第六話:暴露

 二〇一二年九月二十一日 金曜日


 暴露ばくろ、という言葉がある。

 読んで字の如く、暴いて露見させるということだ。

 俺にはあえて隠蔽していることなど何もないが、それでもそう、知り合ったばかりの連中が知らない俺の情報をリークされるのは嬉しくないことの方が多いものだ。

 しかし俺に何かを隠しているのであれば、それを暴露してやる、と思うのは当然のことだ。俺を巻き込みたいのなら、何も包み隠さずに、全てを話すのが筋というものだろう。


ながみ

「おわっ!びくったぁ。何だ、新崎しんざき君か……」

 帰り、正門前で詠が下校するのを待ち伏せていたのだが、今日は真面目に部活に勤しんでいるとのことで、屋上で喰らうゲームをこなしつつ、時間を潰したのが功を奏したようだ。さほど待たずして詠を捕まえることができた。

「あのな、少し話がある」

 ぐい、と詠の腕を掴んで俺は言ったのだが、詠はあからさまに訝しげな顔をしている。

「お金なら無いぞ……」

「人聞きの悪いことを言う……。な、誰だ?」

 またコーヒーを奢らせるとでも思っているのか。あれはあれでもう手打ちにしたはずだが、詠も大概女々しい性格の男だな。そもそもお前は俺と友達になろうという努力をしていたのではないのか、と説教でも垂れてやろうかと思ったのだが、詠の背後にどこかで見たことのある女生徒が立っているのを見て諦めた。

「付き合うことになった。新崎君には感謝している」

 そう照れ臭そうに視線を外しながら言った詠の後ろにいたのは、なんと半年前に俺が交際を申し込まれたが断った桜木八重さくらぎやえだった。桜木はぺこりと俺に会釈したが、俺はなんとも居心地の悪い状況に立たされた気分になってしまった。

 いやしかし、これはめでたいことだ。ぜひとも詠を幸せにしてやってくれ。こいつのひねた性格が治るくらいに。そして俺が振ったことなんぞチリほども残さず忘れてくれ。可能性は薄いと踏んでいた詠と桜木二人が幸せになれるのだ。これは大変にめでたいことだ。

 だがしかし、俺は先日、こう詠に伝え、こう思いはしなかったか。

『桜木だって俺のことはすっぱり諦めているかもしれない。もしかしたらOKをもらえる可能性もあるかもしれないだろう』

 もしもそれで巧く行ったとしたら、俺は陰口の叩かれ噂だ。一発くらい殴っても許してほしい。

 そうだ。確かにそう思った。

「ほう、それは何よりだ。おめでとう。祝いに一発殴らせてはくれまいか」

 なので俺は祝辞と要求を一度に詠に伝えてみた。どうだろうか。中々に効率が良い台詞で自分を褒めたくなってきた。

「何でだよ!」

 詠の反応は当然と言えば当然なのだが、全く色々な含みを込めて色々と判らない奴め。結局説明しないと駄目なのか。まぁそれもそうだろうな。あの時はっきりと口で伝えておくべきだったのだ。もちろん半分は冗談でしかないのだが。

「お前は俺が桜木の申し出を断ったと聞いて、俺を逆恨みしたな」

「……」

 視線を逸らしつつ、詠は無言で頷いた。嘘でも吐こうものなら即座に左右の回し蹴りをほぼ同時に放つ俺の必殺技をお見舞いするところだ。

「そして俺の陰口を叩き、新崎聡あきらは嫌な奴だ、大嫌いだと触れ回った。この事実に相違ないな」

 これを桜木嬢が知らなかったとなると、俺は詠の秘密を一つ、暴露したことになる。だがこの暴露には正当な理由があるではないか。なので言わせてもらう。

「……ない。でも判り合っただろ!コーヒー奢ったろ!」

 まぁそれも相違ない。俺はお前のことが少々気に入り始めているし、実際に桜木八重に交際OKを貰ったのは実に喜ばしいことじゃないか。だがしかし、だ。この世に存在する森羅万象、すべての物事には摂理というものが存在するのだ。そこを理解しろ、詠しん

