第四話:挟撃

 二〇一二年九月十四日 金曜日


  挟撃きょうげき、という言葉がある。呼んで字の如く挟み撃ちのことだ。

「え、やっ、あぁーん」

 きっと文字だけにしたら随分と悩ましげな声に見えてしまうのであろう声を関谷香織せきたにかおりが上げた。見れば俺の視界の右隅で関谷が倒れて苦しそうにもがいている。しかし俺の目の前にはライオンの五倍位はありそうな大きさの獅子のような怪物が立ちはだかり、挙句怒りで活性化までしているのだ。さらに後ろには何やら人型ではあるが、腕が鳥の翼になっている、やはり人の三倍はありそうな長身の怪物が迫ってきている。正しく挟撃だ。

「人聞きが悪いぞ」

 俺はそう一言呟くと、ダッシュして獅子の怪物の攻撃を躱した。そして急いで関谷の下に駆け寄ると、怪物の隙をついてぽん、と関谷の肩を叩く。

「あ、ご、ごめ……。ありがと」

 見る間に関谷は立ち上がり剣を構えた。俺の体力を関谷に分け与えたため、体力が半減している。回復薬を飲もうと思ったところで何やら怪物がバリバリと稲光のような光を発しているではないか。これはまずい。逃げなければ。

「そろそろバッテリーが尽きる」

 そう言いつつ、怪物の攻撃を躱して回復薬を飲む。飲んだと思ったら急接近してきた鳥の怪物の一撃を喰らい、吹き飛ばされる。大丈夫。まだ体力はある。もう一度薬を飲もうと思ったところで、関谷が剣を銃に変形させて俺を撃った。俺も関谷も持っているのはそういう武器なのだ。更に言うなら盾にも変形する。俺に向かってくる弾丸は緑色の光を発している。つまり回復弾だ。その回復弾を受けると同時に回復薬も飲んで、俺の体力はだいぶ回復した。

「じゃあこれ倒したら終わりにしよ。よぉし」

 そう言いながら関谷はなにやら武器を操作したようだった。

「すまん、助かった。良し、一気に倒そう」

「うん。強い弾に切り替えたからもう手加減ナシだよ」



「はぁ、楽しかった。やっぱりマルチでやると楽しい、ね」

 時は放課後。場所は学校の屋上。我が校は屋上が解放されていて、昼休みや放課後などは生徒が集まるいわゆる憩いの場になっている。その屋上の片隅で俺と関谷は携帯ゲーム機を持ち寄って一緒にゲームをしていたのだ。何故そんなことになったのかというと、携帯ゲーム機に備わっている通信機能で協力プレイができるこのゲームを、関谷が一緒にやりたいと言い出したからだ。

 先日、学校帰りに一緒にゲーム屋へ行った時に、お互い同じゲームが好きなことが判明して、一緒にやろうということになった。俺はこのゲームを始めて九十時間足らずだが、関谷は千六百時間もプレイしていて、キャラクターの強さには相当の開きがあった。なので今日は殆ど関谷には助けられっぱなしだった。

「何だ?」

 そんなことを考えつつも関谷が語尾を言い淀んだような気がしたのでそこを訊いてみた。

「え、あ、楽しかったの、わ、わたしだけだったら悪いな、って……」

 妙なことを気にする奴だ。俺と関谷はきちんと話すようになって僅か数日だ。だからそんな数日で俺のことをすべて判れなどとは言わない。けれど、俺が嫌なことはやらない主義なのは既に判っているだろうに。

「心配するな。楽しかった。おかげでレア素材も手に入ったから武器の強化ができる。ありがとうな」

「あ、う、うん」

 かぁ、と赤面して関谷は俯いた。俺も少しではあるが関谷のことは判ってきた。関谷はこちらが感心したり感謝の気持ちを出すとすぐに赤面するのだ。赤面症というほどではないとは思うのだが、こうぽっぽと頬を赤らめられては何やら勘違いをしてしまいそうだ。

「また頼めるか?」

 一応フォローも入れておく。ここ数日で思ったことだが、どうも関谷は自分を低く見積もっているような気がする。いわゆる「わたしなんて……」というやつだ。関谷は可愛いのだからもっと自信を持てば良いと思うのだが関谷の性格上、それもまた難しいことなのだろう。

