初日から盛沢山すぎる    3

 おいしそうな匂いのする料理の向こうで、高梨さんは肩を強張らせて俯いている。

 前髪のせいで顔が見えないから表情はわからない。

 ただ俺の言葉を待っているような気はした。


『突然謝られても何の話だかさっぱりだよ。説明してくれないか?』

『……スキルのことで、話していなかったことがあるの。それを話していたら、彼らに年齢の話をしないで済んだかもしれない』


 年齢の話をしちゃまずかったのか?

 未成年で、しかもかなり若いせいで待遇がかなりいいんだから、話して正解だと思ってたよ。


『私たちの世界の寿命が何歳なのかとかは、話す相手を考えなくちゃいけないかなって』

『あー、彼らの寿命はだいぶ長いみたいだな。七十三歳で最年少だぞ。異世界だからって人間までこんなに違うとは思ってなかったよ。でもまあ考えてみれば、スキルが使える段階で別物……あ、俺達もスキルが使える』

『そうなんです。私は、スキルを取るかどうか選ぶって勘違いしていたでしょ?』

『ああ』


 スキルボードのスキルの横にボタンがあったから、ツリー形式でスキルを習得していくと思っていたんだよな。


『俺のスキルにはボタンはないよ?』

『うん、あれね、スキルを発動する時と切る時に押すボタンだった。結界はスキルを解除するまでずっと発動したままでしょ? ああいうスキルがいくつかあるの』

『いちいちスキルボードを出してボタンを押さないと魔法が使えないのか?』

『慣れれば出来るみたい。結界は出来た』

『ほー』


 よかった。深刻な話じゃないみたいだ。

 ロドニーと話していた時から様子がおかっしかったから、なにが起こったかと思ったよ。


『高梨さん、料理が冷めちゃうから食べながら話そう。そのほうがたくさん話す時間が出来るしね』


 高梨さんが頷いてくれたので、俺はさっそく煮込み料理をスプーンで掬った。

 肉が柔らかくほぐれてしまっているので、スプーンのほうが食べやすそうだ。


『おお、うまい』


 デミグラスソースに味が似ているから、ビーフシチューみたいなものだよな。

 丸ごと入った小さめの玉ねぎも、煮込まれてトロトロになっている。


『ほんとおいしい。野菜の味が濃い気がする』

『そうだね。自然豊かな国なんだろうな』


 魔法があるおかげでエネルギー問題がないから、自然破壊が少ないのかもしれないし、寿命が長い種族は、子供の数も少ないって何かの本で読んだ気もするんだよな。

 田畑を増やす必要もなければ、家を作るために山を切り崩す必要もない。

 あいつらの平和ボケしていそうな、まったりとした雰囲気も納得できるわ。


『でも三人姉弟か』

『王族の話?』

『いや、長命の種族は子供の数が少ないんじゃなかったっけ? そうじゃないと増えすぎちゃうよな』

『うーん、そうね。彼らが何年生きるのかはわからないけど、百歳まで生きる種族が三人産むのと、五百歳まで生きる種族が三人産むのでは、まったく違うよね』


 そうか。一年に生まれる子供の数がまるで違うのか。

 下手したら百歳の年齢差がある兄弟がいたりするわけだ。


『うへー』

『それでね、私は体の中を見ることができるスキルを持ってて』

『グロ?』

『なんでよ。内臓を見るスキルじゃないの魔力の流れを見るスキルなの』

『は?』

『血管とくっついて、もういっこ魔力の流れている管が体中に広がっているの。それを見るスキルもあるのよ』

『それで魔法が使える……てことは、俺たちの体も今はそうなっているってことか?』

『そういうこと』


 髪がピンクになって、顔が美少女になって、体の中も地球人とは変化して。

 全くの別人じゃないか。

 これはアイデンティティが揺らいでもおかしくないぞ。

 前にTVで観た番組で、整形しすぎると自分の顔と認識できなくなって、精神的におかしくなりそうだから元の顔に戻してくれって頼んでくる患者がいるって医者が話してたくらいだ。

 せめて騎士たちみたいなイケメンだったらモチベも上がるのに、鏡を見たら美少女がいるって、女神も無茶ぶりが過ぎるだろ。

 

『宮村さん? 大丈夫?』

『おう。どうにか正気は保っている』


 って、心配させるようなことを言ってしまったか。

 食事の手が止まってしまった。

 何か話題話題。


『気功師って、魔力に関係する職業なのかな』

『気の流れを整えるって意味で使っているのかもしれない』

『じゃあ病気の原因はそれ関係?』

『うん。極端にバランスが崩れている人がいるの』


 日本で気功師って、どんな職業だっけ?

