男だけど聖女として異世界召喚されたので、相棒の気功師のために戦います

風間レイ

異世界転移と出会い   1

 土曜日のルーティーンは、毎週ほぼ同じだ。

 平日よりは少しだけ遅く起きて洗濯機を回し、朝食の後に洗濯物を干して掃除をする。

 その後買い出しに行き、外で昼食をすますか、戻って来てから遅めの昼食を家で食べる。

 もう何年も毎週ほぼ同じ土曜日を過ごしてきた。

 

 洗濯物を干し掃除も終えて、ベランダ側の窓際に腰を下ろす。

 背後に手を突いて見上げた空は、雲ひとつない快晴だ。髪を揺らす風が心地いい。

 こうして休日をひとりで過ごすのにもすっかり慣れた。


 仕事の疲れを取るためにも、遊びに出かけるよりはこうしてのんびり過ごす方が俺にはあっている。

 友人とは金曜日の夜に飲みに行くくらいで、わざわざ休日に一緒に出掛けるような関係じゃない。

 ほとんどの友人が家庭を持っていて、そう頻繁には遊べないし、独り身の友人は俺と同じで、休日はひとりの方が気楽だろう。


「食料の買い出しに行くか。暑くなってきたから……あれ? 今日って」


 うわーーーー、なんてこった。俺の誕生日だ。

 ……まじか。今日で三十五歳。

 嘘だろう。自分の年なんてどうでもいいと思っていたのに、三十五だと思ったら衝撃が大きすぎて冷や汗が出た。

 三十になった時も衝撃だったが、あれからもう五年も経ったんだという衝撃も同じかそれ以上だった。


 何をやってんだ、俺は。

 彼女が失踪して、もう十三年も経つじゃないか。


 五年過ぎた頃には、向こうの両親も新しい彼女を作って自分の人生を生きてくれと言い出して、確かにその方がいいんだよなと思う反面、もし事故や事件だったら、俺だけ幸せになっていいのかって後ろめたさもあって、どうしたらいいのか決められないままずるずると……そして一人の生活に慣れてしまった。


 本当に?

 後悔ばかりじゃないのか?

 このままでいいのか?

 もう二度と恋愛しない気か?

 新しい生き方をするのに怖気づいているだけじゃないか?


「このままだと孤独死一直線だぞ」


 正直な気持ちをぶっちゃければ、そりゃ俺だって恋人がほしい。

 胸がギュッと痛くなるような思いやどきどき高鳴る気持ちを、もう一度経験したい。

 だったら、休みの日に家に籠ってどうする。

 このまま独りで年老いていきたくなんてないだろう?


「ともかく外に出よう。予定がなければ自分で作るさ」


 勢いよく立ち上がろうとして、世界が揺らいだ。

 倒れそうになって膝をつき、視界の端で何かが光った気がして振り返った途端、世界に光が満ちた。

 満ちすぎて眩しくて、腕でガードして目を閉じた。


 どのくらいそうしていただろうか。

 ふと床についている掌に伝わる感触がおかしいことに気付いた。

 冷たい。

 俺の部屋はフローリングだ。こんなに冷たくてつるつるの感触じゃない。

 これは石か?

