第二話:不遜

 二〇一二年九月十一日 火曜日


 不遜ふそん、という言葉がある。

 偉そうであったり、礼節を弁えなかったり、驕り高ぶった態度のことを指す。

 そもそも不遜の遜とはへりくだるという字で、退いて譲る、だとかそういう意味合いがある言葉だ。

 つまり不遜とはそういった気持ちが込もっていない態度のことを指すのだろう。

「てめえは不遜な野郎だ」

 以前所属していたバンドのギタリストが俺に対してそう言った。とんでもない誤解だ。俺は人を敬う気持ちは持っているし、誰も彼もを見下したりなどしない。ただ言葉遣いや態度が悪い上にでかいだけだ。

「判っちゃいるけどやめられない」

 などという言葉も良く聞く。いや、この場合少し違うか。まぁともかく、俺はあまり人に好かれる性格ではない。しかし虐めに遭っている訳ではないし、クラスで孤立している訳でもない。当たり障りなく、平凡に高校生活をやり過ごせればそれが一番だ。何も躍起になってバンドなどというきらびやかに見えて泥臭い趣味に講じるなど、今の俺には有り得ない話だった。

「し、新崎しんざき君」

 大体にして俺はボーカルやギターというフロントをやるような人間が苦手なんだ。いやこれでは世のフロントマンが憤慨するかもしれない。だがしかし、奴らにはどこか僅かでも共通して持っている何かがある。それはドラムやベースをやる、いわゆるリズム隊の人間には持ち得ないものであって、そこには深くて大きな溝があると思うのだ。その溝は埋まろうが埋まらなかろうが、バンドを継続して行くのにさしたる問題ではないのだが。

「新崎、君」

 それに俺がバンドを辞めたのはその溝が原因ではない。極個人的な感情だ。だからあまり人には聞かせたくない。今のところは渡樫にもだ。確かに俺が提唱するフロントマンとリズム隊の溝が、俺の極個人的な感情を爆発させる起爆剤にはなったのかもしれないのだが、だがしかし、そんな正当な理由が原因ではない。

「あの、新崎君?」

「は?」

 とん、と肩を叩かれた。隣の席に座っている五反田衣里ごたんだえり嬢だった。

「呼んでる」

 くい、と自分の後方に立っている線の細い小柄な女生徒をサムズアップの親指で差して、苦笑した。

「え?あ、済まない。考えごとを……」

「あ、う、ううん」

 そう言って赤面したのは眼鏡をかけた、見るからにおとなしそうな女子、関谷香織せきたにかおり嬢だった。昨日の今日で関谷香織か。おかっぱ頭が良く似合う真面目そうな、基、真面目な女子だ。悪ふざけはしないし、大きな声も出さない。クラスの中では成績も良く、かといって目立った行動は何も起こさない、言ってしまえば地味な女子。女生徒というよりも女学生という言葉の方がしっくり来る風体だ。

「何だ?」

「き、昨日、渡樫わたがし君と、何かあった?」

「何か?」

 渡樫と何かあった訳ではないが、顔見知り程度にはなった。それにしても関谷はこんなに吃音が強い喋り方だったろうか。まともに話したことがないので記憶に薄い。

「け、警察に、いなかった?」

「あぁそこか」

 なるほど、物騒な感じもするだろうな。同じ部活の部員が派出所にいたともなれば。

「警察ぅ?何かやったの?」

 五反田衣里嬢が言って眉間に皺を寄せた。五反田は髪の色を抜いてネイルをして、いかにも遊んでいますといったような派手な風体をしているが、以外と面倒見の良い奴だったりする。それに整った顔立ちをしているのでクラスの男たちに誘われて帰る、などということもある。俺個人としてもクラスの中では男女含めてもかなり会話率が高い。隣の席なので当たり前なのかもしれないが、物怖じしないストレートな性格はどうも俺を気安くさせる傾向にあるようだ。