「もちろん!」

「よし、じゃあまたやろう」

 そう可愛らしい笑顔になってくれたので、俺はその笑顔にひとまず満足する。

「充電気にしないでできる場所があったらいいのに……」

「まぁそうだな」

 携帯ゲーム機のバッテリー容量はさほど多くはない。その上通信プレイまでしていては、一人でゲームをしている時よりも早く電池を消費する。実質一時間と少しだろうか。一人でやっている時は充電器に接続しっぱなしで晩飯を済ませて寝る直前まで、五時間近くやっているので、物足りないのは関谷も同じなのだろう。

「うちでやればいいじゃない」

「おぉ!」

「わ!み、みふゆちゃん!」

 突然頭上から声がかかったので思わず驚いてしまった。関谷が呼んだ通り、俺たちの目の前にはういつの間にか水沢みずさわみふゆが立っていた。

新崎しんざき君と香織ちゃんが仲良しだったなんて知らなかった」

 実に罪のない笑顔で水沢はそう言った。確か渡樫わたがしと喫茶店に行った時もそんなことを言っていたが、仲良しなどという言葉は今日日中々使わない。

「な、な……」

「俺は構わんが関谷に失礼だぞ」

 正しく関谷が言葉を失っていたので俺が先手を打った。逆説というやつだ。俺が思うところの関谷は心のどこかで「わたしなんて……」と思っている節がある。だからそれを俺の方から言ってやる。俺なんかと仲良しだなんて関谷が気を悪くする、と。

「そんなことない!」

「おぉ!」

 今度は関谷が突然大きな声を上げたのでまた驚いてしまった。

「あ、そ、そんなことない、よ」

 普通に考えればそうだろう。関谷の自信の無さは今一つ理解できないが、俺が他人から好かれにくい性格であろうことは自覚している。なので関谷のこの言葉はありがたく受け取っておくことにした。

「だって、新崎君」

「まぁそれなら構わんが……。喫茶店でゲームなんかしていたら迷惑だろう」

 ファストフード店ではゲームプレイの禁止をしている店まであるという。それはこのゲームではなく、怪物を狩る、いや、このゲームも怪物を狩るゲームではあるのだが、もっと一大ムーブメントになったビーストハンターというゲームのせいらしい。

「でもやってる人いるよ。時々お母さんも混ざってやってるくらいだもん」

「そ、そうなのか」

 あの涼子りょうこさんがこんな庶民の趣味に勤しんでいるとは中々想像し難い。

「みふゆちゃんも持ってるよね」

「ほう」

 それは良いことを聞いた。もしそうならば是非、こんなオープンスペースではなく、あまり人目につかないところでやりたいものだ。

 関谷香織と水沢みふゆをはべらせてるぜあの男。

 そんな噂が立ってしまったら俺はもう学校に行けなくなってしまうかもしれない。そうだ、水沢の家、vultureヴォルチャーであればここよりはいくらか見つかる可能性は低そうだ。

「うん。私も今度交ぜて」

「それは構わんが、水沢よ」

 ならば訊いておかなければならないことがある。

「ん?」

「何時間くらいやってるんだ?」

 もしも俺よりキャラクターが弱いとなると、俺まで水沢のフォローをしなければならなくなる。

「千時間くらいかな」

 なんと。水沢も相当なゲーム好きと見える。

「是非頼む」

 ぺこりと頭を下げて俺は言った。はべらすどころか真逆。つまり俺は二人におんぶに抱っこということになる訳だ。

「じゃあこれからウチこない?」

「これからか。俺は構わんが関谷は時間、大丈夫なのか?」

 腕時計を確認する。時間にして一七時五〇分だ。俺は一人暮らしだから門限などはないし、気ままに毎日を過ごしているが、関谷はそうではないだろう。

「うん!大丈夫!」

 大丈夫なのか。いや良く良く考えてみれば部活動をしていればもっと遅くなることもあろう。自分の狭い範疇だけで物事を考えていてはそう、あれだ、ながみのようになってしまう。

「あ、でも営業じゃないからね。お店じゃなくて私んち」

「は?」

「私の家でやろっていう話」

 そうか。気持ちは判らないでもないな。同級生を店に呼ぶ、つまり金を使わせるということに繋がってしまうのか。俺はvultureのコーヒーならばいつでも飲みに行きたいほどだから何とも思わないが、過去にそれで嫌な経験があったのかもしれない。だがしかし、俺は別の観点でそれには賛成できない。

