異世界転移と出会い   2

「聖女……あ……どう呼べばいいんでしょう。困りましたね」


 名前を教えるのは嫌だなって思っていたらタイミングよく、イケメン王子と俺の間の空間に半透明な薄い板が表示された。


『あ、本当だ。出ました』


 マジでゲームみたいだな。それかアニメ。

 ああいうのを最初に考えた人は、実はこういう世界から日本に転移転生した人だったりして。


「あの」

「すみません。立て込んでいるので少し待ってもらっていいですか?」

「はあ……」


 今は忙しいからイケメン王子は後回しだ。

 自分の状況がわからないのに、下手に会話するのは危険が大きい。


 名前:宮村 律  LV:57  職業:聖女(♂)


『宮村さん……あの……職業が……なんか』

『え? なんだこれ?』


 高梨さんのほうがレベルが高いのは、少しだけショックだ。

 年上としてはせめて同じレベルにしてほしかった。

 しかもなんなんだ、この職業は。


『このマーク……どういう……』

『たぶん、バグじゃないですか?』


 高梨さんが怪訝な顔で首を傾げるのも当然だ。なんで男が聖女なんだよ。 

 しかもご丁寧にも(♂)というマークまで書かれている。

 ワンピースを着たおっさんの聖女。意味がわからない。

 ここは聖人、あるいは聖者と書くべきだ。


 はっ! もしかして女になっている?

 勘弁してくれ。無理だ。ありえない。

 でもそれならイケメン王子の態度も頷ける。

 これは一刻も早く確認しなくては!


 服の皴を伸ばすふりをして、震える手でさりげなく股間に触る。

 ……あった!

 よかった! なかったらどうしようかと思った。


『バグ? ゲームみたいですね。夢にしても変な設定だな』


 まだ夢だと思っている高梨さんは、のんびりと呟いて首を傾げている。

 国王らしき爺さんや周囲の者が何か話しているのは、理解出来るとはいっても馴染みのない言葉なんだぞ。

 自分の記憶にない言語まで作成している夢なんてあったらこわいわ。


 それより、この状況をどうにかしなくては。

 こんな無茶苦茶なことをしておいて、説明どころか挨拶ひとつしないやつらがまともなわけがない。

 自分達で召喚しておいて、敵意丸出しってどういう了見だよ。

 俺が聖女だとわかれば、高梨さんは必要ないと言い出しかねない。

 最悪の場合、排除される危険もありそうだ。


「なぜ王族を無視するのだ! 無礼者が!!」


 現状把握に必死だったため、彼らへの対応を後回しにしたのがまずかった。

 国王らしきおっさんが突然立ち上がり、顔をゆがめて怒鳴りつけ、椅子の傍らに置かれていた台の上から杯を手に取り、俺達に向かって投げつけやがった。


『いたっ』


 大きな銀色の盃は、よりによって高梨さんの腕に当たり、ガランガランと大きな音を立てて床を転がりながら赤紫色の液体を飛び散らせた。

 高梨さんは盃のぶつかった腕を押さえて、呆然とした顔で国王を見上げた。

 彼女の表情を自分に対しての恐れからだと思ったのか、国王は満足げに口端をあげたが、目を大きく見開いた彼女が呟いたのは、意外な台詞だった。


『……と思ったら痛くない』

『ええ?!』


 ジョッキほどは大きくないけど、バイキングが持っていそうな厚みのあるごっついさかずきを投げつけられたんだぞ?

 痛くないわけがないだろう。


「何をなさるんですか!!」

「子供になんてことを」


 今まで黙って眺めていた周囲の人たちが一斉に国王に非難の声を向けた。

 あんな尊大な態度の国王だからてっきり独裁者かと思ったのに、フルボッコ状態だ。


「たとえ国王でも許されませんわ!」

「何も知らない者共がうるさい!」

「知られないようにしていたのはどなたです!」


 味方してくれる人がたくさんいるのは嬉しいけど、事情が一切わからないので対応に困る。

 隣にいる高梨さんなんて、心配そうな視線を受けているというのに、


『やっぱり夢かあ?』


 なんて首を傾げているんだぞ。呑気のんきすぎるだろう。

 このまま夢だと思わせておいては、何をしでかすかわからない。

 床に零れた液体のせいで白いワンピースが赤紫色に染まるのも気にせず、急いで高梨さんの隣りに座り、両手で肩を掴んだ。


『落ち着くんだ。これは夢じゃない』

『でもちっとも痛くなかったわよ』

『さっき自分の腕をつねってみたら痛かった』

『つねる……なるほど』


 高梨さんは袖をまくって腕を露出させ、手首の上のあたりを思いっきりつねった。


『痛い!』

『やりすぎだよ。あー、赤くなっている』


 ん? おかしくないか?

