5.ヒペリカ村

「呼吸が荒い。顔の火照り具合から熱もあるだろう。これを飲ませるといい」

 バルディアは懐から革製の小袋を不器用な左手で取り出した。その袋の口を開くと、血まみれの右手に持ち替えて左手で中身をつまみあげる。ひとつまみの粉末がスセーンの指に積もった。

 「生薬を配合したものだ。解熱を早め、呼吸を安定させる。飲ませればすぐに効く優れ物だ。さあ」

赤ん坊を抱える母親は不安げな顔をしながらも、その男のあまりに真っ直ぐな瞳を目の当たりにして疑うことはできなかった。彼女は両腕を少し伸ばし、赤ん坊の口元をバルディアのほうへと向ける。

 「少し苦いだろうが、我慢してくれよ」

 バルディアは赤ん坊の口へ粉末を流し込む。続けて、動物の胃袋で出来た水筒から少しの水を赤ん坊の口へと垂らした。

 赤ん坊の眉間には少しばかり皺がよった。それでもしばらくすると、苦みが引いたのか苦悶の表情はすっと安らいだ。束の間赤ん坊は、安定した呼吸を取り戻し始める。

 近くでその様子を目の当たりにした人々は、魔法とも思える光景に唖然とした。閉鎖的なこの村に薬という文明は発達していない。だからこそ彼らは、これほどまでに驚いた。

 バルディアはふと村を見渡す。すると早速、とあるものが彼の目に留まった。

 「そこのご老人、あそこにあるのは畑ですかな?」

 「え……ええ。あそこでは芋を作っておるが……?」

 「あれでは土の耕しが不十分です。それに無策では虫の被害も多いでしょう。流行病はやりやまいも心配です。私の知る農業技術を用いれば、掌くらいの芋が取れますよ」

バルディアは続けてそこら中に生えた建物を瞳に映した。

 「にしてもここの家は、木造な上に随分と造りが粗い。きっと雨漏れも多いでしょう……と思ったが腐食してる感じは無いか。雨が少ない気候なのか……いやそれでも、耐久性は不安です。現代では、煉瓦や石で家屋を建立するのが主流ですよ」

 長老のカムは好き勝手言い散らすバルディアにしびれを切らし、彼の方へと振り返った。

 「我らは自然と共に生きる、ヒペリカの民。たとえお主らに文明で劣ろうとも、自然に寄り添い慎ましく生きてゆくのだ」

 「長老殿、文明は命を救います。たった今、あの赤ん坊もそうやって救われました。農業の発展は飢餓で死ぬゆく者を、建築技術の向上は家屋の倒壊で失われる命を救うのです」

長老の言葉を食い入るように返すバルディア。言葉一つで人々を惹きつけてしまうのが、隊長であるこの男の才である。

 中央に集まっていた村人たちは、我慢できず口々に話し出した。

 「なああんた、石で家を造るって本当か!? あんな硬い物をどうやって加工するってんだ? 教えておくれよ!」

 「あんたの言うクスリ? ってものがあれば、病気を治せるのか?」

 「ねえおじさん! 畑がもっと上手にできれば、もっとご飯食べられるの??」

駆け寄ってきた少年に屈んだバルディアは、左手で優しく撫でてやる。

 「ああそうだとも、少年。君はいっぱい食べて、大きくなれるんだ」

目を輝かせる少年を前に立ち上がったバルディアは、再び視線を長老へと向けた。

 「これが村民の答えです。村は今このとき、進化を必要としているです」

渋い表情を浮かべる長老。バルディアは続けた。

 「私の隊には、私以上の知識を持った専門家が在籍しています。彼らをここへ連れてきても問題ないですね?」

老人は依然として不服そうだったが、あくまで村民を尊重した。

 「……これが村の者の意思ならば仕方ない」

それは絞り出すような声色であった。




 村に賊が訪れた。略奪が始まり、多くの者が死んでゆく。納戸に身を潜めるイベリスは、いつの間にかそんな脚本を想像していた。しかし、それにしてはずいぶんと静かだ。悲鳴も、賊の醜悪な笑い声も聞こえない。

 鐘が鳴り止みようやく落ち着いた少女は外の様子が気になり、そっと納戸を開いた。右脚から順に床へ降り、そのままゆっくりと自室の扉を開く。

 「イ……イベリス様なりません。お戻りください……!」

武装した男は焦った様子でイベリスにそう告げたが、少女はそれに聞く耳を持たない。そして彼女はいつもの窓際へと向かうのだった。

 窓の奥に広がったその景色は、彼女が今まで目にしたことの無い色彩を纏ったキャンパス。続々と村に立ち入る馬車の隊列。見たことの顔をした人間が、ぞろぞろと村の土を踏みしめている。そしてそれらは今まさに村人たちと打ち解け、共に笑顔を浮かべ言葉を交わしていた。

 「……もし……もしかするなら」

 イベリスの瞳にはその様子がより一層鮮やかに、脚色されて映った。彼女がそのとき何を思ったのかは分からなかったが、男たちは老婆の言いつけを守るためにイベリスへと近づく。

 「イベリス様、お下がりください。奴らに興味を抱いてはなりません」

別の男もそれに続く。

 「この村にはあなた様の力が必要なのです。までは、どうか慎ましく」

少女は男たちによって窓から遠ざけられた。キャンバスから引き剥がされるその少女はそこから一歩づつ退きながらも、その表情は確かに何かから揺れ動かされていた。 

 それでも次第に表情は曇り、彼女は俯いた。そのまま撥条仕掛けのように呟く。

 「……分かっています。私の体ひとつで、村を守れるのならば……」

彼女は何かに葛藤する自分を押し殺した。




 「まったく、どうしてあなたはこうも無茶な事をするの? 下手したらこっちの手、使い物にならなくなっちゃいますよ」

 呆れたような、それでもしっかりと叱りつけるようにバルディアへと語りかけるサルビア。彼女はバルディアの右手の深い傷を覆うように、慣れた手つきで包帯を巻き付けた。

 「すまんすまん。だがこれが結局、最も穏便な手段なんだ。いてて……」

 「まったくもう。利き手は大切にしてください」

 「何も失わずして何も得られない。それが世の理だ。俺の右手何ヶ月分かを失っただけで、他の誰も傷つかずに、この森を調査する為の基盤を手に入れた。安いもんさ」




 ヒペリカ村は突然の訪問者を快く迎え入れた。共に農具を手にする村人と隊員。薬草を手に語らう隊員と、それに熱心な様子で耳を傾ける村人。村の子どもたちとじゃれ合う隊員。そこに突如生まれた出会いは、多くの幸せをもたらしていた。

 「まったくカム爺様。どうしてそんなお顔を?」

カムの孫娘・リカは険しい表情を浮かべる祖父へと近づく。

 「……この顔は生まれつきだ」

長老はあくまでそう誤魔化した。しかしリカに背を向けると、それとなくぼそりと本心を零す。

 「出会いは変化を呼び、変化は不安定を生む。それが理というものだ。そしてわしは村を守るおさとして、それを恐れている」






○ブバルディア

科・属名:アカネ科ブバルディア属

学名:Bouvardia hybrida

和名:ブバルディア

別名:ブバリア、蟹の目(カニノメ)、寒丁字(カンチョウジ)

英名:Bouvardia

原産地:熱帯アメリカ

花言葉:全般「交流」「親交」「情熱」

    英語「enthusiasm(情熱)」


※引用『花言葉-由来』https://hananokotoba.com/

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