「あぁそうだ。判り合った。だがあれは貴様の言い訳を聞いてやった報酬だ。そうでもなけりゃ俺はお前にやられっ放しだ。そうだろ?」

 結果論ではあるが、俺はこいつらが交際するまでの、大げさに言ってしまえば、橋渡しまでしてやったことになる。なのに俺はと言えば彼女もいない、詠には陰口を叩かれる、挙句迷惑な勧誘にまで巻き込まれる始末だ。文字通りやられっぱなしではないか。俺でなければ盗んだバイクで走り出してしまうかもしれないぞ。

「……わ、判ったよ」

「えっうそ、詠君、新崎君もやめて!」

 元好きだった男が暴力的でがっかりしたか桜木八重。良く知りもしない男に恋慕の情など抱けばこうもなろう。などと妙に悪役気分が盛り上がってきてしまった。しかし本題はそこではない。俺は渡樫慧太わたがしけいたのように話の筋をずらしたまま会話は続けない。そして藤崎尭矢ふじさきたかやほど短気ではないが、関谷香織せきたにかおりほど呑気でもなく、詠慎ほど支離滅裂ではないのだ。

「そうだな。折角できた彼女の目の前で殴られたくはなかろう。俺も心苦しい。ならば俺の話を聞け、詠よ」

「……あ、あぁ、なんだよ」

 観念したのか、詠はすんなりとそう言った。良い傾向だ。話はストレートに、スマートに進んだ方が良い。時には小洒落たユーモアも必要ではあるが、それは時と場合に依るのだ。

「軽音学部のことだ」

「だが断る」

 何だと。頭に来る奴だ。いやまぁ、新しくできた彼女の前で暴露話をされれば腹も立つか。だが同情の余地はないぞ、詠。お前が俺を友達だと思うのならば、ここは対等に行こうじゃないか。

「じゃあ殴らせろ、今すぐにだ」

「嫌だ」

 強情な奴め。何が貴様をそうさせている。今の貴様は完全に勝ち組だぞ。それに比べて俺は負けっぱなしだ。むきになるのも大人気ないが、これでは話の筋が通らない。なのでここはひとつ芝居を打たせてもらう。

「判った」

 俺はくるりと詠に背を向けてそう言った。

「お、おい」

「金輪際話しかけるな。俺とお前は以前の関係に戻る。つまりは絶交ということでいいな」

「えっやだよ!何言ってんの?」

 嫌なのかよ。詠の言葉に思わず不覚にも少し嬉しくなって突っ込みそうになったが、ここはぐっと堪える。

「ならば選べ。俺の話を聞くか、俺に殴られるか、二つに一つだ!」

「なぁに荒い声出してんだよ!」

 振り向いたままなので少々声を高くしたら聞き覚えのない声が飛び込んできた。いい加減慣れてきたな、こういうパターンも。

瀬野口せのぐち君」

「瀬野口弟か」

 瀬野口早香はやか生徒会長の弟だった。出身中学は一緒だったが、クラスが離れていたことが殆どだったので、まともに話すのはこれが初めてだ。瀬野口は男にしては背は低いが、姉に似て中々整った顔立ちをしている。

