第11話 もう一人の本の虫。

 召喚されて早半月。恭一郎は、午前中はジークに国のことやこの世界のことわりなどについての講義を受け、午後からは書庫にこもって習った内容の本を読んで復習をするという日々を送っていた。

「キョーイチロー様、そろそろ休憩なさいませんか?」

 ふと気づくと、本日もずいぶん時間が経っているようだ。モニカの声に顔を上げると、窓の外から書庫に入る光が赤みを帯び始めている。首を左右に倒すとゴキゴキと鈍い音がして、伸びをすると腰と背中がギシギシと軋む。

「お茶をお淹れしましょうか?」

 そういうモニカに恭一郎は小さく首を振る。

「いえ、ちょっと散歩をしてきます」

「承知しました」

 モニカは、少し残念そうな顔をするけれど、すぐに表情を戻して立ち上がった恭一郎を見送る。

「あ、戻ってきらた、モニカさんのお茶いただきますんで、準備お願いしますね」

 扉を閉める直前に振り返って言う恭一郎に、モニカは満面の笑みを返した。

「!! 承知しました。お気をつけて」 


 恭一郎が庭に出ると、さっと肌を撫でるように風が通る。

 今は夏が間も無く始まるという時期だという。少しの間雨が続き、その後に本格的に夏が始まるのだそうだ。現代日本いう梅雨前の一番過ごしやすい季節の頃だろうか。庭では、薔薇の花が美しく咲き誇っている。大ぶりな豪奢な花をつけているものもあれば、可憐な小さな花を咲かせているものもある。花弁は少ないけれど、良い香りのする花もあって、庭はまさに花盛りと言えるだろう。

(綺麗だ)

 恭一郎は、わずかに茜色を帯び始めた空と薔薇の花を見て目を細める。そうして、風に誘われるように庭を歩いているうちに、四阿あずまやへと辿り着いた。

 クッションの置かれた長椅子ではなく、地べたに敷かれた厚い絨毯の上に本を広げて、一心不乱に本を読む少女。読んでいる本だけでなく、座っている彼女の周りには何冊も本が散っている。

 風が吹く。銀色の長い髪が、風に流れる。

「ルネ……リーザ様?」

 そっと声をかけると、ルネリーザはガバッと顔を上げて驚いたような表情をして恭一郎を見る。……と、慌てて立ち上がって、その場を離れようと留守。

「あぁ……すみません。お邪魔してしまいましたね」

 ルネは、読んでいた本を胸に抱えて、ぶんぶんと大きく首を横に振る。

「……本を読んでらしたんですね」

 上目遣いに恭一郎を見ながら、ルネは恐る恐る頷く。

(何だろう……この小動物感は……)

「ルネリーザ様は、本を読むのがお好きなんですか?」

 恭一郎の問いに、ルネは今度は大きく頷いた。

「そうなんですね。私も、本を読むのが大好きなんです」

 恭一郎がにっこり笑って言うと、ルネは顔を赤くして答えた。

「……知っています。ずっと書庫で難しいご本を読んでいらっしゃるから……」

「ご存じでしたか……」

 そういえば、覗きに来ていたこともあったな……と思って、恭一郎はちょっと苦笑を浮かべる。

「ルネリーザ様は、今は何のご本を読まれていたんですか?」

「聖女様のおはなし……です」

 ルネは、胸に抱えた本をぎゅっと抱きしめる。

「聖女様のおはなし? どんなおはなしなんですか?」

「聖女様と賢者様が、国の災いを取り除くおはなしです」

(建国の話かな……)

 もしかしたら恭一郎の読んだものとは、違う話かもしれない。

「私に聞かせてくれますか?」

 恭一郎の問いに、ルネは頷く。

「隣に座っても?」

 そう言った恭一郎に、ルネはぱぁっと花が咲いたように笑顔を向けた。


「おかえりなさいませ、旦那様」

 仕事を終えて帰宅したヴァルツリヒトは、いつものように侍女に来ていたマントを預けながら小さく首を傾げる。

「……。ルネは?」

 いつもは帰宅と同時に駆け出してきて迎えてくれる妹が、今日は姿を見せない。体調でも悪いのだろうか、と心配になって誰にともなく尋ねる。

「書庫にいらっしゃるようですよ」

 出迎えたジークに小さく笑いながら返され、若干ムッとしながらヴァルツリヒトは重ねる。

「書庫……?なぜ?」

「行かれたらお分かりになりますよ」

 含みを持った口調でジークに言われたヴァルツリヒトは、家着に着替えると書庫へと向かった。重い書庫の扉を開けると、絨毯の上に広げられたラグの上にくつろいだ様子で並んで座り、楽しそうに声を上げているルネリーザと恭一郎がいた。

(……!!)

 柔らかい明かりに照らされた二人の姿に、ヴァルツリヒトはなぜだか胸がギュッと締め付けられた。

(何だろう……この感覚は……。懐かしい……?いや、それよりも)

 もっともっと強い何か。

「お兄様!!」

こちらに気付いたルネリーゼが、声を上げて駆けてくる。その小さな体を抱きしめて額にキスをすると、ルネリーゼも頬に軽くキスを返してくる。それを見ていた客人と目が合うと、彼はヴァルツリヒトに向かって小さく頭を下げた。

「おかえりなさいませ! 今日はお早いお帰りですね」

 元気に迎えてくれるルネリーゼに、ヴァルツリヒトは小さく苦笑をする。

「早くはない。いつも通りだ」

 そう言うとルネリーゼは、その紫水晶のような瞳を丸くして驚く。

「えっ!? もうそんな時間ですか?」

 慌てて時計を探すルネリーゼに、ヴァルツリヒトはさらに苦笑を深くする。

「もうすぐ金の三つ刻だ」

「まぁ……」

 丸い目をさらに丸くして驚くルネリーゼが、なんとも愛らしくてヴァルツリヒトの頬も緩む。

「ずいぶん楽しそうだったけど、何を話していたんだ?」

 何か余計なことをルネリーゼに吹き込んではいないかと、鋭い視線を恭太郎に向けるが、ルネリーゼはそれに気付かずに楽しそうに答える。

「キョー様がいらっしゃった世界のことや物語についてお話を伺ってました。キョー様すごいんですよ!私が知らない書庫の本まで読まれているんです!」

「そうか……それはすごい……」

(キョー……様……?)

 聞き慣れないフレーズに、ヴァルツリヒトは一瞬眉根を寄せる。けれど、すぐにそれを仕舞うと、笑みをルネリーゼへと向ける。

「さぁ、ルネ夕食の時間だ。早く行かないと、料理長が腕を奮った料理が冷めてしまう」

「はい。キョー様行きましょう!」

 ルネリーゼはヴァルツリヒトから離れると、恭一郎の手をグイグイと引いて扉の方へと向かう。

「ルネ様、そんなに引っ張らなくても行きますから……」

 ご機嫌のルネリーゼは、右側にヴァルツリヒト、左側に恭一郎を従えてご機嫌で食堂へ向かう。その姿を、ジークとモニカは苦笑しながら見送った。


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