「や、されそうになったんだ」

「渡樫に?」

 この言い方だとどうやら五反田は渡樫とは顔見知りらしい。なので要らぬ誤解は招かないようにしなければならない。

「ちがう。あいつは助けてくれた方だ」

「助け?」

「あぁ。喝上げに遭ったのを渡樫が助けてくれた」

 中々できることではない。あいつの長所だろうな。俺ならば警察に連絡を入れるくらいはするが、自ら突貫など絶対にしない。

「へぇ。相変わらず正義の味方やってんのね、あいつ」

「か、喝上げ?」

 五反田と関谷がほぼ同時に言ったが、関谷はただ俺の言葉を反芻しただけのようなので、俺は五反田の言葉の方に反応した。

「正義の味方だって?」

 確かに見ず知らずに近い人間を助けに入るなど、正義感の成せる業だと思うが、実際に助けられた俺以外に正義の味方と呼ばれるとはまた暑苦しい男なのだな。

「まぁ本人が言ってる訳じゃないけどさ、昔から正義感強いからね。それにしてもあんたと渡樫が知り合いだったなんて知らなかったわ」

 それはそうだろう。昨日知り合ったばかりだからな。それにしても自称していなくて本当に良かった。過去知り合いには一人もいなかったが、きっと自称正義の味方が友人にいたら、それはそれは鬱陶しいことだろう。

「正義感が強いのは頷けるが、五反田は昔から渡樫を知ってるのか?」

 そんな口ぶりだった。俺は昨日奴のことを知ったばかりなので、奴の過去を知るには良い機会だ。本人にこつこつと語られるのも面倒だ。知り合いから軽くこんな奴だ、と教えてもらえれば、過去の話などそれで充分事足りる。

「うん。初等部から同じだしね」

「ほう」

「そ、そうなんだ」

 幼馴染か腐れ縁というやつか。

「中等部卒業するときに告られたけどフッた」

「え!」

 驚きの声を関谷が上げる。俺も声は上げはしなかったが少々驚いた。

「お前、そういう話を簡単にして良いのか」

 不本意に渡樫の触れてはいけない秘密に触れてしまった。

「いんじゃない?今はあいつも気にしてる様子ないし」

 確かに中学卒業の時ならばもう一年半は経っている訳で、昨日の渡樫は失恋の尾を引いているような感じではなかった。むしろ水沢みふゆにお熱といった具合だ。渡樫も今更、なのだろう。

「ならばネタで使っても?」

「大丈夫でしょ」

「それは良いことを聴いた」

 一瞬にやりと悪い笑顔になる。中学も高校も別だった俺がこのネタを知っているとは思うまい。いつか使ってやろう。

「で、あんたらはいつから?」

「わたしも、渡樫君と新崎君が友達だったって、知らなかった」

 関谷嬢、友達とはこそばゆい。まだ知り合いで充分だ。嫌な気分ではないのだが、それこそ渡樫の自他共に認める親友などがいて、彼らがそれを聞いたとしたら眉を顰めやしないだろうか。昨日今日知り合った奴が図々しくも友達などと。

「昨日からだ」

「は?」

「え?」

 俺の返答に、当然五反田も関谷も不思議顔を作った。

「奴は話したこともない俺を助けてくれた」

 おかげで俺の一四四四円は無事に守られたのだ。蛇足だが昨日の夜、あれからATMで金を降ろしたので、今の俺は一五九九四円という大金を持っている。

「イイヤツすぎる」

 惜しいことしたかなぁ、などと呑気に、洒落にもならないことを五反田は平気な顔で言ってのける。

「す、凄いんだね、渡樫君」

 先ほどから上気した顔色のままなので良くは判らないが、ともかく感心した様子で関谷は笑顔になった。ほう、中々可愛らしい笑顔をするものだ。今まで関谷とは何の接点もなかったのだが、これは逸材を見逃していたかもしれない。

「何、香織は渡樫狙い?」

「ほう、なるほど」

 それで俺が昨日一緒にいて気になったのか。しかし五反田は女子のくせにデリカシーというものがないのか。こんな、恐らくは内気なのであろう関谷にそうあけっぴろげに言ってしまっては言葉もろくに出ないだろう。

「え!ち、ちちちちぃ!」

 ほら。

「違うみたい」

 え。判るのか。

「あけっぴろげすぎる」

 言うべきことは言っておこう。どちらにしても関谷が気の毒なのは変わらない。

「あたしのこと?」

「他に誰がいる。関谷嬢はこんなに奥ゆかしいのに。見ろ、顔で茶が沸きそうだぞ」

 おっと、フォローするつもりが茶化してしまった。済まない。他意はない。

「……!」

「あんたの方がからかってんじゃないのよ。香織、いちいち真に受けなくていいからね」

「う、うん」

 確かに五反田の言う通りだった。

「そういえばなんかあいつ、ここんとこおかしいのよね」

「おかしい?」

 俺からしてみれば渡樫の行動はほぼ奇行にしか映らない。見ず知らずの人間を、怪我を覚悟で突進しながら助けるなんて。

「うん。何か焦ってるっていうか……」

「あ、それ、ライブのことじゃないかな」

「ほう」

 関谷の言葉で俺は顎に手を当てた。ライブが近いというのに怪我の危険性も考えずに俺を助けた訳か。元々打算などできない性質だろうし、恐らくは後先考えずに突っ走ってしまっただけなのだろう。