「何だそれ新崎」

 笑顔で瀬野口は応える。なんだ、良い奴っぽいぞ。俺には真似できない芸当だ。

「や、お前とはまともに話したことがなかったが、こないだお前の姉上とは話したものでな。コーヒーをご馳走になった。宜しく伝えておいてくれ」

「話?姉ちゃんと?」

「あぁ。お前の姉上には悪いが、つまらない話でな」

 喋り方というか、口調は面白かったがな。あの女は例えば恋人ができたとして、その恋人にもあんな口調で話すのだろうか。いや、そんなことなど今はどうでも良かった。

「あぁ、あれか、勧誘の話」

 ふんふんと頷きながら瀬野口は言った。口調が妙に落ち着いているな。それに話しやすい。軽音学部の連中の印象は詠と尭矢さん以外は概ね良いな。

「お、何か知っているのか?」

「まぁな。でも新崎には教えねぇよ」

「はぁ?何で」

 らしからぬ頓狂な声を出してしまった。話しやすいと思ったが、食わせ者か、瀬野口一也かずや

「全部話してもむかつくだけだぜ。やらねんなら知らない方がいい。ま、やるんでも知らない方がいいと思うけどな」

 ぴゅうと口笛でも吹きそうな軽い勢いで瀬野口は言う。

「何だそれは……」

 俺は詠に視線を投げる。いや恐らく詠も知らないことなのだろうとは判っているのだが。

「や、尭矢さんが興味あるなら誘ってみれば?って言ってたからさ……」

 だろうよ。だとしたら、だ。

「詠よ、お前は俺に興味があったのか」

「あったよ」

「気色悪い!略してきしょい!」

 しまった。またしても素っ頓狂な声を上げてしまった。

「そう言う意味じゃないだろ!」

「判っている。で、瀬野口弟」

 話を本筋に戻すのはこの場では俺しかいないようだ。瀬野口は傍観を決め込んでいる。というか成り行きを楽しんでいるようにも見える。

「一也だよ」

「瀬野口弟よ」

 またこのパターンか。俺は過去、親族以外で名前を呼ぶ様な仲になった友人はいない。そもそも今は友人も少ないので、まぁそれも止む無しというところだが。しかし渡樫や瀬野口は違うのだろう。

「強情なのか?」

「相当だよ」

 瀬野口が訊ねて詠が応える。否定はできないが、悔しい。強情というか、良く恥ずかしくないものだ、という感覚の方が大きい。それに先日尭矢さんにも話したが、俺はどうも友達というものの扱いや理解度が良く判っていない。

 は、いた。俺にも名前呼びをする知り合いが。尭矢さんだけは知り合った当初、周りが尭矢としか呼ばなかったせいもあり、俺は正直姓だと思っていたのでそのまま呼んでいたのだ。ちなみにフルネームは高谷正義たかやまさよし、と勝手に想像していた。

「うるさい。名前呼びが恥ずかしいだけだ。それより瀬野口弟よ」

 まったく本題がある時のこの詠の話の本筋をずらしてゆく才能には困ったものだな。特に主題もない話をしているのであれば一向に構わないというよりも、むしろ楽しいと感じるくらいではあるのだが。

「何だよ」

「教えないとは穏やかじゃないぞ」

 言い方も含め、だ。一体全体何があって俺を軽音楽部に勧誘しているのだ。すべて話せば俺の気持ちだってひっくり返ることもあるかもしれない、とは考えないのか。逆にすべてを話せば絶対に俺が反対すると判り切っているのか。

「例えばお前に参加してもらいたくて、必死に勧誘説得して入ったはいいけど全部嘘でしたー、なんてやられたらどうするよ」

 半ば呆れた様子で瀬野口は笑った。つまりは俺が一度断ったから、嘘をついてでも勧誘しようとかそういうことなのだろうか。だとするならばこれは穏やかではない。俺は内心がざわついて行くのを自覚した。

「とりあえず渡樫と詠を殴る。必要とあれば藤崎尭矢も」

 その騙され方がどんなものかにも依るが、程度に依ってだな。

「えー!なんで俺だよ怖ぇよさっきから!」

 いや、お前を殴るのには正当な理由があるはずだが、ここで詠の受け答えをしていては話が進まないので、あえて無視をさせていただく。

「えー呼んだか?つーか何話てんの?あ、聡!喰らいにゆこうぜ!」

 更に迷惑な奴まで乱入してきた。そう言えばここは正門だ。生きとし生ける全ての瀬能学園高等部生徒がここを通るのだ。場所を変えなかった俺が悪い。無視はあまりに可哀想なので一応言葉をかけておく。