「……聞くが水沢。一応聞き及んではいるが、お前には彼氏がいるな?」

「あ、うん。知ってるんだ」

 ぽ、と頬を赤らめて水沢は恥ずかしそうに言った。何という可愛らしさだ。いや、そうではなくてだな。

「他意はないが気を悪くしたら済まん。が、聞いてくれ。俺とお前はきちんと知り合ってまだ数日だ。そんな奴がお前の家に遊びに行ったとしたら、その彼氏が気を悪くするだろう。店でやっていいのなら店の方に行く」

「大丈夫だよ」

「何が大丈夫なんだ」

 元々関谷とは親しいのだろうから、関谷が呼ばれるのはまだ判る。それのオマケで俺も、という感覚なのだろうが、世の中には詠のように早とちって突っ走る奴もいるのだ。

「新崎君も知ってる人だしね」

「そうなのか?」

 俺の知っている人間。それを水沢は関谷に言ったようなので、俺は関谷にそれを訊いた。

「うん。谷崎愁たにざきしゅう君」

「谷崎!」

 関谷の口から知っている名が出たので三度俺は驚いた。

「愁君のことは良く知ってるでしょ?」

「まぁ去年同じクラスだったし、スタジオじゃ何度も顔を合わせてたからな」

 それでも谷崎の彼女が水沢だとは知らなかったし、友達とは呼べないだろう。谷崎は超が付くほどお人好しだ。家は楽器店兼リハーサルスタジオを経営している。俺は以前そのスタジオを利用していたし、谷崎は店の職務では楽器のリペアマンを目指しているらしく、俺のベースのメンテナンスをただでしてくれたこともあった。

「新崎君がバンド辞めちゃったの知って残念がってた」

「そうか。今度顔は見せに行こう」

 簡単な感想しか出ないが、おっとりしていて優しさが滲み出ているような奴だ。ああいう奴を嫌う人間は中々いないだろう。

「うん。そうしてあげて」

「だが今日のところは店にしておく。家の方に遊びに行くのだとしたら、水沢から谷崎にきちんと話を通すか、谷崎が同席するかの時にしよう」

 水沢がそこまでこのゲームをやり込んでいるということは、恐らく谷崎も同じゲームを持っていることだろう。だとすれば簡単な話だ。俺にとって谷崎は渡樫や詠よりも近しい存在だ。一緒にゲームをして遊ぶという機会を作れば良いだけのことだ。

「うん判った。じゃあお店の方、行こ」

 そう水沢が言って、スカートの裾を翻した。



「まさかハメた訳じゃあるまいな、水沢……」

「ち、違う違う、偶然だよ」

 喫茶店vultureについて僅か三十分後。俺は言って恨めし気な視線を水沢に送った。

「本当に?」

 苦笑する水沢を他所に、今度は関谷に。

「何言ってんだあきら

 左隣には渡樫わたがし。今日は部活に出ていない。そもそも男子部員はバンドとしてはメンバーが欠けているので止む無きことではあるのだろうが。それでも後輩に示しがつかないなどということはないのだろうか。いやそれよりも。

「名前呼びか、渡樫」

 こそばゆい。そんな呼び方など親か親戚しかしない。悪い気はしないがどうにも座りが悪い。

「いいだろ。おれはその方が座りがいんだよ。だからお前も名前で呼んでくれ」

「断る」

 お前の座りが良いことは多分俺には座りが悪い。済まないがその要求には応じられない。それに呼ばれるのはまだ相手が勝手に呼んでいるだけなので構わないが、こちらから呼ぶのは何とも気恥ずかしい。正直無理だ。

「出たよ!まったくお前はよー」

 渡樫もここ数日で俺の性格を把握してきたようだ。実に良い傾向だ。

慧太けいたの名前呼びはともかくとして、こちらからの協力要請は一切応じないということだな、新崎君」

 そう言ったのは我が瀬能学園高等部三年、瀬野口早香せのぐちはやか生徒会長だ。渡樫とは反対の右隣からそう声をかけてくる。何故俺は軽音楽部の人間に挟撃されているのだ。

「正確に言えば応じられない、ということになりますが」

 俺はそう言ってモカを一口。うむ、良いコクだ。つい先ほどまで俺と関谷と水沢で楽しくゲームをしていたというのに。ぼんやりと先ほどゲームの中で獅子の怪物と鳥の怪物に挟撃されたことを思い出した。どうしてこうなった。