 そもそも、そんな職業が本当にあるのかどうかもよく知らないや。


『気功って中国発祥だよな。気を整えるとかTVで観たことあるけど、魔力は関係ないよな』

『スキルボードを用意するとき、他に日本語で説明する単語がなかったんじゃない?』

『女神様、頑張ってるんだなあ。……これさ、前の聖女や国王たちはどこまで知ってるのかな?』

『あ、そうか。今までの聖女はスキルがなかったし、魔力の流れを見るのは気功師のスキルだもんね。もしかして自分たちは寿命が長くなっているとは知らなかったり?』


 魔族は知っているかもしれない。

 でも王太子は、そんなことわからないよな。


『万が一、前の聖女と王太子が惚れ合っていたら、聖女はすぐに死んでしまうと思っているかも』

『老けなかったらわかるんじゃない?』


 前の聖女も見た目は未成年だったんだろ?

 老けるまでに何年かかる……って、もう十五年経っているんだった!


『十五年あればわかるな』

『たぶんね』


 …………あれ?


『今の会話で、高梨さんが謝らなければいけない話なんてあったか?』

『だからそれを、宮村さんに話してなかったでしょ?』


 着替えたり、部屋のチェックをしていて忙しかったから、話をする余裕がそれほどなかったのに?

 俺だって、全部のスキルを高梨さんに説明していないぞ?


『あの……』

『言いたくないなら言わなくていいんだけど、気になることがあるなら話してくれよ。俺達、今日会ったばかりだからさ。互いのことを何も知らないだろ?』

『そうですよね』


 高梨さんがスプーンを置いて姿勢を正したので、俺も口の中の物を飲み込んで背筋を伸ばして座り直した。


『宮村さんは、元の世界に帰りたくないんですか?』


 あーー、なるほど。

 俺は一度も帰りたいって言わなかったもんな。


『うん。実はそう。先のことはわからないけど、少なくとも今は』


 だって、向こうの世界じゃ無個性で平凡な三十五歳の独身男だぞ。

 そういう生活で満足していると思い込んでいた自分のせいではあるんだけど、仕事と家との往復ばかりの毎日で、このまま年を取って、定年退職して、擁護福祉施設のお世話になる未来が待っている可能性が高かった。


『でもここでは高レベルの聖女だ。やれることがたくさんあるし、異世界を見て歩きたいと思わないか?』

『宮村さんなら、すぐにでも出来るでしょ?』

『すぐ?』

『髪を切りたいって言ってたじゃない。男の格好をして王宮を逃げ出せば、自由に生きられるでしょ。元の世界に戻りたくないなら、女神の言うとおりにする必要はないんだし』

『…………』


 言われてみればそうなのか?

 今は情報がなさすぎるから無謀だけど、やろうと思えばできなくはないのか。


『まったく考えてなかった』

『ええっ?!』

『いやー、目の前のことを順番に片付けるのにいっぱいいっぱいだったよ。すごいな、高梨さんはそこまで考えていたのか。俺は襲撃の心配ばかりしていた』

『もちろんそれも心配だよ? 私も余裕なんてないんだけど』

『まあまあ落ち着こうか。帰る気がないからのんびりしている俺と、帰れるのか不安に思って家族の心配をしているきみは違うさ』


 体が変わってしまっているのに帰れるのかってことは、彼女も気づいているよな。

 それで余計に不安なのかもしれない。

 いや、こっちに来るときに変わったなら、元の世界に帰る時には戻せるんだと思おう。


『俺さ、聖女の仕事はやる気なんだよ。こっちに呼ばれた原因は片づける気なんだ』

『そうなの?』

『うん。女神もいろいろやってくれてるしさ、前の聖女たちがどうなったのかも知りたい。だから、問題を解決して、高梨さんが元の世界に戻るのを見送るまでは、女装したまま聖女をやろうと思っているよ』

『よ、よかった。ひとりになったら……どうしようかと……』

『うわあ、泣かないで』


 そんなに不安だったのか?