「やかましい、ちと黙っていろ」

「……」

「……ちょぉ、新崎君言い過ぎ!」

 どんな表情をしていたのかは判りかねるが、半べそでもかいたのだろう渡樫のフォローに詠が回った。いやもう、お前の相手もしない。少し黙っていてくれ。

「そんな話なのか?」

 俺はきちんと瀬野口に向かってそう言った。

「実際は違う。例えば、つっただろ。お前に感付かれるような例え話は言わねぇよ。教えねぇっつってんだから」

 頭は悪くないらしい。少なくとも渡樫や詠よりは頭は回るようだ。

「それもそうだな。それならばもう一ついいか」

「幾らでも」

 人好きのする笑顔だ。性格もさっぱりしていて実に良い。なのできっぱりすっぱり訊いてしまうとしよう。

「お前個人的には、俺が参加しようがしまいがどうでも良いんだな?」

 そういった話の種の部分を俺に暴露するということは。それを聞いたら誰だって勧誘には乗りたくなくなるだろう。つまり瀬野口個人的には別に俺ではなくても良い、ということだ。

「は?入ってほしいけど」

「……そうなのか」

 意外な言葉が返ってきた。なるほど。軽音楽部のやり方が気に入らないのか、ともかく、俺に入って貰いたいが、俺を入れるために手段を択ばないのはどうなのか、ということなのだろう。

「ただ今言ったみたいにお前が入ってくれたとして、結果騙して入れた、みてぇになっちゃうのが気に食わないだけだ」

「騙すんだな」

 だとしたら絶望的だろう。こんなばかな話を飲む人間などいない。

「違ぇよ。結果騙したみてぇになんのが嫌だ、つってんの」

 そういうことか。

「……判るような気がしないでもないが、そいつはもしかしたら俺の気持ち一つってことになるんじゃないのか」

「まぁそうとも言える」

 やはりな。だとするならばこれは由々しき問題になりかねない。

「……なるほどな」

 ひとまず俺は瀬野口の話に納得する。俺の気持ち次第で騙されたと思うのか、それともわざと騙されてやったんだ、と思えるのか、という話になるのか。つまりは連中の出方と俺の納得の仕方。そんな面倒なことになるのなら、やはりやらない方が良い。何のメリットもなさそうだ。

