ロックンロール・オールナイト

南沼

「俺のひいじいさんはスナイパーだったが、1発で2人仕留めたことがある」とバド・タイラー二等砲手は言った。座席の前に据えられたモニタに齧りつきながら、手元のレバーでカメラの向きや画角を細かく調整しながらの、軽口のつもりだった。

「何べんも聞いたよ」と呆れた口調でイギリス訛りの返答を返すのはフィンリー・ウィルソン二等操縦手だ。ウィルソンもまた、自席の前にある別のスクリーンに集中している。正面のモニタには進行方向にある乾いた砂地とそれにへばりつく様な低い背丈の灌木、時折大きな岩くれが映り、左右のものには上空のドローンからの俯瞰映像やGPSによる位置情報、僚機のステータスなどが所狭しと並んでいる。

「何回おんなじ話すりゃ気が済むんだよ、それとも脳みそがねえのか?」

「うるせえアホ」

 正面にはまだ何も見えない。サン・シモン市街地はまだ砂漠の向こうにあるが、おそらくはそこからたち昇る煙が、何本も空に向かって立ち上り、頂で薄くたなびかせている。先行部隊の爆撃の跡だろう。ドローンから送られてくる映像の中には、自機と僚機が並んで進む先にずらりと並ぶ、破壊された市街地の建築物やアスファルト、そしてそれらとは明らかに異質のオブジェクトがある。やがて自機のカメラからでも捕捉できるだろう。白々とした岩のようにも見えるが、それは違うことをタイラーもウィルソンも、そして2人のやり取りを後ろの席で黙って聞いているジョーイ・サザランド軍曹も知っている。

 それは、怪獣クラムズの死体だ。

「タイラー、それはもしかして、ベトナムの話か?」

 上唇と歯茎の合間に挟んだ噛み煙草を舌で弄びながら、サザランドが訪ねる。

「そうだよ、よく分かったな」

「だからよ。俺たちゃ何べんも聞いてるって言ってんだろ」

「いいじゃねえか何回聞いたって。英雄の話だぜ」

 ハッ、と無精髭まみれの口元を歪めてウィルソンが笑う。

「軍曹、聞きました? 英雄、英雄ですって、言うにこと欠いて」

 後ろを振り返るウィルソンに「集中しろ」と窘めるが、しかしサザランドにもウィルソンの言いたいことは分かる。任務の度に、いや、下手をすれば同じ日にだって何度もタイラーはベトナム帰りの曽祖父の話を自慢げに繰り返すのだ。

「英雄だろうが。天才射撃手さまだ」

 果たして、タイラーは何度となく繰り返したそれを、サザランドの記憶にある通りに一字一句違わず滔々と語りだした。

「1967年、ケサン。風のぬるくて蒸し暑い、夏の午後だ。丘の上に陣取るベトコンどもを、海兵隊は攻めあぐねてた。なんせ向こうにはとびきり腕っこきの狙撃手がいて、ナパーム弾でも黙らせらんねえときた。何昼夜も睨み合いが続いて、そこでスプリングフィールドM1903を担いだひいじいさんが、」

「撃ち殺した狙撃手が妊婦だったってんだろ、どうかしてるぜ」

「うるせえアホ」

「二人とも、いい加減に愉快なケツの穴を閉じろ」

 サザランドが流石に口を出した。

「そろそろだ」

 手元の無線で僚機を呼び出す。

「こちらエレク。目標地点まであと500メートル」

『了解。こっちは異常なしだ。目の前いちめんにクラムズどもの死体が広がってる』

 僚機フリートインディアンの戦車長キース・ベイカー軍曹のだみ声が、無線越しに応えた。

「だろうな。了解」

 それから200メートルも進んだだろうかという頃合い、半ば砂に埋もれるように横たわり、白々と、しかし鈍く陽光を反射する二酸化珪素の外殻が正面のスクリーンに覗いた。


 怪獣は、彗星に乗ってやって来た。

 2035年1月、新年を祝う馬鹿騒ぎに世界人類が現を抜かしている頃、それは起こった。

 なぜそんなお祭り騒ぎになっていたのかと言えば、丁度その頃非周期彗星が太陽系に最接近していたからだ。ローウェル彗星と名付けられたその大彗星の近日点は実に0.2天文単位。初めて対面する、そして今後二度とお目にかからないであろう規模の大彗星の接近。昼も夜もなく天に尾を引くその姿に多くの人は狂喜したが、それはその直後の出来事によって人類が叩き落とされた落差を鑑みれば、地獄の始まりに相応しいと言えるかもしれない。

 ローウェルは地球への最接近に伴い、無数の流星物質を軌道上にばら撒いた。その結果北半球の夜空に突発出現した21世紀最大規模とも評されたケフェウス座流星群には更に多くの人間が踊り狂わんばかりに喜び、それ程でもない数の人間は何かの凶兆ではと訝しみ、そして後者の悲観的予測はおよそ最低最悪の形で的中した。

 流星物質の大半は地表に届くことなく中間層以遠で消失したが、そのうちの1割にも満たない数が北半球の広範囲に、ごく小規模なクレーターを作った。それらの具体的な総数は明らかになっていないが、彼らにとってはそれで必要十分だったというのが大勢の見方だ。

 調査に赴いた最初の事例はアメリカ合衆国アリゾナ州のとある田舎町の老保安官ベンジャミン・ラングで、彼は「穴ぼこの底に何かある。でかくて不細工クラムジーな、真珠みたいなやつだ」という言葉を残して交信を絶った。程なくして、北半球各地で同様の事例が発生した。