「応じるだけの技能はあると聞いている」

 誰だそんな無責任なことをほざいたのは。いや、知れている。

「……」

 俺はじっと関谷と水沢を見詰めた。俺のベースを直に聴いたことがあるのはこの二人だけだ。

「わ、わたしじゃない!よ!」

 あう、と後ずされるならば後ずさっていただろう口調で関谷は言った。そんなに険しい表情はしていないはずだが。

「私でもないよ」

 水沢も苦笑して手をパタパタと振る。ならば、軽音学部にはもう一人、俺のベースを聞いたことがある奴がいる。考えてみれば一番可能性の有りそうな話ではないか。

尭矢たかやさんか。もしかしてここ最近の勧誘騒ぎは、尭矢さんも噛んでるんですか」

「そう言うことだ。藤崎ふじさきは君のことを良く知っているようだった」

 俺の言葉に瀬野口は頷いた。藤崎尭矢は一つ年上の三年生だ。

「良く知っているなんて大仰でしょう。スタジオで顔を合わせていたのと、時々対バンで一緒になっただけです」

 それほど親しくはない。別段俺は尭矢さんが嫌いと言う訳ではないが、傲岸不遜と言う言葉は尭矢さんにこそ相応しい言葉だと俺は思っている。

「中学からの付き合いだと聞いているが」

 それも知っているのか。ただそれほど親しいという訳ではないのは本当のことだ。事実俺は尭矢さんの携帯電話の番号もメールアドレスも知らない。

「そうですけど、だからと言って親しい訳ではないです。事実先輩の弟とは話したこともない」

 瀬野口一也かずやは中学が同じだったが、三年間同じクラスにはならなかったし、合同授業でも一緒になったことはなかったので一度も話さなかったはずだ。

「らしいな。君がバンドをやっている、くらいしか知らなかった」

「程度の問題とはいえ尭矢さんとだってその程度ですよ」

「向こうはそうは思っていないようだったがな」

 くく、と楽しそうに瀬野口生徒会長は笑った。それにしても彼女のこの口調は何とかならないものか。俺も少々浮世離れしているとでも言えば良いのか、軽い口語で話すタイプではないが、瀬野口先輩はまるでゲームや漫画の中で出てくる女司令官のような口調だ。そういえば先ほどのゲームにも女教官がいて、こんな口ぶりで話していたような気がする。

「俺はその程度です」

「そうか」

 おかしい。俺は尭矢さんからバンドに誘われたことなど一度もない。それはお互いにメインのバンドがあったせいもあるのだろうが、俺はもうバンドを辞めて半年だ。その半年の間に一度も声はかかっていない。つまりはこの勧誘騒動の黒幕は尭矢さんではないということだ。

「時に軽音部の部長は誰なんですか」

 だとするならば、軽音学部の中心人物だろうか。

「今ここにはいない。私の親友の伊関至春いぜきしはるという人間だ。彼女の名誉のために言っておくが、この件は彼女の指示でも発案でもない。大体の物事は私が決めてしまっているからな」

 だとすると、瀬野口先輩は最初から俺のことを知っていたのか。渡樫が話したことが確かならば瀬野口先輩はドラムをやっている。ドラムをやる女など相当の音楽好き、バンド好きに決まっている。関谷や水沢のようにどこかのライブハウスで俺のことを見たことがあったのだろうか。

「ま、影の支配者は早香先輩っすからね」

「支配などしていないよ、慧太。誰も部長を務められない中で彼女に部長を押し付けてしまった私の責任を果たしているだけ。至春にできないことを手伝っているだけよ」

 そう優しい口調で瀬野口先輩はふと笑った。関谷とは対極に位置する眼鏡美人だ。そういう表情をするとどきりとするほど魅力的だ。

「い、いやおれだって本気でそんなこと言ってないすよ。至春先輩だってちゃんと部長してるじゃないすか」

 しかし瀬野口先輩の言葉を借りれば、誰も部長を務められない中での苦渋の決断だ。伊関至春とはそもそも部長向きの性格ではないのだろう。そしてそんな伊関至春が俺のことを知っている可能性はなくもないが、あったとしても俺をベーシストとして男子のバンドに参加させる計画を立てたとは考えにくい。つまり瀬野口先輩が伊関至春をかばって嘘を言っている訳ではないということか。

「そう言ってもらえると助かる」

 計画とは大仰か。初めて渡樫に遭って、俺がベーシストだと発覚してから僅か数日だ。だとすると、やはり瀬野口先輩がこれ幸いとばかりに勧誘を続けろ、無理なら私が行こう、という展開になったのも頷ける。しかし判らないのが、何故関谷や瀬野口先輩が男子のバンドをこれほど気にしているか、だ。