 それに、大勢の人間の気配を感じるのはなんだ? いろんな場所から視線を感じる。


 真昼間から心霊現象なんてやめてくれよ。

 夜だともっと嫌だから、出来れば二十四時間やめてくれ。ホラー映画は苦手なんだ。

 でも間違いなくぐるりと三百六十度、大勢の人に囲まれている気配がする。

 気配だけじゃない。小さな話し声や物音もする。


 確かに、胸がギュッと痛くなるような思いがしたいと思ったよ。

 どきどきと胸が高鳴るような気持ちを取り戻したいと思ったさ。

 でもこういうんじゃないんだ。マジで勘弁してくれ。


 状況がわからないまま、目を守っていた腕を下げて胸を押さえた。

 心臓がバクバクし冷や汗が背を伝っていく。

 ゆっくりと目を開けると、二メートルほど先に金髪で青い目のイケメンが立っていた。


「今回も、無事成功したのだな」


 反射的に声のした方向に顔を向ける。

 部屋の奥が階段五段分高くなっていて、そこにひとつだけ置いてある豪勢な椅子に、眉間にしわを寄せた初老の男がふんぞり返っていた。

 六十代前半の頑固そうなおっさんだ。

 派手な服装と頭に乗せられた王冠を見れば、聞かなくても彼の立場はわかる。

 ただこの状況が異常すぎて、国王らしき人がいても特別何の感情も沸かない。


 むしろその段の前にいるオレンジ色の髪をした俺と同年代の男のほうがインパクトが強くて、国王の存在すら霞んでしまっていた。

 着ている服も、黒地に銀糸で刺繍がびっしりとされているド派手なものだ。

 襟元や袖口なんて金色に輝いている。

 彼だけじゃない。

 周りを取り囲んでいる人達を見回してみたら、鎧をつけていたり、ドレスを着ていたり、二次元か映画の中でしか見られない服装ばかりだ。


 ただ中世ヨーロッパのドレスとは違うようだ。

 服の歴史なんてよく知らないけど、スカートの前部分が短くて脹脛ふくらはぎが見えているドレスなんて昔は着なかったよな?

 現代のウェディングドレスにならありそうなデザインだ。


「なぜふたりも召喚したのだ。聖女はどっちだ」


 召喚? 召喚?!

 もしかして、異世界召喚!?

 嘘だろ。あれは二次元の話だろ。

 まさか俺が当事者になるなんて、ありえるのか?


 でもこの状況は、他に説明がつかない。

 そっと自分で自分の腕をつねってみた。


「いたっ」


 やりすぎて赤くなった。

 慌てて肌を擦った感触も夢とは思えないほどリアルだ。

 いや、夢のわけがない。床の冷たさや材質の違いを感じられるのだから。


 でもなによりこれは夢でないのでは? と思わせたのは、一緒に召喚されたらしい女性の存在だった。

 彼女はイージーパンツに薄手のジャケット姿で、床に座り込んでいた。

 片方ひび割れた分厚いレンズの眼鏡にマスクをしているので、顔も年齢もわからない。

 髪はぼさぼさで、髪留めが取れかけて斜めになっていた。


 こんな女性が夢に出てくるなんてあるだろうか、いやない。ないと思いたい。

 ここまでたくさんの要素を盛り込んだ女性を夢に登場させるほどの、経験も知識も性癖もないはずだ。


「あなたが聖女ですか?」


 イケメンの存在を忘れていた。

 服装からして、王子なのだろう。

 冴えないおっさんとしては、金髪に青い目の若いイケメンには、出来れば傍には近寄ってほしくない。比較対象が強すぎて、みじめになってくる。

 しかもそのイケメンが、とろけるような微笑を浮かべ甘い声で囁くのだ。意味がわからない。


 自分の服装がおかしいということは気付いていた。

 触れたくなかったので目を背けていただけだ。

 だっておかしいだろ。この世界にウォーキングシューズやマスクがあるんじゃなければ、もうひとりの召喚被害者は、日本で着ていたままの服装なんだぞ。

 それだけじゃない。彼女の横には女性用のバッグが落ちているんだ。

 なんで女性は出勤するだけでそんなに荷物が必要なのかと、疑問を感じるような大きなバッグだ。

 つまり彼女は、この世界に自分の持ち物を持ち込めているのだ。


 それに比べて俺は、足首まで隠れそうな白いワンピース姿なんだぞ。

 ご丁寧に胸元には可愛いレースがついている。この差はなんなんだ。

 少なくてもこの場に、他にワンピース姿の男はいない。

 いやもしかしたら騎士が鎧の下にワンピースを着ているのかもしれない。


「こわがらないでください。ここはルモワーニュ王国の王城です」


 いや、おまえがこわがれと言いたい。

 三十五歳の男の白いワンピース姿を見て、嫌な顔をするどころかとても嬉しそうに近付いてくるイケメン王子なんておかしいだろう。

 異常すぎて目を合わせたくなくて、視線が泳いでしまう。


「それとも、そちらの方が聖女でしょうか」

「え?」


 どちらが聖女か彼らはわからないのか。

 もしかして俺が男だと気付いてない?

