3.巡り会いの分岐点
同じ空の下。森の中の小さな村にて。離れに佇む小さな木造の家の二階から窓枠に頬杖を突いて、ぼんやりと空を漂う光の玉を眺める十四歳の少女は、年齢よりも幾分か大人びて見える。
淡いミント色の髪と、異様なほどに白い肌。随分と奇抜な見た目だった。森の外にある普通の街へ出たなら、きっと奇異の目に晒されるだろう。
少女は子供ながらの無邪気な笑顔とは掛け離れた、何かに思い耽るような表情を浮かべる。背後から歩み寄る老婆は、それを案じて少女へと声を掛けた。
「……もうこんな時間ですよ。そろそろ寝ましょう」
その穏やかな声色に、少女は黙って頷いた。彼女は老婆に連れられ、寝室へ入ってゆく。開いたままの窓から絶えず流れ込む涼しい夜風は、彼女の自室と階段を繋ぐ廊下を、ふわりと優しく満たし続けた。
そして雲一つ無い、明るい空が顔を出す。日光は分厚い林冠を懸命に貫いて、僅かながらも光を森に差し込み始めた。
グラジオは冷たい馬車の床に敷かれた薄い布の上で目を覚ます。硬い床のせいで背中が痛むが、それにはもう慣れた。
少年は馬車から降りると空を見上げる。エメラルドグリーンの隙間から微かに顔を出す、純然たる青。ここで彼は、今日もまた引き続き快晴であることを知った。
手の届かない大空から馬車の屋根まで視線を下げれば、そこには見張り番をしながら寝てしまっているキキョウが映った。グラジオは急いで馬車の屋根によじ登ると、その青年の肩を揺らす。
「ちょっとキキョウさん、居眠り見つかったら怒られちゃいますよ……!」
「んあ……寝ちまってた……あ、ありがと。助かった。危うく隊長にドヤされるとこだったぜ」
キキョウは
「まったく、朝昼は暗いってのに夜が意外と明るいもんだから、ついつい安心して寝ちゃってたわ」
彼は宙に舞う無数の光の玉を見ながら言い訳をした。そのままおもむろに立ち上がれば、彼はグラジオの肩に触れて呟く。
「借り、できちまったな。まあいずれ返すぜ」
そしてキキョウは馬車の屋根から飛び降りた。
「――パパ、おはよう」
「――今日も快晴ね、あなた」
とある馬車の中。横になったままのリナリアはふかふかな敷物の上で、目を擦りながら父へと挨拶した。サルビアはそんなリナリアを撫でてやる。既に起床しているバルディアは、その背中を二人へ向けたまま挨拶に応じた。
「ああ、おはよう。二人とも」
彼は早くも隊服を身にまとっていた。あたふたと手荷物の準備を済ませるそんな夫の姿を見て、サルビアは思わず微笑んだ。
「まったく、いくつになっても変わらないのね」
「変わらないって、何がだよ?」
「その少年のような瞳」
「おいおい、背中しか見えやしないだろ」
「見なくても分かるの」
サルビアの微笑みに、バルディアの口元も緩む。彼は笑みを含んだまま訂正した。
「……少年の瞳じゃないさ。男の目だ。男にはどれだけ歳を重ねようとも、衰えぬ好奇心があるのさ」
そう言うと彼は年季の入った安全帽を被る。微笑んだ母を見てリナリアも笑った。彼女は母の真似事をしてみる。
「パパったら、張り切っちゃって」
「おいおいそんなこと言って。リナリアだって楽しみだろう? これからたくさんの"初めて"を発見するんだ。まだこの世界で誰も知らない何かがきっとある」
「うん。楽しみ!」
少女の眠気は吹っ飛ばして飛び起きた。
準備を済ませた隊員が馬車の外に出揃うと、バルディアが彼らの前に立つ。彼は声高らかに宣言した。
「本日から森の更に奥へ進行し、この秘境の謎に迫る為の、新たな手掛かりの獲得を目指す。手頃な土地を発見次第、そこをキャンプ地とし、昨日同様に馬車を停めて別個調査を開始する手はずだ!」
隊員は奮い立つ。
「――今日こそ何か手がかりを!」
「光の玉……森の奥にもやはり同じものが……」
彼らは口々に意気込みを語り始めた。そんなざわめきを貫くように、バルディアは右腕を掲げる。
「それでは出発だ! 皆、馬車に乗れ!!」
隊員たちは、隊長の一声へ応えるよう雄叫びを上げた。
場所は再び、森の中の小さな村にて。目を覚ました
朝の清々しい日差しを浴びる草木。一日の営みを始めんとする村の人々。無邪気に外を走り回る子供たちの声。その全てを羨むように、彼女は窓の向こう側の世界に釘付けになる。
老婆はその様子を窺って声を掛けた。
「あまり、顔を出してはなりませんよ」
「……ええ。分かっています」
その忠告を聞こうとも、少女はそこへ残る。老婆には同じようなことをもう何度も言われているが、少女には辞められなかった。
そして彼女は、どうかこの感動を分かって欲しいと言葉を紡ぐ。
「……飽きないのです。窓枠という名の額縁に収められた、変容し続ける絵画を見ているようで。何度見ても、いつ見ても一つとして同じものは無い。そうして私も、キャンパスを彩る一つの色になってみたいと、思ってしまうのです」
老婆は下を向いた。
「……なりません。あなたが外に出る日は、運命に定められているのですから」
少女は押し黙る。老婆は言葉を結んだ。
「それがあなたの使命なのです」
観念したように、少女は返す。
「……はい。分かっています」
馬車が昨晩のキャンプ地を出発してから、たった数一〇分後の出来事だった。隊列の先頭を往く馬車は、突如としてその足を止める。
「――何事だ?」
先頭車に乗るバルディアは、慌てて馬の手綱を握る
「た、隊長。あれ、道です……道があるんです」
「なに?」
バルディアは側方を覗き込む。そこには草が禿げて土が丸出しになった地面が、確かにはるか奥まで連なっていた。
「これは、獣道の類いではないです……よね?」
「違う。明らかに人間の作った道だ」
前から二番目の馬車に乗っていたキキョウは、前方車両の異変に気づくと、馬車から飛び降りて隊列の先頭まで駆けた。あっと言う間にバルディアの元へ辿り着いたのと同時、側方に開けた道にもすぐに気が付いた。
「隊長、何事だ? ってなんだアレ!?」
バルディアは少し落胆した様子でキキョウへ伝える。
「見ての通り、道だ。それも、人間が作ったやつだな。冒険家としては少々興醒めだが、どうやらこの辺りには、俺たちより先の人間が居たらしい」
バルディアは両手を放り出して苦笑する。てっきり人類未到の地に足を踏み入れた気でいたキキョウもまた、がっくりと肩を落とした。
バルディアは乱れた髪を掻き上げると、どうにか気を取り直す。
「まあいいさ。人間の痕跡ってのは、そこに文明が存在した証拠だ。もし遺跡の一つでもあれば、俺たちの調査の手掛かりになるかもしれない」
そして男は、
「あの道、かなり狭いが、馬車は通れそうか?」
「あれくらいの道幅でしたら、何とか行けます」
「分かった。予定の進路からは少し逸れるが、この道を進んでくれ」
「ええ。承知しました」
バルディアはキキョウを見下ろした。
「さ、お前もさっさと馬車に戻れ。置いてくぞ」
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