「メンバー、誰か抜けちゃったんだっけ?」

「らしいな」

 俺には関係のない話だが。

「あ、あの新崎君」

 おずおずと、おずおずという言葉がこれほど似合う人間もなかなかいないと思うのだが、おずおずと関谷は俺に声をかけてきた。

「あぁ、なるほど。関谷が俺に何の用かと思ったらそのことか」

 これで得心がいった。

「え?」

「関谷には悪いが、昨日渡樫にも言われて断ったところだ」

「え、あ、そうなんだ」

 しゅんとして関谷は言った。しゅんとする仕草がこんなにしゅんとするものだったとは。いやはや関谷は中々感情表現の豊かな人間だ。

「え、もしかしてあんたバンドとかしてんの?」

「してないが」

 即答してやる。嘘は一つも吐いていない。

「じゃあなんであいつが新崎にそんな話すんのよ。手伝ってくれとかバンド入ってくれとか、そんな話だったんでしょ?」

「まぁそうだが、前にやってたことがばれたんだ」

 会話の流れから察したのだろうが、随分と勘が良いことだ。説明を巧く避ける手だても見つけられなかったので、俺は早々に種を明かした。

「ばれた?」

「関谷も知ってるようだから言うけどな、前はバンドやってたんだよ」

 前、と少し強調して言ってやる。つまり今はやっていないし、やる気もない、という気持ちをたっぷりの生クリームと共に、くらいの勢いだ。判ってシルブプレ。

「前ってどんくらい前?」

「半年前」

「最近じゃん!」

 それはそうだ。俺たちのような高校生は昔などという言葉は使えない。一〇年ひと昔という言葉をばか正直に信じている訳ではないが、一〇年前は小学生で、小学生の頃に感慨にふけるような出来事などかけらもないのが当たり前だ。いや、小学生の頃に感慨にふける出来事はあるのかもしれないが、たかだか一〇年経ったくらいでは最近過ぎるし、精神年齢が大人の域に達していないため、感慨にふけるだとか、懐かしむだとかいう行為自体が滑稽なのだ。だから、大体そんな出来事などつい最近のことに決まっている。

「わたし去年のライブ、見に行った、よ」

「あぁ、水沢みずさわに聞いたんじゃなかったのか」

 そういうことだったか。そもそも水沢は尭矢たかやさんが出演したライブを見にきて、対バンで出ていた俺を発見したらしいから、関谷も同じだろう。

「うん。みふゆちゃんと一緒に行ったの」

「なるほどな」

「水沢ねぇ」

 五反田が神妙な顔をする。

「何だ?仲悪いのか?」

「や、イイ子ちゃん過ぎて気に入らないだけ。要は僻みね」

「何だそれは」

 僻みとはっきり言えるとは正直な奴だ。きっとそういう裏表がない性格だからこそ、俺ともまともに取り合ってくれるのだろう。

「まともに喋ったことないから勝手な印象なんだけどさ」

 改善の余地有り、といったところか。本当に正直な奴だ。その辺の仲を取り持ってやる義理はないし、俺がそれをやっても迷惑なだけだろう。個人の付き合い方や心象にお節介を焼くことほど鬱陶しいことはない。察するに関谷と水沢は仲が良いようだし、そこからの繋がりで自然と水沢と五反田が接する機会も生まれてくることもあるかもしれないではないか。

「まぁ良い子で言うなら確かに五反田とは相容れないかもしれないが、それを言うなら関谷もそうなんじゃないのか?」

 だからと言って五反田は決して素行不良などではないはずだ。俺の知る限り、という限定付きだが。だから関谷も五反田とは仲良くやって行けているのだろうし。

「香織は可愛いじゃないの!」

「水沢も可愛いだろう」

 確かに関谷嬢は可愛らしい。今まで全く気付かなかったが、かなりの逸材だと思う。これも俺の個人的印象でしかないが。人の顔面の好みなど千差万別だ。いくら俺が可愛いと言っても、万人が納得する訳ではなかろう。が、しかし水沢嬢は万人に近い数の人間が可愛いと言うかもしれない。

