6.その出会いは、少年へ何かをもたらした。

 バルディア調査隊はヒペリカ村へ、大陸の都市部に知られる先進技術をもたらした。そしてその対価として、村の中央広場への馬車停泊が正式に認可される。調査隊には当番制が敷かれ、半数の者が調査に赴きながら、残り半数の者が村に残って技術の継承に注力することとなった。




 大森林・チョウランで迎える夜の数も、ついには数え忘れ始めた頃。

 グラジオはこの日の仕事をようやく全て終えた。村を出ればそこには無数の未知が待ち構えているというのに、彼に村を離れる機会は一度たりとも訪れない。雑用という立場である以上、それは必然だと分かっていた。しかしそんなことで、未知への好奇心など捨て去れるはずもない。

 その無視できぬ好奇心に応えるべく、グラジオは幾度と夜の村を散策する。早く寝床に入って明日の激務に備えるべきなのは重々承知なのだか、彼の自由に使える時間はここしか無かった。貴重な休息の時間を裂いてまでも、あるいは明日数え切れないほどの欠伸あくびに見舞われようとも、少年は渇望を満たすべく動く。

 与えられた時間は短い。それでもグラジオは村の中で観測できた事象を書き起こし、どんな些細なものをにも着目した。レポート用紙上の筆が捗る。しかしながら、以前隊員から盗み聞いた話以上の発見に恵まれることは無かった。

 「……今日も成果なし。新種の花、光の玉の手掛かり。何でもいいのに、何一つ見えてこない」

 家の灯りも全て消えてしまった深い暗闇の中、時折漂う光の玉と月明かりだけを頼りに、グラジオは村を徘徊する。思い返せばここ最近は、毎日ずっと同じことを繰り返していた。

 そしてついに少年は新しい何かを発見する。しかしそれは彼の求めていた未知の解明への手掛かりではなく、ふとこちらを覗き下ろすような微かなる視線だった。

 グラジオは反射的にその視線の方向へ体を向ける。そこに居たのは、二階の窓からこちらを不思議そうに伺う少女。辺りには幸いにも光の玉が漂っており、それに照らされた人影がぼんやりと浮かんだ。

 その少女は深夜にも関わらず、感情も見えないような淡い顔色でこちらを眺める。まるで彼女もまた、新しい何かの発見に心酔しているように。

 奇抜な外見、グラジオから見た少女の第一印象だった。淡いミント色の髪に、夜の暗がりで一層際立つ病的に白い肌。あまりに見慣れない容姿には、神秘的な美しささえ感じる。気付けば少年は、その不可思議な少女へ釘付けにされていた。

 「き……君は……?」

 あまりに目が合い続けるので、グラジオはつい声を掛ける。人見知りな彼は、自分が他人へ声を掛けたことへ後になってから驚愕した。その驚きも束の間、彼は足を止めることもできず、ゆっくりと一歩ずつ少女の方へと歩み寄る。これから何を話せばいいのか、何を尋ねれば会話が上手く成立するだろうか、そんな人見知り特有の不安さえ忘れてしまうほどに。

 呆然としていた少女は、ついに我へ帰る。そこでようやく自分が他人から話し掛けられたことへ驚いた。次第にその驚きは喜びへと移り変わったようで、少女はじわじわと口角を上げる。ついにはその問いに応じるべく、小さな口を開いた。

 しかしながら、ついに少女が言葉を発するその寸前、まるでそこだけ時間が止まってしまったかのように少女は停止する。彼女は応じなかったのではなく、応じることが許されないということを思い出した。単なる意地悪ではなく、秘めたる使命感の表れだった。

 彼女は噛みしめるような歪んだ表情で俯くと、そのまま窓を閉ざす。窓が閉ざされれば、すぐにカーテンが少女を隠した。

 グラジオは、逃げるように窓を閉めた少女を不思議に思いながらも、気安く知らない人へ話し掛けた恥ずかしさに打ちひしがれる。そして気づけば少年もまた、逃げるようにその場を後にした。カーテンの奥の小さな人影が、まだ窓のそばに残っていたことも知らずに。




 夜は明けた。連日の調査で疲労困憊な隊員たちは、今日も重たい腰を上げて未知なる命題へと立ち向かう。皆が足並みを揃えて奮い立とうとする中で、足並みを乱す者の存在は朝になってから知れ渡った。

 「で……できたぞお!!」

 調査隊の一員であるキキョウは、森の中で突如大声を上げる。その轟音に驚いた鳥の群れは、一斉に木から飛び立った。

 「夜通し森に潜んだ甲斐があったってもんだ」

 キキョウは手帳にその目で見たものを書き連ねる。右手の筆は、くしゃくしゃの紙の上を忙しなく踊った。




 昨晩は寝床に入るのが随分遅くなったグラジオだったが、どうにか予定通りの時間に目を覚ますことができた。少年は一通りの身支度を終えると、調査隊の足の頼みである馬たちに乾草や藁を与え始める。ヒペリカ村に来てからの日課であった。

 普段車を引いてくれる彼らは、随分と大人しい。最近は村での滞在が続いてのんびりと過ごすことができているのもあってか、より一層穏やかだ。

 「ほら、おまえもよく食べなよ」

 ヒペリカに来てからというもの、彼の主な話し相手は悲しいことに人間ではなく彼らだった。人間ではないから言葉が通じているはずもないので、どうでもいい事でさえ気概なく話せる。グラジオはこの時間をかなり気に入っていた。

 「……なあ、僕は夢見てたのかな? にしては随分と鮮明なんだけどさ……」

 グラジオの頭から離れないのは、昨晩見た不思議な少女の姿。一目惚れした、それを完全に否定することはできない。ただ、彼は自分がもっと別の魅力に目を奪われていた気がした。人間の少女が醸す愛嬌とは違う、まるで美しい花を前にして息を呑むような。きっと彼の感性だけがその差違を理解することができるほどの、ほんとうに些細な違いなのだろう。

 「あの子、僕を見るなりすぐに部屋に戻っていっちゃったんだ」

 「……でもさ。何かに悩んでる、というか迷ってる。苦しい。そんな顔したんだよ」

 はたから見れば恋の相談をしているようだが、相手は所詮馬。グラジオの目前で話を聞かされていた馬は、足下に置かれたご馳走へ釘付けだった。つまるところ少年のもちかけた会話は、本能たる食欲に大敗した。

 「……毎日見に行って怖がられたら嫌だし、またいつか行ってみようかな」

そしてグラジオは元々成立すらしていない会話を、無理矢理終わらせた。




 小さな家に住まう奇異な少女もまた目を覚まし、一日の始まりを迎えた。相変わらず続く快晴。暖かな朝日は、家の中を爽快な光で満たす。

 イベリスはまた二階の窓のそばに居た。そんなとき彼女には、老婆の声が掛けられる。

 「――おはよう、イベリス。よく眠れたかしら?」

 「おばさま、おはようございます。それはもうぐっすりでしたよ」

 「そう、ならよかったわ」

イベリスはふと太陽を見上げた。そのいつもに増して強い日差しに心酔してか、彼女はふとお願いを申し出る。

 「今日は何だかいつもより朝日が気持ち良いの。朝食は抜きにして、しばらく陽を浴びたいのだけど」

 「……なりません。朝食を食べなさい。それに最近、窓の近くに立ちすぎよ。昨日の夜も、自室から出ていたでしょう。あまり目立つことはよしてちょうだい」

 「……わかりました。ごめんなさい。でもやっぱり食事は苦手なの。水を一杯だけ、いただくわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る