第7話 騎士様のお宅は、やっぱりすごかったです。

 そうして馬車に揺られること数十分。闇の中を走っていた馬車は、一邸の屋敷の前に止まった。

「降りるぞ」

 そう言うとヴァルツリヒトは、馬車のドアを開けて出ていく。

「あ、はい。……!」

 恭一郎も慌てて後を追って、ドアから一歩踏み出した。……ところで、体がガクリと前方へと傾いだ。

(え……?)

 あると思って踏み出した地面が、そこにはなかった。

(やばい!!)

 思ったのは一瞬で、すぐに温かい何かに抱き止められる。思わずギュッとつぶっていた目を恐る恐る開いてみると、目の前に眉間に皺を寄せて渋い顔をしているヴァルツリヒトと目が合った。

「乗るときに段差があっただろ?」

 そう言われてみると、確かに乗るときは王宮の従僕が足元に踏み台を置いていてくれた……ような気がする。よく見てみると、今回も踏み台が置かれているようだった。

「すみません……」

 ヴァルツリヒトの手を借りて恭一郎が立ち上がると、彼は眉間の皺を深くしてさっさと邸宅の玄関の方へと向かってしまう。恭一郎は、今度は遅れまいと慌てて後を追った。

 長いアプローチを歩く間に、キョロキョロと周りを見回す。が……出てくる感想はひとつしかなかった。

(……でかい)

 地球という星の日本という小さな島国のアパートに暮らす恭一郎にとって、ヴァルツリヒトの屋敷は広すぎた。これが城ではなく、一貴族の邸宅だというのだから、どういうこっちゃ。

 ようやく玄関にたどりついたヴァルツリヒトが扉に手をかける前に、内側から扉が開けられる。

「おかえりなさいませ」

 一歩中に入ると、ホールに並んだ使用人たちが頭を下げて迎える。

「ん。今戻った。変わりはないか?」

 言いながら羽織っていたマントを侍女に預ける仕草は、やはりお貴族様というか……様になっていて格好良く見えてしまう。

「はい、問題ありません」

 答えたのは、この屋敷の執事長だろうか。若い男性使用人だった。その後に二言三言二人が言葉を交わした後だった。

「お兄様!」

 玄関ホールから伸びる階段を跳ねるように駆け降りてきた少女が、ヴァルツリヒトに抱きつく。

「おかえりなさいませ。今日はお早いお帰りですね」

「ただいま、ルネ。階段は走ると危ないからゆっくり歩いて降りなさい」

(ルネ……?)

 ヴァルツリヒトと同じく美しい銀髪と紫色の瞳の少女は、ペロリと舌を出して謝る。そうして並んでいると、兄と妹というよりも姉妹のようにすら見えてしまう。

「ごめんなさい。気をつけます」

 あまり反省の色の見えない妹の様子に、ヴァルツリヒトが小さく笑みを浮かべる。

(……!! 笑った……)

 そりゃあ、彼だって人間だもの。笑うこともあるだろう。けれど、顔を合わせてから数時間。彼の顔に表情らしい表情が浮かんだのは、これが初めてだった。

(もっと笑えばいいのに……)

 もっと、もっと、笑ってほしい。もっともっと、その笑顔を見ていたい。

(……? 何だ?突然……)

 急に湧きあがった思いに、恭一郎は静かに混乱する。

(え……っと?)

 慌ててもう一度ヴァルツリヒトを見ると、すでに鉄面皮のような無表情に戻っていて恭一郎は少し残念に思う。代わりに、妹……ルネ? と目が合う。

「お兄様、そちらの方は?」

 ルネに問われてようやく恭一郎の存在を思い出したらしく、ヴァルツリヒトは答える。

「あぁ……お客様だ。ジーク、案内して差し上げろ」

「承知しました。使徒様、こちらへ」

 ジークと呼ばれた執事長の案内で、恭一郎は二階の客間へと通される。

「こちらのお部屋をご自由にお使いください」

(広い……)

 客間とは言え、長期滞在も可能な部屋なのだろう。通された部屋はリビングのようでローテーブルとソファセットが置かれている。調度品は、シックな色調でまとめられていて、豪華でありながらも上品さも兼ね備えていた。

「奥の扉の向こうが寝室です。寝室にはバスルームも付いておりますので、そちらをご利用いただけます。お食事は、一階の食堂にご準備する予定ですが、ご希望があればこちらにお持ちすることも可能です。いかがいたしますか?」

 流れるような説明に、軽い目眩を感じながら恭一郎は答える。

「ありがとうございます。……あの、お尋ねしてもいいですか?」

「はい。何なりと」

 執事長に頭を下げられて、恭一郎は困ってしまって頬を掻く。

「まず、頭を上げてください」

「いえ、使徒様は王家よりヴァルツリヒト家がお預かりした大切なお客様ですので」

 それを聞いて恭一郎は息を吐く。

「使徒と呼ばれてはいますが、何の力も取り柄もないただの一般人です。私……俺は、青木恭一郎といいます。貴方のお名前を伺ってもいいですか?」

 執事長は、顔を上げて微笑む。

「大変失礼いたしました。名乗るのが遅くなり申し訳ありません。ジークベルト・シュヴァルベアと申します。この屋敷の管理を任されています。ジークとお呼びください」

「ジークさん。では、俺のことも恭一郎と呼んでください。ご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」

 恭一郎がペコリと頭を下げると、執事長……ジークは、笑みを深くする。

「はい。こちらこそよろしくお願いいたします。使徒様……キョー……イチロ様は、魔法が使えないと伺っています。当屋敷の設備は、ほとんどのものが旧時代のものですのでご不便はおかけしないとは思いますが、使い方がわからないものなどがあれば、お気軽にお申し付けください」

 ジークの言葉に恭一郎はホッと肩の力を抜く。

「ありがとうございます。この世界……この国に来たばかりで、恥ずかしながら何もわかりません。色々教えていただけると助かります」

「承知しました。お疲れでしょうから、ひとまず夕食の時間までどうぞお寛ぎください。時間になりましたら呼びに参ります」

「わかりました。よろしくお願いします」

 恭一郎がそう言うと、ジークは綺麗な礼をとって静かに部屋を出ていった。

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