 つねっただけでこんない赤くなっているのに、さっき盃が当たったところはなんともない?

 いったいどれだけの強さでつねったんだ?


『夢じゃ……ない?』


 ようやく理解してくれたか。


『床が冷たい……本当だ。なんで気付かなかったんだろ』


 夢じゃないと知ったら泣き出すかと思ったが、意外としっかりしているな。

 そっと俺の腕に手を添えて肩から外し、濡れている床から離れて座り直した。

 つまり俺からも離れた。

 

 非常時だから、多少は触ってでも力づけた方がいいと思ったんだが、初対面のおっさんに触られるのは嫌だったか。

 そうだよな。気持ち悪いよな。

 むずかしいな、どういう距離感で接したらいいんだ?


『でも一緒に召喚された人の髪がピンクなのよ? あなたも夢の中の登場人物だと思うじゃない。召喚? ドッキリじゃなくて?』

『……って、ピンク? 髪がピンク?!』


 ええ? この肩から胸まで垂れさがっている三つ編みは俺の髪?!

 てっきりこれは服についている飾りか何かだと思い込んでいた。

 つか、そこまで気にしていなかった。

 この場に転移してすぐイケメンに迫られるし、白いワンピースを着ているし、大事な我が子息が無くなっている入っても、自分の髪だなんて思わないだろ。


『マジか……なんで……』


 一人っ子で両親をすでに亡くしている俺にとっては、異世界に来てしまったという衝撃と自分の髪がピンク色になっているという衝撃と、どちらが大きいか悩むところだ。

 おっさんがピンク色の髪を三つ編みにして、白いワンピースを着ていれば、現実の人間だと思われなかったのも仕方ない。変態だと思われたかも。

 ああ、それは距離を取るわ。俺でもそうする。

 レンズの割れた眼鏡をかけていたくらいで、高梨さんをひどいなんて言ったことを猛省しなくては。俺の姿の方がよっぽどひどい。


「きさまら!! 余を愚弄する気か!!」


 存在を無視された続けた国王は、とうとう顔を真っ赤にして立ち上がった。


「陛下、そのように怒鳴っては子供たちが怯えてしまいます」


 アラフォーくらいの綺麗な金髪のお姉さんが庇ってくれてありがたいけど、たぶん俺も高梨さんも怯えているようには見えないと思うよ。

 しかし、子供子供ってさっきから言われているってことは、もしかして……。

 いくら東洋人が若く見えるからといって、子供には見えないもんな。

 髪がピンクになるくらいだ。

 若くなっていても意外じゃないよな。


「今は非常時だ! 子供だろうが関係ない!」

「陛下、彼女達は異界から転移して来たばかりです。今は気が動転しているのです」


 今にも心臓発作か脳卒中で倒れてしまいそうな国王を相手に、ようやく常識的な意見を言ってくれたのは、二十代半ばくらいに見える銀色の髪の男だった。

 オレンジの髪の男や縦に長い帽子を被った白い服の男よりは、地味で実用的に見える服装をしていたが、ベストや上着の襟の刺繍は手の込んだ見事なものだ。


「たとえそうだとしても、余の質問には答えなくてはならぬ」

「……帰して」

「なんだと?!」

「元の世界に帰してください!」


 おいおいおい。高梨さん、この状況で国王にその態度はまずいだろ。

 パニクっているのか? 自棄になっている?