 関谷は俺はごく個人的にはとても可愛らしいと思うのだが、例えば百人中百人がそうは言わないだろう。多く見積もっても七十人くらいか。対して水沢嬢は百人中九十人の人間が可愛いと言うのではないだろうか。いやいや、俺程度の矮小な人間が女性の、しかも外見だけを評価するなど何様だ。

 慎むべし、だ。

「あたしは!」

 と、五反田嬢。慎まねばと思った矢先にこれだ。しかし確かに五反田だけ無評価というのも、女子としては複雑なところなのだろう。それが俺程度の人間の言葉であっても。

「あー、可愛いと思う」

「何であー付けた!」

 うむ、何かのついでのようになってしまった。大丈夫だ。嘘は言っていない。安心しろ。

「大丈夫だ五反田衣里、お前は充分可愛い」

「女子のことすぐ可愛いっていう男なんて信用できない」

 あぁ面倒くさい面倒くさい。

「してもらわなくて結構だ。それに言わせたのはお前だ」

 そうだ。嫌われていないのはとてもありがたいことだが、それ以上に五反田に好かれようとは思っていない。故に妙な信用をされても困るし、五反田が俺にまで気を回す必要性もない。

「衣里ちゃん可愛いよ」

 ね、と関谷が笑った。うん、俺は極個人的には関谷嬢の方が好みだ。実に可愛い。

「……ほら見て!もう何?可愛い!凄い可愛い!」

「……」

 可愛いと言われて赤面する関谷嬢も実に良いものだ。眼福とはこのことだな。だが、だからと言ってだ。

「という訳なんで、悪いな関谷」

「え、あ、うん」

 バンドをする気にはなれない。それが長年の鬱積したストレスのせいだとは言わない。恐らく数年後に振り返ってみれば、取るに足らない若気の至りなのだろうことも、何となく想像はできている。だからと言ってそう簡単に折れることもできない。何しろ高校生など生きていること自体が若気の至りだ。

「何で辞めたの?」

「楽しくないと思ったから」

 それしか理由などない。楽しかったら今も続けているだろうし、未練があれば渡樫の誘いを蹴ったりもしない。

「そっか。じゃあしょうがないわね」

 五反田の言葉に関谷も無言で頷いた。物事を始めるのも辞めるのも、楽しいかどうかという気持ちに大きく左右される。義務ならばそうも言っていられないだろうが、趣味ならばその理由一つで充分に事足りる。

「そういうことだ。俺は帰る」

「あ、うん、ばいばい」

 再びしょんぼり顔になりはしたが、関谷はそれでも笑顔になって手を振ってくれた。

「んじゃねー。香織今日空いてんの?」

「あ、うん」

 関谷にじゃれつきながら五反田ははしゃぎだした。

「おっし!カラオケ行こ、カラオケ!」

「え、あ、うん」

 そこに俺を誘わないのは、やはりそこまでの関係、ということなのか、女子は女子で、男子は男子で、ということなのか。

(……いや)

 違う。俺が醸し出している不遜な態度のせいだ。直さねばいかんとは思いつつも、性格だけは中々変わらないのが困ったものなのだ。

「判っちゃいるけど辞められない、か……」



「し、新崎君」

 学校を出て、さてこの後どうしたものかと考えながら歩いていると、後ろから声がかかった。

「どした?カラオケ行くんじゃないのか?」

「あ、うん、少し新崎君とお話したくて、こ、断っちゃった」

 声をかけてきたのは、五反田とカラオケに行ったはずの関谷だった。

「大丈夫か?まぁ五反田はそのくらいで気分を害するような奴じゃないとは思うが」

 五反田は友達が多いというイメージがある。今日関谷が断ったところでどうということはないだろうが、ついさっきのできごとだ。どういう風の吹き回しかは俺には判らなかった。

「う、うん。行ってこいって」

「何なんだ……」

 ともかく勧誘を続けろだとか、もしくは関谷自身が続けたいと言ったのか、そんなところだろう。面倒なことになりそうだ。

「あ、あのね」

「あぁ、先に言っておくが、バンドはやらんぞ」

 なので先手必勝だ。関谷は可愛いと思うし嫌いではない。だがしかし、困っているのは関谷本人ではないはずだ。練習の際、自分のバンド以外でも男バンドに混じって演奏しなければならないことを考えると、多少は面倒なことも、もしかしたらあるのかもしれないが、まさか関谷を引き入れてライブをする訳でもないだろう。だとするならば。

