第9話 本の並びが気になるのは、職業病でしょうか。

 なんだか変な雰囲気で終わった食事の後、恭一郎はパンパンになったお腹を軽く摩りながらジークに屋敷の中を案内されていた。

「一階は、食堂や応接室の他に厨房などがあります。キョーイチロ様のお部屋がある二階は主にお客様のフロアです。ヴァルツリヒト家の皆様のお部屋は三階です。プライベートルームになりますので、三階に上がられるのはご遠慮いただけると助かります」

(うー……腹が重い)

 大体にして、普段の朝はコーヒーだけで済ますことの多かった恭一郎だ。久しぶりに食べた十分な朝食に、体が驚いているのを感じる。

「もし、主人に何か用事がある際は、私どもにお声掛けください」

「……はい」

 恭一郎がどこかうわの空のことに気づいたのだろうか。ジークが小さく苦笑を浮かべる。

「ご気分がすぐれませんか?」

「いえ、そういうわけでは……」

 無理して朝食を食べすぎた……とは、ジークには言いづらい。

「そうですか。では、庭に出て外の空気でも吸いましょうか」

「はい」

 そうして案内された庭は、広かった。

(庭……庭とは?)

 恭一郎は目の前に広がる景色に茫然とする。

(庭というより、公園……それも、広い部類の……)

「こちらの庭は本邸に比べると随分小さいのですが、それでも庭師自慢の庭です」

 これで小さいとか、本邸の庭はどれだけの広さなのだろうか。

恭一郎は庭を見回して息を吐く。季節の花々の咲く庭は、隅々まで綺麗に手入れされていて、庭師の自慢だということが良くわかる。

「少し見て回っても良いですか?」

「もちろんです。ただ、私は他の仕事がありますので、戻らせていただきます。何かございましたら、侍女をつけておりますので、お申し付けください」

「わかりました。ありがとうございます」

 恭一郎は屋敷に戻るジークを見送ると、侍女に頭を下げて庭に向かって歩き始める。植えられている花は、見たことがあるものもあれば、ないものもある。当然、暮らしていた世界でも恭一郎が見たことのない植物はあったので、植生は同じとも違うとも言い切れない。ただ、庭の造りには見覚えがあった。

(イングリッシュガーデンと言われるものに似ている……か?)

 庭の端の方まで来たところで、片隅にある石造りの建物に目がいく。ナチュラルな雰囲気で造られた庭において、質実剛健と言えそうな見た目のソレはひどく浮いて見えた。

「あれは……?」

(なんだ?)

 よくわからないけれど、なんだかひどく惹かれる。振り返って後についてきていた侍女に尋ねた。

「あの建物は何ですか?」

「あれは書庫です」

「書庫!」

 その言葉だけで恭一郎の心が躍る。

(そういえば、この世界に来てからまだ一度も本や文章にお目にかかってない!)

「興味がおありですか?」

 恭一郎の反応が可笑しかったのだろうか、侍女がクスクスと笑いながら尋ねてくる。

「はい!本には目がないんです!」

(それに本を読めば、この世界のことが何かわかるかもしれない!)

 思わず前のめりになってしまった恭一郎を見て、侍女は笑みを深くする。

「では、午後からご覧いただけるように許可をとっておきますね」

「ありがとうございます!」


 またまたなかなかの量の昼食をいただいた後、恭一郎はジークに連れられて書庫へとやってきた。

「書庫に興味がおありとは、キョーイチロ様は変わってらっしゃる」

「子どもの頃から本を読むのが好きなんです」

 にこやかに言うジークに、ワクワクを隠せない恭一郎は答える。

 本は知らないことを教えてくれる。物語を読めば、自分は大金持ちの王様にも魔法使いにも勇者にもなれた。物語以外の本も、読めば恭一郎の世界をどんどん広げてくれた。

「そうだったんですね」

「こちらの方はあまり読書はされないんですか?」

「そうですねぇ……積極的に読む者はそう多くないかもしれません。本を読むためには時間も必要ですしね」

 確かに。元いた世界でも読書量は年々下がっていると言われている。それは子どもに限ったことではなく、大人ほど読む人と読まない人の差が開いているともいう。

 ジークが書庫の鍵を開け重い扉を開くと、そこには思った以上の世界が広がっていた。

「うわぁ……」

 石造りの書庫の中央は吹き抜けになっていて、天窓から柔らかい光が降り注いでいる。三層に階層分けされた内部の壁は、一面本で埋め尽くされている。かろうじて書架が空いているのは、一階層目の床に置かれている書架くらいだろうか。それでも、本を開けるスペースはあとわずかに見える。