「何でそんなに文化祭のライブに出たいんですか?一年くらいいいでしょう。聞けば男で三年は尭矢さんだけらしいじゃないですか。尭矢さんは他にメインでバンドをやってます。何も文化祭ではなくても良いと思いますが」

 そもそもバンドを固定する意味も判らないが、男子のバンドが出られないというだけで、女子はメンバーが欠けていないのだから文化祭には出演できるはずだ。それに文化祭は十一月。まだ時間はある。その間に一年生をベーシストに仕立て上げれば良い。ギタリストばかりだからといっても、ギターが弾けるのならばある程度はベースだって弾けるはずだ。付け焼刃のギタリストが弾くベースは俺個人的には嫌いだが、文化祭に出演するレベルならばそれでも充分だろう。

「確かにその通りだな。それに慧太の言っていたこともある」

「話が早くて助かります」

 そうは言ったものの、腑に落ちない。尭矢さんが卒業してしまうからどうしても今年の文化祭でライブがしたい、という訳ではないはずだ。文化祭のライブなど出演時間は短いし、音響設備も悪い。それは尭矢さんも良く判っている。そういった記念日的な意味を持たせたいのならば、文化祭でなくとも良い。尭矢さんの伝を辿れば安く出演させてもらえるライブハウスだって探せばいくらでもあるだろう。

「おれが言ったこと?」

「やる気のない人間を無理矢理引き入れても巧く回る訳がない、と言っていただろう」

 それは恐らく報告だな。

「それは俺が言ったんですよ」

「知っているよ。その話を聞いて慧太も引き下がったと聞いている」

 引き下がらせたのは水沢の働きが大きいが。しかしそれにしても不自然だ。詠にも言ったことだが、俺程度の腕でもっと扱いやすいベーシストなど探せばいくらでもいるはずだ。学内では難しいのかもしれないが、一年生にベースをやらせれば事は済む。部内の問題は部内で解決する方が絶対に良いはずだ。

「まぁ、判ってくれれば良いです」

 俺の返答はすっきりしない。何か裏があるのか、企んでいるのか、ともかくこれでお仕舞、という感じがまったくしない。

「邪魔をしたな。ここの払いは持とう」

「まじっすか!」

 俺に言ったはずだが、渡樫が嬉々として声を上げた。全くはしたない奴め。

「あぁ。涼子さん、幾らですか」

 そう言って瀬野口先輩は笑顔で席を立った。たかだか一つ年上なのにこうも大人らしい振る舞いができるものか。流石に生徒会長をやるだけあってか、全ての仕草に何か品格のようなものすら伺わせている。

「じゃあみふゆの分だけは差っ引いてあげるわね」

 にっこりと可愛らしい笑顔で涼子さんが言う。つくづく思うことだが、この店のサービスは常識を逸脱している。もしかしたら水沢の小遣いから差っ引かれることもあるかもしれないな。

「恐縮です」

「ご馳走様です」

 俺が瀬野口先輩に頭を下げると、関谷も慌てて俺に続いた。

「もしかしたら今後、また同じような話をするかもしれないが、そのつもりでいてくれるとありがたい」

「はい。まぁ聞くだけは聞きましょう」

 やはりこのままでは終わらない。どうあっても俺を引き入れたいのか。その理由は少し気になる。しかしそれを問うてしまったら、俺はもう後には退けなくなるかもしれない。だから訊かないことにした。

「思うところもあるのだろうが、済まない」

 まるで俺が違和感を感じていることも見抜いているような口ぶりだ。何か裏があるような気がしてならないが、それを知ろうと知るまいと俺はベースを弾く気はない。

「判ってくれてるのならそれもその内、ということですか」

 思い切って言ってみた。俺が何か違和感を感じている、と。その違和感の答えを彼女は持っているということなのだろうか。

「そうなるかもしれないな。ではまたな、新崎君」

「……はい」

 瀬野口先輩は払いを済ませると足早に店を出て行った。やはりそうか。それを渡樫や関谷や詠が知っているかまでは判らない。ただ、決定的に良くないことが起こる、そんな予感はした。

「なぁ聡、さっきやってたゲーム何?狩るやつ?」

 瀬野口先輩が去ると、渡樫は急激に話題を切り替えてきた。どうやら渡樫は何も知らないようだ。元々打算などできなさそうな性格だ。こう裏も表もないような奴を疑う余地はない。俺も意識を切り替えて渡樫の問いに答えた。

