聖女(♂)と気功師    2

 あんなに急いで鏡を探したくせに、いざ見つかると無意識に足が止まってしまった。

 背が縮んでいてピンクの髪で白いワンピース姿だぞ。

 周りの自分に対する反応にも違和感がある。

だから、どんな姿をしているのか見るのを躊躇してしまうのも仕方ないだろう。 


『鏡ありましたね』


 そんな俺の気持ちを知るわけもなく、高梨さんは足を踏み出せない俺の横を早足で通り過ぎ、鏡の前に立ち、


『う……ひゃあ』


 妙な声を出しながら鼻の頭が鏡につきそうなくらいに顔を寄せ、また後ろに下がり、次に頬や髪に触りだした。


『うっわ。若返ってる』

『やっぱりか』

『周りの人たちが幼いって言ってましたからね。私、高校生くらいに見えません?』

『そう思ってた』

『ははは。二十六歳ですよ』


 まじか!

 それであの落ち着きっぷりだったのか。

 いやそれでもすごいけど。

 ということは俺も?


『十歳は若返ってるんじゃない? そうそう、高校入学したころはこんな感じだった。なつかしー』


 いつまでもグダグダしていても仕方ない。

 いろんな角度から自分の顔をじっくり眺めている高梨さんの様子に勇気をもらい、鏡の前まで前方だけを見てまっすぐに歩き、勢いをつけてくるっと体ごと鏡に向き直った。


『……って、なんだこりゃあああああ!!』


 思わずばしんっと鏡に手をついて叫んだ。割れなくてよかった。

 でも、ありえないだろう。

 鏡に映っていたのは、俺が今まで生きてきた中で一番だと言ってもいいくらいのかわいい少女だったんだから。


 濃い色合いのピンク色の髪を、左右に一つずつ三つ編みをつくり、後ろも一つに結わいて三つ編みにするという変な髪形をしていた。

 後ろの三つ編みの太さからして、かなり髪の量が多いんじゃないか?

 眉毛もまつげもピンク色だけど、落ち着いた色なので思っていたよりは違和感がない。

 顔も、つい何時間か前の自分の顔とは全くの別人だ。

 くりっと大きな目はくっきり二重で、緑色の瞳がこちらを見返している。

 鼻は小さめで唇は薄く、顎の線だけを見ればかろうじて男だと……思えねえよ。

 

『宮村さん? どうしました?』

『顔が別人になっています』

『あ……やっぱり。日本人の顔じゃないですもんね』


 この顔だったら夢の中の住人だと思われても仕方ないかもしれない。

 整いすぎて、一周回って不気味だ。


『なんてこった』


 足の力が抜けて、その場にずりずりと座り込んでしまった。

 鏡の中の天使のような顔をした少年が俺?

 そう。少年なんだよ。

 少女に見えるけど男なんだ。


『あの、大丈夫ですか?』

『はあ、まあなんとか』

『宮村さんも若返ってます?』

『はい』

『見た目的に私たちは同じくらいの年齢に見えるんですけど』

『俺は二十歳、若返ってます』

『…………え』


 たぶん今、高梨さんは頭の中で年齢を計算して、俺の年齢を知って、どういう反応をすればいいのか迷っているんだろう。

 自分より十歳も年上とは思っていなかっただろうからな。


『ということは……』

『三十五歳です』

『あ、そうだったんですね。てっきり同じか年下だと思って、なれなれしい態度をしてすみませんでした』

『謝ることないですよ。見た目じゃ年齢がわからないんですし、なれなれしくなんてなかったです』


 すっげえ微妙な空気になってしまった。

 まだまだ確認しあわなくちゃいけないことがあるのにこれはまずい。


『見た目にあわせましょう!』

『え?』

『この世界にいる間はこの見た目なわけでしょう? 周りもそういう扱いをするでしょうから、この世界にいる間は見た目通り、同じくらいの年齢だというつもりで気軽に話してください。敬語もいいんで』