 今では最初の保安官の言を採り全世界的にクラムズと呼称されるそれらは、珪素生命体である。恐らく最初の目撃者である保安官が称したように、真珠をそのまま巨大化したような球状卵晶と呼ばれる直径2メートル前後の石英質の球体を割って中から出てくるクラムズは、生まれ落ちた直後から戦闘能力を持つ。全身は二酸化珪素の白っぽい外殻に覆われており、歩行に使う2対の脚と、捕食や掘削、攻撃に使う1対の前肢を胴体に備えている。幼体の頃から概形は変わらないが、アスベストやガラス、シランなどおよそ珪素系化合物であれば何でも栄養として摂取しては成長する。最大で5メートルから6メートル前後の個体が確認されているものの、成長速度はまちまち、最短2年ほどでそこまでの大きさになるという事ぐらいしか分かっていない。

 他にも不明な点は数多くある。ローウェル大彗星の出所は太陽系外縁天体、オールトの雲のどこかとされているが、ではクラムズの生まれ故郷はそこにあるのか。地球上で自然発生することのなかった珪素生命体はそこでどのような進化の過程を経たのか。それに、クラムズたちは個体ごとに微妙な形状の差はあれど、皆鋭く大きな牙を備えた尖った口吻を持つ頭部があり、その下には左右対称の6脚のぶら下がる胴体が、そして巨大な頭部とバランスを取る為の長い尾がある。地球上の生物と、起源を――恐らくは進化の過程も――異にするはずのクラムズ、両者の外見が大型陸棲動物という括りで観れば極めて似通っているのは単なる偶然に過ぎないのか。

 しかし、現在人類が置かれている状況のなかでそれらを探求することは、ほぼ趣味道楽の類として認知されている。大事なのは文字通りの外敵を打ち斃し生き残ることで、その為に知る必要があるのは生態や習性、そして弱点であり、つまるところどうやって身を守りながらそいつらを殺すかだ。

 今では子供ですらが知っているクラムズの生態、それを極言するなれば、炭素生命体――とりわけ中大型動物の鏖殺に尽きる。人類だろうが魚類鳥類昆虫に至るまで一切の差別なく、ある一定のサイズを超える動物に襲い掛かり絶命させる。食料とするのではない。ただ殺すだけだ。前肢で切り裂き、岩石を砕く為にあるはずの牙で噛みちぎる。個体によっては口腔内の噴出口から強アルカリ性の溶解液を吐き出すこともあり、ひとたび浴びてしまえばその粘度の高さから振り払うことも出来ず、骨だけを残して肉をグズグズに溶かす羽目になる。

 しかしクラムズたちの最も恐るべき点は、戦闘力というよりはむしろ驚異的なエネルギー効率と繁殖力、それに支えられた個体数だった。

 クラムズに雌雄の別はなく、個体同士による交合のような行為は確認されていない。ただ体長にして4メートルを超える成熟期を迎えると、珪素の摂取量が格段に跳ね上がる。胴体が大きく膨れ上がり、ある時その箇所をごっそりと自切する。切り離された箇所は概ね球形をしており、1日か2日の間に表面の組織は自然と均されのっぺりとした質感を獲得する。これが球状卵晶と呼ばれる、いわば怪獣の卵だ。球状卵晶を自切した個体は内臓の一部ごとを失うため暫くは活動量が著しく低下するが、それも長くは続かず、やがて大きくへこんだ胴体が元に戻る頃には再び活発な虐殺活動に精を出す。球状卵晶ひとつから産まれる個体はひとつないしふたつではあるものの奇妙な単性生殖のサイクルは短く、早ければ数週間でそれを繰り返す。珪素化合物の摂取量に対して排泄量は少なく、そのエネルギー効率は極めて高いと考えられている。

 おまけに、彼らには原始的ながらも知能がある。遠吠えにも似た低周電磁波で他の個体と連携し、時には砂に隠れ、哀れな犠牲者たちを容赦なく狩った。

 突如地球に現れたを前に、地球人類はそれまで極めた栄華の頂からあっという間に転落せんとしている。いくつもの町が一夜にして連絡を絶ち、都市部でも被害が相次いだ。件の保安官の凄惨な被害を皮切りにして、ほぼ同時に、北半球で人的被害が続出した。都市機能やインフラへの打撃も特筆に値するだろう。特に被害が酷かったのは北米大陸と西南アジア、それに東ヨーロッパの辺りで、これは岩場や砂地が剥き出しの砂漠地帯がクラムズの餌場に最も適している為だと今では分かっている。今や南半球にも陸伝いに被害は広がって、小国の中には殆ど国家の体を成していないものも少なくない。 

 クラムズは、世界各地で爆発的にその数を増やした。あらゆる珪素化合物を糧とし、時には仲間の死体さえ貪って。


 手当たり次第に我らが同胞たちを手に掛ける外宇宙生命体、クラムズ。

 合衆国政府が正式にそう呼称を定める前から、人々は宇宙怪獣をそう呼んだ。ラング保安官の通信記録に残された「不細工な、不格好な」を意味する単語が語源である事は間違いないが、脅威に対する微力ながらの反抗のニュアンスも込められていたかもしれない。

 経緯はどうあれ、人類はそれを、敵の名とした。

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