「詠よ」

「な、何だよ」

 びくり、と詠が俺を見る。

「安心しろ。聞きたいことは聞いた。後はお前を殴るだけだが、今回は貸しにしといてやろう」

 勝ち誇ったように言ってやる。可愛らしい彼女を、それも少なくとも半年以上も前から好きだった女を恋人にできたんだ、この位させてくれよ。

「あ、ありがとうと言えば良いのか」

「そうだな。感謝しろ」

 腕を組んでふんぞり返ってやりたいくらいだ。

「何言ってんだかさっぱり判んねぇよ」

 ぶぅ、と膨れて渡樫が言った。途中から話に入ってきたのだ。当たり前だろう。

「判らなくていいんだ。俺も判ってない。さぁ渡樫、さっさと喰らいに行くぞ」

 話をすり替える。俺はバンドをやる気はないし、軽音楽部に関わる気も失せた。渡樫は喰らいに行きたいのだから、これで良いのだ。

「お!まじで!」

「お前程度の奴なら俺でも面倒見てやれるからな。貴重な情報をありがとう、瀬野口弟」

 そう言って詠と瀬野口に背を向ける。

「一也だよ」

 俺の背にそう瀬野口が言うので、俺はひらりと手だけを上げた。

「瀬野口弟、またな」

 その瞬間、俺の目の前に桜木八重が立ちはだかった。いやそうだ、間違いではない。立ちはだかった。これ以上は行かせない!という体だ。

「あの……!」

「何だ?」

 もじ、っとするので一瞬声を荒げそうになってしまったが、恐らくきっと多分桜木に罪はない。

「詠君を殴らないで」

 それか。面倒な話ではなくて良かった。

「そうしたいのは山々なのだが、それはちょっとできない相談だ」

 わざとそう言ってやる。

「それはちょぉっとで~きない相談ね~」

「渡樫君うるさい」

 ぼそり、と詠が呟いた。は、とした顔で詠を見るが、詠よ、それで良いのか。

「えっなんで?」

 一瞬渡樫をうるさいと言った詠になんで、と問うたのかと思ったほど、桜木の反応は遅かった。

「そういう約束なんだ」

「してないだろ!そんな約束!」

 ち、ばれたか。

「あぁ、そうだったな。俺の中での決めごとだった」

「理不尽……」

 さらに桜木もぼそり、と言った。それを言うなら詠の陰口の方だろう。俺は桜木を傷つけはしたかもしれないが、それでも無用な傷は絶対につけまいと選択したことだ。それなのに詠はそんな俺を陰で罵っていたのだ。どちらが理不尽だと思う?

 そう言って聞かせてやりたかったが、俺は絶対正義主義者ではない。僅かな間違いを言及して正義感に酔う趣味はない。咄嗟に違う言葉をでっちあげる。

「男には、一度決めたら貫かなければならんことがある。女にはそれが判らんのだ」

 く、と拳を握った俺に、再び軽い声がかかった。

「暴力振るう男なんてサイテー。じゃねん、喧嘩すんなよ!」

 五反田衣里ごたんだえり嬢だ。今日は一人で下校らしいがいやに笑顔だな。とんでもない誤解を生みそうな一言を残して足早に去って行く。

「……一応言っておくが暴力ではない」

 これは正当な報酬だと思ってくれ。いや言っても納得はしないだろう。

「じゃあこうしよう新崎君」

「どうせろくでもない提案だとは思うが言ってみろ」

 詠の言葉に割り込んで俺はすかさず言った。

「もしも新崎君が軽音部に入ったら殴らせてくれ。それなら殴られても良い」

「ほほぅ。お前は俺が軽音部に入ると信じている訳だな」

 まったくご苦労なことだ。

「だって楽器預けたんだろ、谷崎たにざき君に」

 びくり、と俺の動きが止まった。

「……何の話だ」

 涼子りょうこさんはわざわざ軽音楽部の連中に鉢合わせしない時間帯に俺の楽器を預かってくれた。だから情報の漏洩は涼子さんでも水沢みずさわでもない。あの場にいたのは尭矢さんだけだ。

