7.同じ景色を見せて

  この日、スーセンと隊員の数名は一台へ馬車に乗り込むと、村から少し離れた地点への探索に出発した。村を出てからずいぶん長いこと腰を下ろして腰に違和感を覚えるころ、ある隊員は何かに気づいてふと呟いた。

 「あれ、坂道か?」

体が馬車の後ろの方へと引っ張られる感覚。坂を登っているらしい。スーセンは右手の包帯を交換しながらも、その隊員に返答する。

 「……そういえば、この森に入ってから坂道に出くわしたのは初めてだな」

 「ええ。森に入って今までは、平坦な道ばかりでしたから」

 別の隊員はスーセンの右手を見つめると、耐えきれずに尋ねた。

 「ところで隊長……その右手本当に大丈夫なんでしょうね? 本当に動くんです……?」

ちょうど包帯を巻き終えたスーセンは、手を胸のあたりまで挙げるとそれをゆっくり動かしてみせる。

 「ああ。きっと時間が経てば治るだろうよ」

 「何もそこまでしなくてもよかったのに……」




 ヒペリカ村にて。残された隊員たちは村民への技術提供の合間に、一冊の皺だらけの手帳を囲んでいた。千鳥足のキキョウがつい先程なんとか持ち帰ったものである。

 村に辿り着いて手帳を渡すと、結局キキョウは突っ伏して死んだようにして寝った。隊員たちは受け取った手帳をめくりながら口々に話す。

 「なるほど、光の玉と水の粒の観察か……同じ個体を寝ずに一人で丸二日も追ってたのか。そりゃーぶっ倒れるわな」

 「どれどれ……光の玉は浮遊して自由に動き回る。進行方向や浮遊高度に規則性は見受けられない。障害物を避けたりするような意思のある行動も見受けられない。無生物だろうか。多少の個体差あり……なんだよ。張り切って持って帰ってきた割には、そこまでって感じの内容だな」

辛辣な隊員の横から身を乗り出してきた別の隊員は、次のページを読み上げる。

 「水の粒は光の玉を追いかけるように活動する。その過程で木や植物に衝突し水滴となる個体あり。水滴となった水の粒が再び空中に漂うことはなく、そのまま蒸発する。別個体の観察に移行したが、同様に地面と衝突。水滴へ変化。土が恒常的に湿っているのはこの影響か」

 「……なるほど、でもそれなりにいい考察じゃんか。肝心な根拠はないけど」

 そのとき突然キキョウは、息を吹き返したように目を覚ました。

 「おいおい、ちょっと待て。隊長はどこ行った??」

 「あ、そっか。お前ずっとここ数日ずっと森に居たから知らないんだな。隊長たちは今朝から馬車を一台出して、少し遠くまで調査に出向いてるぜ」

 「……俺、置いてかれたのか」

 「お前は村に居なかったんだから仕方ないだろ。てかどっちにしろ、まだ若者のお前は連れてかれてねーよ」




 「……なんだ、これは」

 ようやく坂を上り終えたとき、スーセンたちの乗る馬車はその足を止めた。隊員たちは思わず馬車から飛び降りる。そこに広がるのは、今まで見てきた何よりも"秘境"という言葉の似合う花畑。長い坂を登ったその先、巨木がひしめき合う大森林を抜けたとき、そこに敷かれていたのはまるでこの世界の色彩を全て集めたような絨毯だった。そんな広大な花畑とは対照的に、中央にぽつりと佇むのは古びた淡泊な小屋。材木は至る所が腐食しており、つたや苔が張り付いている。遠くからでも分かるほどの年季の入り具合だった。

 「ここは本当に、森の中なのか?」

スーセンは息を呑んだ。森の中を丸くすっぽりとくり抜いたような、この円の中だけで鮮やかな虹色が揺れている。

 彼らは可能な限り花を踏まぬように留意して、中央の小屋へと歩を進めた。小屋に近づけば近づくほど、混ざり合った花の甘い香りに包まれる。

 「隊長。この花、図鑑には載っていないようです」

一本の花の前でしゃがみ込んだ隊員は呟く。スーセンはそれを横目に見て返した。

 「それだけじゃない。ここに咲いてる花は、どいつもこいつも違う見た目をしている。色も形も何もかも。十人十色どころじゃ済まないくらいだ」

スーセンはそのまま歩き続けると、小屋の目前で立ち止まる。そして迷うことなく、腐食し変色した木製の扉のノブを握った。案の定鍵はかかっていない。彼は迷わずそれを開いた。

 立て付けが悪いのか、こじ開けるには相当の力が必要だった。それでも全力を注ぎ込めば、扉はようやく嫌な音を立てながら開かれた。壊さないようにそっとノブから手を離すと、そこでようやくスーセンは小屋の中の全貌を目にする。

 小屋の中では、古めかしい家具が時の流れに殺されていた。つたの巻き付いたデスク。脚が腐り落ちて、無気力に倒れ込む椅子。至る所が緑の苔で覆われた床。亀裂だらけの壁や屋根からは、かすかに太陽光が差し込んでいる。小屋として建っているのが不思議なほど、そこは緑に侵食されていた。

 そして何より異質なものがそこにはあった。それは小屋の中心に埋めこまれたような、中央が少しだけくぼんだ平たい石。大きさは揺り籠くらいの大きさだろうか。

 「人間が住んでたのか……ここで」

 「これだけ植物に好き勝手されているのだから、使われていたのは数百年前……いやもっと前かもしれんな」

スーセンはしゃがみ込んで岩に手を回すと、それを力一杯持ち上げようとしてみる。隊員の男はそこへ駆けつけ力を貸したが、それも無駄だった。

 「……ダメだ。こりゃあ完全に地中まで埋まってやがるな。にしてもどうして、こんなものが室内にあるんだか。家の中じゃ邪魔だろうに」

 「あえてこの石を包むようにして小屋を建立した、ということでしょうね」




 ヒペリカ村。少女の住む小さな家にて。

 イベリスはベッドに腰掛けたまま、読み飽きた書物のページを軽快にめくってゆく。羅列された文字の中からまだ知らない何かを求めて、彼女は進んだ。それでもその書物は、あっと言う間に最後のページを彼女の目に映し出す。やはり、何も得られなかった。

 「……」

 イベリスは分厚い本をベッドに置き去りにすると立ち上がる。おもむろに自室の扉を開けばその先には、彼女が惹かれて止まない窓。反対側には一階へと繋がる階段があるが、彼女はここを通るたびいつも窓の前へと引き寄せられてしまう。

 窓の側に置かれた戸棚の上。そこにぽつりと佇む花瓶に視線を移したとき、新しい花がやって来ていたことに気がついた。そこにいたのは紫色の小さなスミレ。きっと老婆が置いてくれたのだろう。イベリスはそことへ歩み寄ると、そのスミレをそっと花瓶から引き上げる。少しだけ持ち上げたまま、水が滴りきるのを待つと、それをすっと顔まで引き寄せた。少女はもう一方の手もスミレに添えて、ゆっくりと目を閉じてみる。

 少女に流れ込んでくる景色は、手に抱えた小さな花の記憶。心地良い暖かな風と、慣れ親しんだ陽の香り。喧騒な虫の鳴き声。エメラルドグリーンの木々は、風に揺られて葉を踊らせる。ずっとそこへ居たくなるような、のどかな景色が少女へと押し寄せた。

 「……そう。あなたもこの森の子だったのね。ごめんね、こんなところに連れてきちゃって。きっと、これほどにも素敵な故郷が大好きだったでしょうに」

イベリスはその小さな花を優しく花瓶に戻してやった。

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