『そう……ですね。そうさせてもらえるとありがたいです』


 なぜか高梨さんまで床に座り込んで、正座した膝の上に手をのせて何度も頷いた。

 床が素足で歩いても気持ちよさそうなカーペットだからか、他の部屋と違って部屋が小さくて収納棚に囲まれているせいか、ここに座り込むと少しだけ落ち着ける。


『どうしても見た目に影響されちゃうんで。助かります』


 笑顔がかわいい。

 異常事態だから余計に、見慣れた日本人の姿をしている高梨さんの笑顔に癒される。

 しかも美人だ。

 異世界召喚した奴に文句は山ほどあるけど、彼女と一緒に召還してくれたことには感謝したい。


『一緒に召還されたのがおじさんで申し訳ない』

『何言ってるんですか。この世界にいる間は同じ年だと思って……え?』


 やっぱり年齢よりもこっちのほうが驚くよなあ。

 フリーズしちゃってるよ。


『今、なんか……あまりにも意外な言葉を言われたような』

『聞き間違いではありません。俺、男なんです』

『…………』


 高梨さんはまじまじと俺の顔を見て、座っている俺の足元まで見降ろして、また顔を見て、なぜか鏡の中の俺も見て、はっとした顔で振り返った。


『男だったのに転移したときに女性になっちゃった……』

『違う』


 やっぱ、女に見えるのか。

 だよな。百年に一度って言われそうなくらいの見事な美少女っぷりだもんな。

 俺だって目の前にこんなかわいい子がいたら、思わず見惚れたかもしれない。


『今も男。正真正銘の男』

『え……じゃあ、おネエさん?』

『まったく違う』

『いや、でも、どこからどう見ても女の子ですよ』


 信じてもらえないか。

 どうすっかな。


『あれだ。百聞は一見に如かず』


 服をはだけて胸でも見せれば信じるしかないだろう。

 ワンピースって今まで着たことがないんだが、この服はどうなっているんだ?

 このリボンはただの飾り?


『あの……』


 ボタンもファスナーもないぞ。

 あれか? 背中にファスナーがあるタイプか?

 いやそもそも、この世界にファスナーがあるのか?