「うん、それは判った。バンドは、どうして辞めちゃったのかな、って」

 あれ。勧誘ではないのか。だとするとますます判らなくなってくる。

「楽しくなくなったからだ、と言ったろう」

「どうして?」

 食い下がってくるか。渡樫にも話していないし、関谷はそれこそ渡樫よりも距離がある存在だ。もちろん俺などが関谷と親しくできるのであればそれは願ったりだが、だからといって今この場で全てを話す気にはなれない。それに俺の好感度が上がる話でもない。

「喧嘩別れ」

「えっ、か、解散しちゃったの?」

 まさか喧嘩の原因までは言及してこないだろうな。

「や、俺が抜けただけだから、後のことは知らないけどな」

 どうやら新しくベーシストの募集をかけていることは聞いたが、その後新ベーシストが決まったのかどうかまでは知らないし、興味もない。

「そっか、いいバンドだったのにね」

「まぁ、そうだな」

 バンドの音楽としては俺も好きだった。

「あ、ご、ごめんね……」

「ん?」

 いきなり下を向いて暗い声を出すものだから、ほんの一瞬だけ反応が遅れた。渡樫もそうだが、関谷もなかなか俺の行動予測を超えた行動を起こす人間のようだ。

「あの、嫌なこと訊いちゃったから」

 掻い摘んで話す気のないところまでは深く踏み入っていない、言ってしまえば上辺だけの話だ。俺は別段気を悪くした訳ではないし、関谷が気にするような話でもないと思ったのだが、とまで考えて思い至った。

「そうか?あぁ、俺がこんな話し方だからな。済まない。別に少しも気分は損なってないから気に病むことはない」

 笑顔になって関谷に言ってやった。なるべく優しく聞こえるように。

「新崎君って面白いね」

「こんなに面白味のない人間を捕まえて面白いことを言うな、関谷は」

 面白いというなら関谷の方がよほど面白味があると俺は思う。俺など理屈っぽい上に屁理屈ばかり言っているような人間だ。

「そんなことないよ」

「何がだ?」

 というよりはどちらのことを言っているんだ?の方が正しかったかもしれない。

「新崎君が面白味のない人間っていうことと、わたしが面白いってこと、両方」

「そうか?」

 それでもきちんと伝わっていたようなので、会話の流れを重視しよう。

「うん。わたしの方が面白味なんてないもん」

 自己分析と他人の評価が違うのは常だ。断固否定するようなことではないし、否定のし合いほど不毛な会話はない。俺はすんなりと関谷の言葉を消化することにした。

「まぁそんなものか。俺は変わってると言うと語弊があるが、意外性はある、と思ったがな」

 それも俺だけが感じていることなのかもしれないし、特定の事象の通例などというばかげた話をするつもりもない。

「わたし?」

「あぁ」

「どうして?」

「俺は関谷のことを、おとなしくて色々発言なんかはしないような人間だと思っていた。まさかバンドのベーシストだったとはな」

 関谷が大人しい人間だというのは一面の事実だろう。そしてバンドをやっているにしてもベースという楽器を選んだことに対してもそれは関係しているようにも思う。ベースという楽器は花形ではない。縁の下の力持ち的なパートだし、判る人間にしかそのパートの重要さは判らない。陰でバンドを支えるという、目立ちはしないが、効果的な働きをするベースというパートは、ギターやボーカルをやりたがるような、前に出たがる輩には勤まらない。

 だからと言って俺はバンドのフロントマン独特の、前に出たがる気持ち自体をばかにしている訳ではない。むしろバンドのフロントマンはそういった精神を持ち合わせていなければ勤まらない。