「知ってるぞ。メンテナンスのために谷崎君にベース渡したって」

「……あの野郎」

 藤崎尭矢ふじさきたかや、俺のあえて隠蔽していた秘密を暴露しやがったな。許すまじ。いやしかし俺にも隠蔽していた事実があったのをすっかり失念していた。

「言っとくけど尭矢さんじゃねぇぜ」

「何だと?」

 渡樫が軽く言う。危ない。本当に尭矢さんではないとしたら心の中で謝罪はしておく。許せ藤崎尭矢。

「言っとくけど尭矢さんじゃねぇぜ」

 いや判っている。二度も言うな。

「渡樫、何故お前が知っている」

 渡樫が水沢や谷崎に聞いたとしても、あの二人ならば話すことはないはずだ。

たかさんに聞いたんだよ」

「やっぱり尭矢さんじゃないか。自分で何を言っているのか判ってるのか」

 まったく、支離滅裂とはこのことだ。渡樫はたまに頓珍漢なことを言い出す。

「たかや、じゃねぇよ、たか」

「誰だ」

 聞き違えたか。お前を頓珍漢扱いして悪かったな。いやそもそも頓珍漢とは悪口ではないな。謝って損をした。それにしてもたかとは誰だ。

「知らないのか?」

「知らん。有名人なのか?」

 当然知っているんじゃないのか、という口ぶりだ。たかという名だけで思い当たる人物は俺の知り合いの中にはいない。

「マイナー有名人」

「何なんだそれは」

 三流芸人だとかそんなレベルか。いやそうではないな、我が校だとか、この界隈だとか、そういった話だろうが、俺にはさっぱり思い当たる節がない。

「まぁ貴さんだけじゃ判んないか。お前さ-P.S.Y-サイってバンド知ってんだろ?」

「知ってるも何も大ファンだ」

 何を言い出すのかと思えば、だ。-P.S.Y-は俺がバンドを始めてから長年、そして唯一追い続けているバンドだ。結成は一九九九年。俺が四歳の頃だが、中学生になってバンドを始めてから聞き始め、今もずっとハマり続けている。特に俺はベーシストとして、-P.S.Y-のベーシスト、水沢貴之たかゆきを心の師として仰いでいる。彼はドラマーの谷崎諒りょうと、-P.S.Y-の前にはThe Guardian’s Blueガーディアンズブルーというバンドに所属していて、一大ムーブメントを作り上げた偉大な人だ。

「-P.S.Y-のベーシスト」

「水沢貴之だろう。……何を言っている?」

 は、え、何だと?たかさん?水沢貴之だと?待て待て待て、ちょっと待て。

 空恐ろしい想像が俺の脳裏をよぎる。水沢という姓には心当たりがありまくりだ。水沢みふゆに水沢涼子。喫茶店vultureヴォルチャーの看板母娘。聞けば七本槍商店街でも評判の美人母娘らしい。

「涼子さんの旦那さんなんだよ」

「何だって?」

 いや聞こえていた。聞こえていたが、もう一度言ってくれまいか、渡樫慧太。俺の脳裏をよぎった空恐ろしい想像がまさかの事実だったとは思いたくない。

「涼子さんの旦那さんなんだよ」

「……」

 良く言った。こいつの妙な癖もたまには役に立つ。

「その、つまりは、-P.S.Y-のベーシスト、水沢貴之は、水沢涼子の夫であり、水沢みふゆの父親だということか?」

「そう」

 何ということだ。何という事実だ。衝撃の事実の暴露だ。いやこれは公然の秘密なのか。確かに姓は水沢だ。しかし俺は涼子さんの夫が貴之という名前だということは知らなかった。いや知る由もなかった。そして同じく水沢みふゆの父親の名前が水沢貴之だったなどと知る由もない。

「えええええええ!マジか!」

「俺も同じことを言いたい」

 遅ればせながら詠が叫んだ。詠も知らなかったらしいな。しかしそれにしてもそんなことがあるのか。俺が尊敬するベーシストの娘が同級生であり、俺が尊敬するベーシストが最近お気に入りになったばかりの喫茶店の女性店主の夫だったなんて。

「おれは知ってたぜ」

 瀬野口はクールだな。いや既に知っているのであれば当然か。俺も流石に二度は驚けないだろうからな。

「……じゃあやっぱりベースを谷崎君に預けたのはホントだったんじゃないか!」

 そう詠が言ったが誰も嘘だとは言っていない。何の話だと濁しはしたが。更に言うならそのまま誤魔化したかったくらいだが。

「ちなみに谷崎の親は-P.S.Y-のドラマー、谷崎諒さんだ」

 更にとんでもないことを渡樫は言いだした。

「えええええええ!マジか!」

「同じことを以下略だ!」

「おれは知ってたぜ」

 三人揃って同じリアクションだ。いや俺は少し味付けを変えたがな。そこが俺と詠の違うところだ。

「おれは知らなかったからお前も知らなかったと思うけど、貴さんと諒さんはお前が前にいたバンドのこと良く知ってるらしいし、尭矢さんも貴さんや諒さんのことは良く知ってるから、お前がバンドをやめちゃったこともどうやら知ってるらしいぜ」

「何だって?」

 知ってるの知らないの言いすぎだ。渡樫はもう少し情報を整理してから喋る、という訓練をしないとだめだ。つまりは渡樫の言葉をまとめると、水沢貴之や谷崎諒はferseedaフェルシーダのことを良く知っていて、ferseedaのベーシストが新崎聡、つまりこの俺だったということも知っているのだろう。