「そうだが、マイナーな方だ」

「喰うやつ?」

 流石に知っていたか。それにしてもバンドをしながら携帯ゲーム機を買えるなど、随分と裕福なことだ。いや、こいつは確かボーカルだった。だから楽器や周辺器や消耗品、メンテナンスなどに金はかからない。携帯ゲーム機も買える訳だ。

「そ。渡樫君はやってないんだよね」

「狩る方のが楽しくね?」

「狩る方は体験版しかしてないが、こっちのが断然楽しい」

 かく言う俺も今はアルバイトをしていない。地方に暮らす両親から仕送りは受けているものの、また何かアルバイトをしなければ金も尽きてしまう。

「マジか!おれもやろっかな。もう中古で安いよな、それ」

「あぁ三千円もしないかも知れん」

 既に買ってしまったゲームなので、今はどの程度値段が落ちているかは知らないが、もう流行りもブームも通り越して、ダウンロードコンテンツもなくなった今となってはそれほど高額ではないだろう。

「この間見たら二千七百円くらいだったよ」

「お、そのくらいなら買える。今度買うわ、おれも混ぜて」

「断る」

 冗談ではない。俺はやっと物語りも中盤に差し掛かってきた所だ。ここで渡樫に付き合って最初からなどやっていられない。それに付き合ってくれている関谷と水沢にも悪い。

「なんで!」

「いいか渡樫、俺はまだ修行中の身だ。俺より遥か先を行く女戦士に守られながらも何とか戦っている状態だ」

「だからおれも入るって」

 まだ判らぬか。狩る方をやっているのならば見当はつきそうなものだが。

「そこで俺以上の初心者が入ったら俺の進みが悪くなる。聞けばMIFFミッフKAORINカオリンももうゲームクリアはしているという。俺の護衛など本来退屈なはずだ」

「みっふ?かおりん?」

 そんなことないよ、と関谷も水沢も言ってくれたが、渡樫は耳に入ってきた聞きなれない名の方が気になったようだ。

「キャラの名前」

RYOKKOリョッコもいるわよ」

「りょっこ?」

「だからキャラの名前だ」

 いや、涼子さんまでもが本当にやっていたとは驚きだ。それはそれで庶民派のような気がして親しみがあるのだが。

SHINZAKIシンザキはまだまだだね」

 くす、と水沢が笑った。それはそうだ。関谷の千六百時間や水沢の千時間に比べたら俺の九十時間などカスみたいなものだ。

「何でお前だけ苗字なんだよ」

「名付け方などどうでも良かろう」

 流石に味も素っ気もないネーミングだと自分でも思っている。せめて名前に準じてAKIRAアキラにしておくべきだった。

「渡樫君は狩る方なんていう名前なの?」

 そうだ。俺に文句を言う前に自分のキャラクターを晒せ、渡樫よ。

GATACKガタック!」

「がたっく?」

 俺と水沢が同時に首をかしげる。聞き慣れない名前だし、渡樫の本名からは何も連想が付かない名前だった。

「そ、かっこいいだろ!知らねぇ?」

 俺と水沢は顔を見合わせたが、俺からも水沢からも何も言葉は出なかった。

「マスクドライダーだよね」

「お、関谷知ってんの!」

 マスクドライダーだと。聞けば最近のマスクドライダーは子供と一緒に見る親のためにも、イケメン俳優を起用したり、ストーリーも難解なものになっているという。

「うん、わたし好きなんだ。今のも毎週見てるよ」

「まじで!」

 俺も同じ思いだった。いや正確には言葉だけが同じで思いは違う。関谷がそういったものに興味があることに驚きだったのだ。いや、そういう意味では渡樫も同じかもしれないな。

「まぁ持ってない奴に構うことはない。もう一度付き合ってくれ」

「うん!」

 俺はそう言うと、置きっ放しにしてあったゲーム機を手に取った。

「次は両方の奴だからちょっときついかも」

「え、ちょ、なー!おれ買ってくる!」

 水沢の言葉に、急に置いてきぼりにされた感覚になったのか、渡樫が席を立った。たかがゲーム一つで大げさな奴だ。持っていないから仲間はずれなどと高校生にもなってする訳がないというのに。

「……行っちゃった」

「全く騒がしい奴だな」

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