 ただ関谷がそういう精神を持ち合わせておらず、バンドの楽器の中でもベースという楽器を選んだというのは実に関谷らしい、というだけの話だ。

「あ、うん、基本的には根暗だから。だからバンドしてるって言うと意外って言われるね」

「根暗だとは思わない。大人しいのと根が暗いのは違うしな。関谷は良く表情も変わるし、感情豊かな方だと思うぞ」

 根暗、か。根暗というのはどちらかと言えば俺のようにあまり多くを語らず、ぐるぐると物を考えているような奴の方が似合いの言葉のような気がする。

「そ、そうかな、そんなこと初めて言われた……」

「まぁ俺も気付いたのはついさっきなんだがな」

 それまではただのクラスメート、という漫然としたイメージしか持ち合わせていなかった。

「さっき?」

「渡樫のことで茶化した時に、良く表情が変わる奴だな、と思った」

 根暗な人間は決して表情豊かではない。恐らく感情をあまり表に出さないような人間が多いだろう。

「だ、だって渡樫君は嫌いじゃないけど、そ、その、好きとか、そういうのじゃないし、わ、渡樫君はす、好きな人ちゃんといるし」

 ほほう、やはりな。それには心当たりがある。

「水沢みふゆか?」

「えっ違うよ」

「違うのか」

 なんと。だとしたら昨日喫茶店を出る時、水沢の笑顔にデレデレしていたのは何だったのだ。いや、水沢を相手にそこを責めるのは酷というものだな。俺自身、自覚していないだけで表情が緩んでいた可能性は高い。

「うん」

「まぁ奴の好きな女など誰でも良いが、それに伴い関谷は失恋した訳ではないんだな?」

「し、してないよ」

 か、と赤面して関谷は言った。

「そうか、なら良いんだ」

 つまり関谷は渡樫が気になってきになって俺に話しかけた訳ではないということか。

「いい?」

「や、もしも関谷が渡樫を好きで、渡樫に好きな人がいることを知って諦めているんだとしたら、まぁ少し不遇だな、と思っただけだ」

 思うだけで具体的に俺は何もする訳ではないのだが。いや正確には何もできないのだが。

「新崎君て優しんだ」

 優しい笑顔を俺に向けて関谷はそんなことを言った。不覚にも俺は慌ててその視線から逃げてしまった。

「何言ってんだ。ちょっと可哀想だとは思うが、だからと言って何がどうなるって訳でもないんだぞ」

「やっぱり新崎君って変わってて、面白いね」

 今度は嬉しそうにそう言って、うん、と一人納得したように頷いた。女は自己完結の生物だとどこかで読んだような記憶があるが、今それを妙に納得した。

「そ、そうか」

「と、ところで、どこに向かってるの?新崎君」

 俺はそもそも暇人だ。渡樫や関谷の誘いを断ったのは俺が忙しいからではなく、興が乗らないだけだ。そして暇人の俺は最近ゲームに没頭している。一人きりで誰にも邪魔されない至福の時間だ。

「まぁちょっとゲーム屋にでも行こうかな、と」

 誘いを断っておいてゲームというのも何となく心苦しい気もしたが、俺が関谷に対して負い目を感じる必要性はどこにもない。関谷がバンドをしていてそのバンドからの誘いならばまだしも、関谷は責任の重さで言えば渡樫のバンドのことで責任を感じる必要もない立場のはずだ。俺が渡樫のバンドのことに対して、関谷に負い目を感じるのは言ってしまえば完全に筋違いだ。

「つ、ついて行ってもいい?」

「え、あ、あぁ、別に構わないが」

 頓狂な関谷の提案に思わず吃音交じりの言葉になる。これはつまり、デートということには、ならんな。帰り道が一緒になってたまたま寄り道する程度だ。ただまぁ、女子と二人きりで出歩くなど随分と久しぶりのことなので、少々気持ちが浮ついているのだろう。

「め、迷惑じゃないかな」

「それはこちらの台詞だと思うが」

 先ほど俺が関谷を評した百分の七十という数値は、普通に考えればかなり高い数値だ。これは極端な例になるが、百人の内七十人は、水沢みふゆは可愛いが関谷も可愛いと評することになる。水沢を評した百分の九十に当てはめれば更に二十人は水沢は可愛いが関谷は別に、ということになろう。つまり、百人の内七十人もの人間が関谷を可愛いと評するならば、我が校全校生徒のおよそ七割が関谷を可愛いと思っているということになる。もしも関谷のことを好きな男、もしくは関谷を可愛いと思っている男がこの状況を見たとしたら、俺はやっかまれるのではないだろうか。

「え?」

「や、なんでもない。行くか」

 良く聞こえなかったらしいが、全てを解説する訳にも行かないので、俺は関谷に並ばないように先を歩いた。

「うん!」

 表情は見えなかったが、随分と明るい声で関谷は頷いたようだった。

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