「おれは知らなかったからお前」

「いやいい。判った。なら説明させてくれ」

 先ほどは役に立ったが、長い台詞をもう一度聞くのも鬱陶しい。俺は渡樫を制してそう言った。この説明を聞いてこいつらが納得するかは判らない。ただ、納得しようがすまいが、説明だけはしておかなければならないだろう。妙な期待を寄せられては困るし、俺は連中に思わせぶりなことをした訳ではないのだから。

「俺は確かに楽器は手放していないし、その楽器を谷崎に預けた。だがそれは、もしも近い将来俺がその気になった場合、楽器がヘタってたら大変だろうという谷崎のありがたい気遣いだ。俺にその気が戻らず、全てから足を洗うと決めたその時は、俺はそのまま谷崎に楽器を売る約束ができている、という話までがワンプレートだ」

 結局涼子さんの気遣いも無駄になってしまったな。水沢貴之め。今まで尊敬していたベーシストナンバーワンだったが是非とも会ってみたい。いかん。俺も思考が支離滅裂だ。

「……そっか」

 しゅん、として詠は下を向いた。男の俺が思うのも気持ち悪い話ではあるのだが、こいつは本当に俺をどうしたいのかまるで判らない。

「ま、そこは新崎の気分次第だけどさ、別に新崎が入らなくったっておれたちはどうとでもなんだろ。新崎の気分が向かなかったから、なんて恨み言は言わねぇから心配すんなよ」

 あっけらかんと瀬野口は言う。そのくらいフランクに構えていてくれると俺も随分と気が楽だ。渡樫も詠も関谷もあれから俺を軽音楽部に誘うような発言はしてこない。しかし恐らくだが、瀬野口早香はまた俺を勧誘しに来ると言っていた。ずっと引っかかってはいるのだが、この温度差は一体何だ。まるで理解ができない。推測も立たない。

「それはおれたちだって同じだよ。なぁ慎」

「……あぁ」

 渡樫の言葉に不承不承詠が頷いた。お前は俺と友達になりたくて、そして一緒にバンドもしたいのだな。それで良いのだな。もう気持ち悪いからそういうことにしておこう。

「じゃあ俺は帰るぞ。いいな?」

 ここに居続けたらまだ会ったことのない伊関至春いぜきしはるにも見つかる可能性は高い。そうなれば関谷や水沢、瀬野口早香や尭矢さんにも見つかる可能性が出てくる。これ以上軽音楽部の連中に囲まれるのは御免蒙りたい。

「何か知らねぇけど慧太と喰らいに行くんじゃないのかよ」

 そうか、瀬野口も渡樫と同じで名前呼びをしたい人間なのだろう。羨ましい男だ。いやそうではなくてだな。

「そうだった。渡樫、行くぞ」

「お、おぅ」

 少々面食らった感じの渡樫にそう声をかけ俺は歩き出した。そうだな、良いことを思いついた。俺は半身になって振り返ると、詠の顔を見てにやり、とした。そして続けざまに声をかける。

「邪魔したな、詠、桜木。末永くお幸せになー」

 更ににやり。

「え?」

「え!」

 瀬野口と詠が顔を見合わせる。後ろで桜木も顔を真っ赤にしている。可愛らしいな。しかしどうだ詠め。照れ臭かろう。これが俺からの最後の暴露だ。思い知れ。

「え、ちょ、なんでそれ」

 いやお前な、二人で歩いていて何を言っている。と心の中だけで突込みは入れておく。しかし流石の瀬野口もこれは知らなかったようで、目をぱちくりさせている。渡樫は知っていたのか、無反応だ。

「ちょぉー!新崎君!」

「じゃあなぁー」

 ははは、気分が良い。ただただ気分が良い。これでお前を殴るのはチャラにしてやろうではないか。

「えええええええ!マジか!」

 隣で渡樫が超喚いた。

 知らなかったんかい。

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