第10話 この世界では、本の虫は少数派らしい。
海に近いその国で、ソレが見つかったのは偶然だった。
海から少し離れた森の中で、一面の野に咲く青い花。花弁の外側から中央に向かって色が薄くなり、中心にある花芯は淡い黄色をしている。可憐に風に揺れる様子は、美しくも恐ろしくもあった。一際強い風が吹いたその瞬間。花の中心から、黄金色に輝く、粉のようにも見える光が溢れ場を満たした。花の蜜を求めてそこに飛び込んだ蜂は、一瞬で地面へと落ちる。
あるときから、海の国では奇妙な病が広がっていた。それがいつから広まったのかはわからない。けれど、それは確実に海の国の民を侵していて、気付いたときには国の多くの者が病に倒れていた。豊かで華やかだった国は少しずつ傾いていた。もちろん、民を束ねる立場である王も、そのことには気付いていた。しかし、何もしなかった。いや、何もしなかったのであれば、まだ良かったのかもしれない。王とその周りの者たちは、国が貧しくなっても自分達が貧しくなるのが耐えられなかった。そのため、病が広がり、土地が痩せ、田畑が荒れ森が枯れ、川がなくなるのも構わず税をあげ、自分達だけは、変らずに豊かな暮らしを続けていた。
これではいけないーーー
国を、民を守らなければならない。
立ち上がったのは、幼い王子だった。王子とは言っても、王が気まぐれに手を出した平民の愛妾が産んだ子だ。王の庶子であり、その身はまだ幼かったけれど、他のどの兄弟より賢く、王よりも国を憂いていた。王子はどうにか父王が、国に、民に目を向けるよう手を尽くした。けれど、彼の声が王に届くことはなかった。
そんなときだった。
彼の前に、見たことのない二人組が現れた。別の国から来たという二人は、彼の国ではあまり見かけない色合いをしていた。
一人は月の光のような銀糸の髪に紫水晶のような深い紫色の瞳をしていた。その者は聖なる光の力で、青い花を消した。
もう一人は、濡羽のような漆黒の髪と黒曜石のように輝く瞳を持つ者だった。彼は、常に聖者の側にいて、知恵を授け、その身を守ったという。
異世界からやってきた聖者と賢者。
のちにそう呼ばれるようになる彼らは、国中から青い花を消し、腐敗した国の中枢を正し、新たな国を建国した。
最初の王に着いたのは、聖者と呼ばれる者だった。王は、海の国を治めその国土を山の端まで広げた。そうして国が落ち着いた頃に、王位を次代へと譲り、国境の近くにある山脈に沿った地へと退いた。
それがこの国の建国物語。メーアヴァルトの始まりの物語。
「……様……使徒様」
(……あぁ、俺か)
一瞬、誰のことかわからず無視をしかけた恭一郎は、目をパチパチさせながら返事をする。
「はい、どうしました? えーと……」
「モニカです。使徒様」
明るい茶色の髪と栗色の瞳の彼女は、笑みを恭一郎に向ける。
「モニカさん。どうしました?」
「休憩されませんか? もう土の三つ刻(午後四時)を過ぎましたよ。お茶の時間になさいませんか?」
(土の三つ刻……えーと……)
恭一郎は、頭の中で教えられた時計を思い浮かべる。けれど、頭がうまく回らず、今がどのくらいの時刻なのか、どれくらい時間が経ったのかがすぐにはピンとこない。
「書庫に入られて、一刻半(三時間)ほどがすぎています」
「そんなにですか?」
言われて、思った以上に読書に没頭して、時間を忘れていたことに気付く。集中していたせいか、体もバキバキだ。ふわりと香るお茶の匂いに肩の力が抜ける。机の上に広げていた本を閉じて端に寄せると、モニカが恭一郎の前にティーマットを敷いて、焼き菓子の乗った皿とティーカップを並べる。モニカによって注がれるお茶は熱々だ。
(……どこでお湯沸かしたんだろう)
「この書庫を作られたのは数代前の旦那様だそうですが、大層読書がお好きな方だったそうで、書庫を出ずに何でもできるように簡易的な厨房や仮眠室もあるんですよ」