 いやいやいや。

 ないないない。

 化粧をしたとしても不気味さが増すだけのはずだ。気付かないわけがない。


「おふたりとも、突然のことで何が起こっているか理解出来ないでしょう。私が説明いたします。安心してください。必ずお守りしますから」

『うわ、きも。きっも』


 限界だ。耐えられない。もしかするとこの王子にはソッチの趣味があるのかもしれない。

 それか、この世界ではレース付きのワンピースを着る男が普通なのかも……。


 誤解しないでほしい。そういう趣味の人を否定する気はない。

 本人がそれを良しとするのならば、TPOにのっとり他人に迷惑をかけさえしなければ、どんな服を着ようが化粧をしようがかまわないと思っている。

 だけど俺はワンピースを着たくはないし、男に言い寄られるのはごめんだ。

 ここは召喚被害者同士、眼鏡の彼女と話す必要がある。

 座ったまま腕で体をずらしたら、磨き上げられた石の床のおかげでつーっと彼女の元まで滑り、勢いがつきすぎてぶつかって止まった。


『あの、すみません。日本人ですよね』

『え?』


 振り返った顔がひどかった。

 女性の顔をひどいと言うのは失礼だと思うが、分厚いレンズの眼鏡のせいで目がひどく小さく見えて、顔全体のバランスがおかしくなっている。

 眩しいのか寝不足なのか、眼をしょぼしょぼさせている様子はチベットスナギツネみたいだ。

 それにマスクをつけて、乱れた前髪がばらばらと顔にかかっているのだから、深夜に見たら幽霊だ。


 だが気の毒でもある。

 そんな眼鏡をかけなくてはいけないほど目が悪いのに、レンズが割れてしまっていてはよく見えないだろう。

 この世界で新しい眼鏡を購入出来るだろうか。


『なんで割れた眼鏡をしているんですか?』

『割れた? えええ?!』


 慌てて眼鏡に触れた手は、指が細い綺麗な手だった。

 その手が、恐る恐るという感じで眼鏡をはずし、


『この眼鏡高かったのに……って、あれ?』


 俯いて床を見つめながら首を捻った。

 そして天井を見上げ、目を擦ってからぐるりと周囲を見回している。


『視力が直った?』

『へ?』


 どんだけ視力が悪かったんだ?

 眼鏡をはずすと目の大きさが別人のように違う。

 くっきり二重で長い睫に縁取られて、黒というよりは多少茶色味が強い瞳が魅力的だ。

 気の強そうに見えるまなざしと東洋人らしい平坦な顔が、彫りの深い西洋人タイプの人間に囲まれている状況だと、親しみやすく好ましく感じる。


 まだ高校生くらいの若い子なのに、この状況で泣きもせずヒステリックにもならず、異世界召喚だーと能天気に喜びもしないのはありがたい。

 同じ状況にいる仲間であり、協力し合える関係になれそうな相手だ。

 JKは普段接する機会のない異質な存在だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

 若い時期に結婚していたら、このくらいの年齢の子供がいたっておかしくないんだ。

 大人として、ちゃんと守ってやらないと。


『どうやら異世界転移。聖女召喚されたという設定のようですね』


 心の中で拳を握り締めていると、彼女は邪魔な前髪を顔から払いながら落ち着いた声で言った。


『設定?』

『妙な夢を見てしまってすみません。ステータスが見えるようなので確認したほうがよさそうですよ』


 この状況を夢だと思っているのか?

 ……それで落ち着いていたのか。

 だったら今は余計なことは言わない方がいいのかもしれない。

 彼女の手には、半透明の薄い板が乗っかっていた。あれでステータスがわかるようだ。


 名前:高梨咲希  LV:64  職業:気功師


 レベル六十四?

 この世界に来たばかりで?

 チートだ。異世界召喚チート。

 スキルがあるということは、その力で無双して世界を救えということだろうか。

 是非、お断りしたい。

 なぜ、勝手に召喚してくれやがったやつらのために、命を懸けて戦わなくてはいけないのか。


『でもスキルポイントが書かれていないから、何個選べるかわからないな』


 どうやらこのJK、ゲームに詳しいようだ。

 スキルポイントでスキルを選ぶことで、キャラの育成傾向を選ぶゲームをしたことがあるということは、けっこうなゲーム好きだろう。

 急に親近感が湧いてきたぞ。

 名前は高梨咲希……咲希ちゃんかと口の中で呟いてはみたが、彼女に向って咲希ちゃんと呼ぶ勇気はない。


『これがあなたの夢だとしたら、私はなんなんでしょう』

『え? そんなことを今まで夢で言われたことがないのでわかりません』

「何を話しているんですか? その言葉は日本語ですよね?」


 日本語を知っている?

 はっとして振り返ったら、イケメン王子がすぐ目の前にいた。



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