 一緒にいてまったく気が付かなかったよ。

 俺がモテない原因はこういうところだったんだな。


『ほら、高梨さんには病気を治すスキルがあるんだろう? 俺のほうはそういうのはないんだけど、攻撃スキルも防御スキルもあるんだよ』

『攻撃スキルを持ってるの?』

『何個も』

『聖女……強いんだ』

『たぶん、気功師を守って一緒に問題解決するのが俺の役目だと思うんだ。だから高梨さんは心配しないで、協力して頑張ろうよ』

『泣きそうになってごめんなさい』


 袖で涙をぬぐいながら高梨さんは言った。


『宮村さんばかりに危ないことをさせるのは嫌だし、守ってもらってばかりじゃ悪いから私も頑張る。ありがとう。ひとりじゃなくてよかった』


 高梨さんは、まだ潤んだままの目で笑ってようやく食事を再開した。

 外食は別にして、こうして誰かと一緒に食事をするのは久しぶりだ。

 ひとりじゃないありがたさを、俺もひしひしと感じているよ。

 彼女が日本に帰ってしまってこの世界に俺だけ残ったら、だいぶ寂しくなるんだろうな


『この際だから聞いてもいい?』

『答えられるものなら』

『宮村さんは……家族はいないの? ご両親は?』

『高校時代に事故でね」

『……そうなんだ」

『もう二十年も前のことなんだから、そんな深刻な顔をするような話じゃないよ。大学までは祖父母が面倒を見てくれたし、それ以降は父の兄にあたる伯父がなにかと相談に乗ってくれたんだ」

『じゃあ、その伯父さんが心配するでしょ?』

『伯父さんはもう六十五歳だよ。孫もいるんだ』


 向こうには家族もいて、俺も自分のことは自分で出来る年だ。

 年賀状と暑中見舞いだけの関係になって何年も経つ。


『だから俺が選ばれたのかとも思ったけど、高梨さんには家族がいるんだもんな』

『そういえば、なんで私たちだったんだろうね?』

『あー、もしかすると……。俺、今日は誕生日だったんだよ』

『まあ、おめでとう!』

『ああ、ごめん。催促したみたいになって』

『そんなことないわよ』


 ひとりで過ごすと思っていた誕生日が、すごい一日になった。

 かわいい女の子にお祝いを言ってもらえて、しかも彼女と今後しばらくは一緒にいられるんだから、プラスマイナスを考えたらだいぶプラスかもしれない。


『さすがにこのままじゃやばいなって考えたんだよ。生き方を見直さないと孤独死一直線だなって。それで、よし何か行動しようって思ったら異世界転移していた』

『あーー、私も同じだ!』


 フォークをこっちに向けるのはやめなさい。

 パンを片手に持ったままで、おかずを食べようとするのもやめようか。

 ひとりで食事するのと同じ食べ方になっていないか?

 気取らないでいい相手だと思われたのは嬉しい反面、異性としてまったく意識されていないのはどうなんだ。


『会社で大きなミスが発覚して、相手の会社に迷惑をかける問題になっていたの。本当は上司の責任なのに、あの野郎、私がミスをしたって報告したのよ。同じ部署の人たちは上司のミスだってわかっているのに、みんな何も言ってくれなくて会社に居づらくなっちゃって。もう辞めて、新しい場所でやってやるぞって。見返してやるんだからって意気込んでいたら異世界転生しちゃった』


 高梨さんのほうが。いろいろと俺より深刻じゃないか。

 なんちゅー上司だ。

 そんないい加減なことがまかり通ってしまう会社の運営はどうなっとるんだ。

 でも、高梨さんが行方不明になったら、その会社の問題も表面化したりして?


『その上司の責任だってわかる証拠はないのか?』

『あるわよ。私の部屋に置いたままになってる』

『きみが帰ってこないことに気付いた家族は、きみの部屋を調べるだろうな。そうしたらその証拠が……』

『あああああああ。部屋の中を見られるのはいやーー』


 …………え? そっちのほうが重要なん?


『妹よ、ノートパソコンはそのまま壊してーー! 弟と親にはさわらせないでーーー!』


 何が残っているんだろう。

 腐っていたのかな。


 俺のパソコンにも写真フォルダーはあるけども、一般成人男性として問題のない範囲のはずだ……けども。

 誰が見ることになるんだろう? 大家?

 無断欠勤になるから会社の誰かか?


 戻らないなら気にする必要はないよな

 そうだ。考えるのはやめよう。


『どうしよう。帰るのやめようかな』


 高梨さんが変なことを言い出したんだけど、そこまでのものってなんなんだ?

 すっごく気になるぞ。



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