顔に疑問が出ていたのだろうか。モニカはニコニコと笑いながら言う。
「そうなんですね」
「そのご様子だと、使徒様が仮眠室を使われることもあるかもしれませんね」
笑いながら言うモニカに、恭一郎は曖昧な笑みを返す。確かに、この書庫の本を読み尽くそうと思うのであれば、使うことがあるかもしれない。今の様子を見られていたのであれば、否定はできない。
(……ところで)
「使徒様はやめてください、モニカさん。ジークさんのように名前で読んでいただけると嬉しいです」
「……でも」
言い淀むモニカに、恭一郎はもう一度告げる。
「名前で、呼んでください」
「……承知しました。キョーイチロー様。調べものは捗りましたか?」
「はい。おかげさまで」
「それはようございました」
恭一郎が今読んでいたのは、子ども向けに書かれた国の興り……神話のような物語だった。その前に読んだ本に書かれていた内容も踏まえて、頭の中で整理する。
この世界は、ヨーロッパ風であることは間違いないようだ。そしてこの国、メーアヴァルト国は、王制の敷かれた魔法国家でこの世界の中でも中枢を担う国と言えそうだ。聖女伝説の始まりの地であり、聖女を召喚する魔法もこの国で生まれたという。
そして、この国に暮らす人々の多くは魔力を持っていて、日常生活における多くのものを動作させるのに魔力が必要になる……と。人から発せられるエネルギーではあるが、電気のように使われていると考えていいだろう。ただ、魔力の少ない者も中にはいて、そのような人間の多くは魔力の込められた装飾具を使って魔道具を発動させている。
本を読んでわかることはたくさんある。知らなかったでは済まされないことは世の中にはたくさんあるし、同時に、知っていれば避けることのできる難もある。
(まだ三冊しか読めてないけど、とりあえず、ヴァルツリヒト家が国内有数の貴族様であることは理解した)
どの本でも、ヴァルツリヒト家の名は王家に次ぐ存在として上がっている。国の興りから、王家を支えてきた重鎮のようだ。国の軍部に属する者が多いようだが、魔力に長けた者が生まれることも多いらしい。
(もっと詳しく書いてあるものを読みたいけれど、それはまた明日ジークさんに頼むしかないのか……。分類順に並んでれば、楽なのにな……)
そう考えてしまうのは、職業病なのかもしれない。
図書館の資料は、ある一定のルールに則って並べられている。多くの図書館が採用しているのが「日本十進分類法」というルールだ。書かれている内容によって、0類から9類までの分類に分けられている。だから、このルールを覚えてさえいれば、日本全国どこの図書館に行っても、目的の本がどこに並んでいるかが大体わかるのだ。
が、残念ながらこの書庫の本はそのような並びにはなっていない。明日またジークに頼んで、何冊か見繕ってもらうしかない。
恭一郎は、グーッと腕を天井の方に伸ばして背伸びをする。固まっていた体が、少しだけほぐれて気持ちがいい。椅子に座ったまま、体を捻って動かしていると……
カタン
音がして、恭一郎はそちらの方に目をやる。すると、少女が扉の隙間から書庫を覗いているのが見えた。
(あれは……)
「あら、ルネリーザ様……」
モニカの声にビクッと肩を震わせて、少女は慌てて扉を閉めて去っていった。
(ルネ……リーザ?ルネリンデ……じゃないのか……)
聞き慣れない名前に、恭一郎は小さく首を傾げる。
「あまり人前に出るのはお好きでない方なのですが……キョーイチロー様のことが気になってらっしゃるみたいですね」
「そうですか……?」
食事のときには会話らしい会話もすることができなかったのだけれど、気にしてもらえているのであれば……。
(仲良くもなれるかな?)
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