「手に取って見ても?」

「もちろん、構いませんよ」

 恭一郎がジークを見て尋ねると、ジークはにっこりと笑って返してくれた。その言葉を聞くや否や、恭一郎は近くの棚の本を手に取り開こうとする。

(いや、待て。俺、読めるのか?)

 恐る恐る開いてみると、確かにそこには見たことのない文字が書かれている。横文字で、アルファベットに近いようにも見えるが、全く同じ……というわけではない。ヨーロッパ風の世界観ではあるようだが、使われている紙は羊皮紙ではなく和紙に近い紙だ。形の整った文字が少し掠れているので、印刷……それも、活版印刷であると思われる。裏のページにインクが染みていないので、紙の質もインクの質も非常に良いものなのだろう。

(日本語ではない。でも、読める。そう言えば、言葉も最初から理解できたし、会話も成り立っているな)

恭一郎は、本を戻して隣の本に手を伸ばす。パラパラと捲ると物語のようだった。さらに隣の本を開くと、何やら機械の設計図のようだ。隣の本は、魔法の技術書のようで……

(分類がっ!! バラバラだっ!!)

 何ということだろうか。ここの書架はどうやらルールに則って並べられているわけではないようだ。大量の本の中から、必要な本を探し出す労力を思って、恭一郎は軽く額を抑える。

(読みたいのは、歴史書や事典のようなもの何だけど……)

 この中から自力で見つけられる気がしない。

「ジークさんすいません、この国の歴史や文化について書かれた本を読みたいのですが、どこにあるかわかりますか?子ども向けの本でも構いません。近年までの歴史がざっくりと書かれた本があれば嬉しいです」

ジークは少し考えて、困ったように笑む。

「どこ……と言われると、困ってしまいますね。ここの本は、ヴァルツリヒト家の皆さんが代々持ち込まれたもので、強いて言うならば手前にあるものがより新しいと思われます」

(マジか……)

 恭一郎は、心の中で頭を抱える。膨大な資料の中から必要な情報を得るためには、闇雲に書架を当たればいいわけではない。効率よく探すためには、目星をつける必要があるのだ。

「ただ、キョーイチロ様が読みたいのは、歴史や文化について書かれたもの……ですよね?」

「はい」

「では、探してみましょう」

 何だか簡単に言われてしまって、恭一郎はきょとんとした表情をジークに向ける。たとえ複数人で探したとしても、この量だ。時間はかなり必要となる。

「探すって、この本の中からですか?」

「えぇ。でも、一冊一冊見ていくわけではないですよ?」

 ジークはウインクをすると、小さく歌うように呪文を唱える。すると、書架にあるいくつかの本の背がほのかに光を帯びた。

(これは……魔法……)

 キラキラと輝く光に、恭一郎は軽くめまいを感じながらも、少しテンションが上がる。

「旦那様がいらっしゃれば、手元まで運んでくることもできるでしょうけど、私ではこれが精一杯ですね」

 キラキラと目を輝かす恭一郎に!ジークはにっこり笑う。

「そうなんですか?」

「えぇ。旦那様は、国内でも有数の魔法の使い手ですので」

「へぇ……。でも、ありがとうございます。場所が分かれば、十分です」

 恭一郎はジークに笑顔を返すと書架へと向かっていく。

「では、ごゆっくりお過ごしください。必要なものがあれば、侍女……モニカに声をかけてくださいね」

「はーい。ありがとうございます、ジークさん。モニカさんもよろしくお願いします!」

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