 本気で怒らせたら何をされるかわからないのに、さすが女子高生。怖いもの知らずだ。


「それは無理だ」


 だが意外なことに、国王は先程の怒りが嘘のように楽しげに答えた。


「この者は聖女を召喚は出来るが、元の世界には戻せない」


 オレンジ色の髪の男を示す国王は、高梨さんを精神的に追い詰めるだろう言葉を話せるのが楽しいようだ。

 彼女が絶望し、打ちひしがれる姿でも見たいのかもしれない。

 自分で召喚した少女を傷つけて喜ぶとか気持ちわりいな。


「……なんてことをしてくれるんですか」


 確かに高梨さんは傷ついた顔をした。

 だがそれ以上に怒っているようで、声がぐっと低くなった。


「私が突然消えたら両親がどれだけ悲しむか。きっと私のことをずっと探しまわってしまうわ」

「あなた達は女神リディアーヌ様に選ばれたのです」


 縦に長い帽子を被り、ひきずるくらいに長い衣を着た恰幅のいい男が、微笑みながら高梨さんの前に歩み出て、胸の前で組んでいた手を広げた。

 その姿は包容力があり、優し気で、いかにも聖職者という雰囲気だ。


「誰それ?」

「なんですと?!」


 男は間の抜けた顔で呟いてすぐ、先程の聖職者らしい様子が嘘のように顔をゆがめ、高梨さんを指さしながら国王に向き直った。


「陛下! この娘は女神を知らないと言っています。ならば聖女ではありません。聖女はもうひとりの……」

「私も知りません」

「ふたりとも女神を知らない?!」

「うるさいぞ。神官長。そんなことはどうでもいい。今までの聖女もそうだったからな」

「今までの? 前にも聖女召喚をしたんですか?」


 どういうことだ?

 そんなに何人も聖女が必要なのか?

 今までの聖女はどこで何をしているんだろう。

 ……生きているのか?


「ひどいですね。国王が連続少女誘拐犯の主犯なんですよ」


 恐怖で胸を締め付けられるような気分になりかけていた時、高梨さんの声が聞こえてきた。

 もう国王達のやり取りに興味がないのか、冷ややかな声で言いながら再びステータス画面を開いている。

 いやもうマジですげえな。

 ごく一般的な反応をしているはずの俺が、情けない人間に見えるほどの落ち着きっぷりだ。

 

『私は身を守るスキルを探します。宮村さんも鑑定は取った方がいいですよ。心に余裕が持てます』


 怒りで感情が冷えるタイプか?

 だとしても、ここでその態度はまずい。

 国王が命じればすぐに俺達は牢獄行き、最悪の場合殺される危険もあるかもしれないんだぞ。


 でも確かに、ふたり並んでただ国王の話をのんびり聞いている余裕なんてないな。

 レベルの高い高梨さんがスキルの確認をするのも、役割分担としては筋が通っている。

 鑑定をお勧めされたが、すでに彼女が使っているのなら急がなくてもいい。それより今は、自分もこの場で出来ることをするのが先だ。

 この状況で、国王を始めとしたこの世界の人間を無視し続けるのは得策ではない。

 特に国王をこれ以上怒らせてはやばい。


「これはどういうことですか?」


 背後で誰かが発言したおかげで、国王達の注意がそちらに向いた。


「聖女は神に選ばれて、この国を救うために召喚されるのではないのですか? 異世界から本人の承諾なしに、こんな子供達を連れて来てしまうものだったんですか?」


 声を発したのは茶髪の渋い男だ。

 俺からしてみれば、高梨さんより彼の方が年齢的に近いので話がしやすそうだ。

 ありがたいことにざわざわと聞こえてくる話の内容は、ほとんどが先程の発言への同意の言葉や、俺達への同情の言葉だった。

 中に何人か顔色の悪い人がいるのが気になるな。

 大理石の堅い床の上に何時間も経ち続けるのはきついんじゃないか?


「今までの聖女も子供だったのかしら?」

「その子たちは今はどうしているの?」


 特に女性方が、子供がつらい目にあっているということに敏感に反応して、国王に非難の目を向けている。

 いくら国王でも、貴族の支持を集められなかったら終わるんじゃないのか?


「黙れ。おまえ達の発言は認めていない」

「陛下。お待ちください」

「うるさい!」


 銀色の髪の男がとりなそうとしているのに、国王は話を聞こうとしない。

 ワンマン社長に苦労している社員の姿のように見えて、銀髪の男に同情の念が湧いた。




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