終わりの秘境だ」

 「終わりの……秘境?」

 「トキバナ。それは始まりの秘境から蕾として旅立ち、終わりの秘境で花を咲かす。そうやって一生を遂げるもの。ほら、ここら一面を漂う光の玉も全てトキバナの蕾だ。彼らは終わりの秘境を目指し、長い長い旅をする。それこそ未道なき道を行く、お主たちのように。ここらの蕾が終わりの秘境へと辿り着くのは何年後か、はたまた何百年後かも分からない。いやそれ以前に、辿り着くことができるかすらも分からない。そんな過酷な旅だそうだ」

スーセンはすかさず問う。湯水の如く疑問が生まれるが、まず真っ先に思い浮かんだものを尋ねた。

 「トキバナとは一体何ですか? 始まりの秘境には、何があるのですか?」

 「トキバナは名の通り、時を運ぶ花。始まりの秘境とはこの森のどこかにある、トキバナの蕾が生まれる場所。伝承でも、これ以上のことは語られていない。場所すらも分からない」

 「そう……ですか」

腰の曲がったカムはスーセンを見上げた。

 「君たちは調査隊なのであろう。ならばきっと見つけてくれ。始まりの秘境を」

スーセンは老人の真剣な眼差しを見ると、思わず口角を上げた。調査隊として頼られること、それこそ彼が調査隊としての人生を歩む糧だ。

 「任せてくださいませ。カム殿」

 「――おいおい待て待て。まだ解決してないことあんだろー?」

スーセンの背後には、スケッチブックを抱えたキキョウ。どうやらスーセンに同行していた隊員から取り上げたようだ。キキョウはその中からとある一ページを開くと、それについて物申した。

 「その『時届きの花畑』ってもん、全体図がこれなんだろ。このスケッチの真ん中に、小屋みたいなのがある。これはなんだってんだよ? 明らかにあんたらの先祖が造ったであろう建築物なのに、説明が無かったじゃねーか」

カムは一呼吸置くとゆっくり口を開く。そのとき彼は、少しだけ苦い顔を見せた気がした。

 「……秘境の祝福を受けし者の住まいだ。今はもう使われておらんがな」

 「祝福?」

 「何度死んでも蘇る。永遠の命。人間の少女の姿を模したそれは、輪廻の血族と呼ばれる」

 「……まさか、そんな馬鹿げた話あるかよ」

キキョウはスケッチブックを手放すと、両手を肩の前で小さく横へ広げて茶化すように呟いた。こう見えていっぱしの研究者である彼は、非科学的な現象を信じようとしない人間だ。

 「……君たちに興味を持って貰いたいのは、始まりの秘境のほうだ。祝福の話は、忘れてくれて構わない。それでは失礼する」

 カムはまるで決まりが悪くなったように、その場を去り始めた。踏み固められた土を突く杖の音だけがそこに響く。




 そこからは、あっと言う間に夜が訪れた。グラジオは先程帰還した馬車の清掃をようやく終える。これで全ての馬車清掃が完了した。

 グラジオは最後に掃除したこの馬車で就寝することとなった。『時届きの花畑』なるもので採取されたサンプルやスケッチによって、馬車の中は荷物に埋め尽くされている。グラジオが横になれば、もうそこには文字通り足の踏み場も無い状況だった。あまりにも悪環境な馬車である。それでも彼は、自分が雑用だからと割り切った。

 ヒペリカ村に来てからは、夜間の見張り仕事が無くなった。彼にしてみれば、それだけで大きな救いだ。少し寝床が狭いくらいで文句を垂れるほど傲慢でない。

 いつもなら貴重な夜の時間を削って調査に赴くところだが、今日だけはその狭い寝床に腰を下ろしていた。そして案の定、彼は欲にさいなまれる。

 (み……みてみたい)

 今まさに、彼は新しい発見の可能性を秘めた大量のサンプルに囲まれているのだ。目の前の木箱を開けば、まだ見ぬ何かがあるかもしれない。それでもサンプルへの勝手な接触は厳禁だ。真面目が取り柄の少年は、こんなところで信頼を失うわけにはいかない。

 「諦めて寝よう。それでいい……それでいい……」

グラジオはそう言い聞かせるようにして唱えると、横になって布を被りゆっくりと瞼を閉じた。




 それでも胸の高鳴りはおさまらず、しばし寝付けずに時が過ぎた。そして何時間経ったかも分からなくなってしまった頃、そこに突然鳴り響いた物音。グラジオはとうとう瞼を開くと、その異音に聴覚を集中させた。明らかに虫やネズミの類いではない。そこから少年にじわじわと恐怖がこみ上げる。無意識のうちに、体にかけていたはずの布きれをぎゅっと抱きしめていた。

 金属が擦れる音がひとたび鳴ると、馬車後方の扉が開かれる。小さく軋む音と共に、淡い光が馬車の中へと差し込んだ。物音は、ただの人間のものだった。

 「げ……グラジオ。ここで寝てるやついたのかよ」

 声の主は、キキョウであった。グラジオはその青年の困ったような反応から、彼が何を企んでここへ来たのかをすぐに理解する。

 「キキョウさん……まさか?」

 「……そんなもん、こっそりサンプルを見に来たに決まってんだろ。まぁ任せとけ。こちとら常習犯だからよ」

キキョウは悪い笑顔を見せると、躊躇なく狭い馬車の中へ入ってくる。

 「ちょっと……! もしバレたら、僕が真っ先に疑われるんですから……!」

 「……なら、共犯になるか?」

どこかで期待していた言葉が返ってきてしまった。グラジオは少しだけ迷ったフリをしたが、首を縦に振る。

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