 ……もうめんどうだ。どうせワンピースなんだから、裾をまくり上げればいい。


『証拠を見せます』


 勢いよく立ち上がり、ワンピースの裾を両手でつかんで持ち上げた途端、


『ちょっと!』


 高梨さんは両手で顔を隠して俯いてしまった。


『何を見せる気ですか!』


 この反応は……イチモツをぽろっと出すと思われたのかな。


『出してません。ナニは見せませんよ。下着をはいてます』

『で、でも』

『つか、初対面で下半身を見せつけるような男だと思われたんですか』

『いえ! す、すみません! 突然スカートを持ち上げるから……』


 いや待て。

 下着はつけていたとしても、下半身を見せていることに変わりはないのか。

 めくる前に説明するべきだったな。


『信じてもらうには、胸でも見せたらいいんじゃないかと思ったわけです。でも服の脱ぎ方がわからなくてですね』

『……』

『あの、二十六なら、男の下着……いや、水着姿くらいは見たことありますよね?』

『ありますよ! 彼氏がいたことだってあります!』

『過去形……』

『何か問題が?』

『いやいや』


 むしろうれしい情報だ。

 けっして下心なんてないぞ。

 九歳も年下の女性を口説けるなんて思っていない。

 でもどうせ一緒にいるなら、フリーの子がいいとは思うもんだよ。


『俺なんてこの年で独身の彼女なしですから、他人のことをとやかく言える立場じゃないですよ』

『魔法使い……』

『童貞ではない!』

『ぶっ!』


 俺のムキになった様子がおかしかったのか、笑い出した高梨さんを見てほっとした。

 これから協力しなくちゃいけない関係なんだし、笑える余裕があるのはいいことだ。


『えーっと、どうしようかな。男だと証明したいだけなんですよ。下着はあっちの世界とあまり変わらないんみたいです。てっきりかぼちゃパンツかと思ってた』


 下着は男物をはいていたので安心した。

 少々ダサい気はするが、ボクサーパンツみたいなフィットする下着だ。

 急所の部分の布が厚くなっているのは、ガードするためなのかな。


『戦闘職はぶらぶらしているより、こういうサポートされているタイプが動きやすいのかもな。用を足すときに出すのが面倒そうだけど』

『ここで出さないでよ』

『いったい俺をどんな奴だと思っているんだよ』


 パンツを見下ろしていた顔を上げたら、高梨さんはもう遠慮なく俺のほうを見ていて、うわあ……って言いたげな引き攣った表情をしていた。


『顔と体の違和感が……』

『あー、たしかに美少女顔にボクサーパンツは違和感あるよね』


 うっとりするほどの美少女がスカートをまくり上げたら、履いているのはボクサーパンツ。

 顔が引きつってもしかたないか。


『それもそうなんですけど、腹筋が……』

『腹筋?』


 パンツに注目していて気付いてなかったよ。

 鏡のほうを向いてさらに服をまくり上げたら、サッカー選手に負けずとも劣らない腹筋が見えた。


『おお、これはすごい。二の腕の筋肉もなかなか。いやーまじか。いい体しているじゃないか』


 気分が一気に明るくなったぞ。

 男なら誰もがうらやむ筋肉質の体になっていた。

 着やせするみたいで服を着ると目立たないけど、これだけ鍛えているなら瞬発力も腕力も期待出来る……つか、大理石の床を拳で破壊したんだっけか。


『その顔にその体はちょっとアンバランスで、顔だけあとからつけたみたいですよ』

『それはけっこう正しいかもしれないな。男の体に聖女に見える顔を急いでくっつけたとかね』


 握力はいくつくらいなんだろう。

 この体なら腕立て伏せも腹筋も楽勝なんじゃないか?

 ……やってみたい。

 最近腰が痛かったのに、今はすっきり、まったくどこも痛くないんだ。

 学生時代のように思いっきり走るのも楽勝なんじゃないか?


 自分の力量を知るのは大事なことだ。

 そう。これは必要なことなんだ。


 試しに床に手をついて腕立て伏せをしてみた。

 おお、ちゃんと胸が床につくすれすれまでの腕立て伏せが出来る。

 若い頃にはやんちゃもしていたのに、最近は運動不足ですっかりなまっていたからなあ。

 せっかくの体だ。毎日ちゃんと鍛えよう。


『楽しそうですね』

『若返ったって実感しますよ』

『三十過ぎると体力落ちるって聞きますけど』

『はっきり意識するくらいに衰えますね。体調の変化も出てくるし』

『はあ……って、いつまでやっているんですか! いつ誰が来るかもわからないんですからね、確認したいことがたくさんあるんですよ』

『はい!』


 勢いよく身を起こして正座した俺を見て、彼女は笑い出した。

 なんかいいな。

 怒られるのも、こんな風に笑いあうのも。


『ひとまず持っている物を確認します。宮村さんの服にはポケットとかはないんですか?』

『ないんじゃないかな』


 服の上から確認してみても、ポケットは見つからなかった。


『私のほうはカバンの中に、スマホ……当然ですけど電波ないですね。充電器。化粧ポーチ、これは女性の必需品』


 高梨さんがカバンの中のものを床に並べていくのを、俺は胡坐をかいて眺めた。

 ポーチがふたつに、バッグインバッグがひとつ。

 予備のストッキングにハンカチ、ティッシュ。財布。定期入れにキーホルダー。

 出てくる出てくる。


『その中は何が入っているのか聞いても平気?』


 横に退けたバッグインバッグを指さした。


『地震の備えですよ。アルミブランケットにペンライト。それに……』


 今のOLって、カバンの中にこんなにいろんな物を入れているのか。

 確かに役には立ちそうだけど、重量は平気なんだろうか。


『あれ? これは私の持ち物じゃないわ。見たことないものが入っています。時計?』

『ああ、それ、俺は腕にしていたよ。ほら。アクセサリーかと思っていた』

『ちょっとこれ! 鑑定してみて! マジックバッグですって!』


 本当にゲームの世界みたいだな。

 なんでも一度は鑑定する癖をつけたほうがよさそうだ。

 

『よかったー。この大きなカバンをどうしようかと思っていたんです。中身をなくしたり取られたくなくて手放せなかったんですよ。全部収納します』

『こっちの洋服をもらって、その服もしまっておけばいいんじゃないか? クリーンっていう魔法を使えるから奇麗に出来るよ』

『さすが聖女』

『これは聖女じゃなくて侍女が持っているべき魔法じゃ……』

『そうか。そうね。それよりマジックバッグは登録して使うみたいですよ』


 鑑定して使い方を調べてみた。

 魔力か血を登録すると、他の人は使えなくなるみたいだ。


『今は空っぽ……お! 服が入っている!』


 パーカーにジーンズ。Tシャツや靴下も。

 どれもこちらに召還された時に着ていたものだ。


『髪を切って服を男物にしたら、ちゃんと少年に見えるんじゃないか?』

『駄目ですよ。男だとばれたら、殺されるかもしれません』


 興奮した俺とは対照的に、高梨さんは沈んだ声で言った。



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