第5話 王様は、思っていたよりもずっと王様でした。

 案内されたのは、王宮内の応接室のようだった。ふかふかのソファとローテーブルが置かれていて、テーブルの上には美味しそうな茶菓子が並べられている。恭一郎が侍女に促されてソファに腰を下ろすと、すかさず熱いお茶の注がれたカップが差し出された。

「ありがとうございます」

(紅茶……?)

 礼を言って受け取り、カップの縁に口を付けると嗅いだことのある香りがする。口に含むと、少し癖のある味がする。同じ飲み物でも、世界が変わると味に差も出てくるのかもしれない。

(まぁ、産地が違うだけで味はだいぶ変わるしな)

 目まぐるしく展開していく状況に、固くなっていた気持ちが少しだけ和らいだ気がして、恭一郎はホッと息を吐いた。恭一郎の様子を見ていた侍女は、小さく頭を下げて壁際へと下がっていく。必要な時に必要な分だけサポートしてくれるのは、正直助かる。王宮の侍女なのでそのように躾けられていると言えば、そうなのかもしれない。けれど、ここに来る道すがら好奇や物珍しげな目に晒され続けていた恭一郎にとっては、たとえそれがフリだとしてもありがたい。

 準備されていたお菓子に手を伸ばし食べようとしたところで、コンコンとノックの音が響いた。キョロキョロと見回して見るが、侍女も謁見の間からついてきた護衛も、誰も返事をしようとはしない。

(俺か……)

「……どうぞ」

 小さく息を吐いて返事をすると、侍女が扉を開けた。

 扉が開くと、金髪碧眼の美丈夫……国王陛下が、護衛と共に入ってくる。王は、京一郎の向かいのソファに腰を下ろし、護衛はすでに部屋にいた同僚の隣に並んで立った。

「改めまして、使徒様。私はレオンハルト・メーアヴァルト。ここメーアヴァルト国を治める王です」

 頭を下げて名乗る王……レオンハルトに、恭一郎も慌てて頭を下げる。

青木あおき恭一郎きょういちろうです」

「アオキ……キヨ……イチ……ロ?」

「青木が姓で、恭一郎が名です」

「キヨ……キョイ……」

 どうやら京一郎の名は、この国では呼びにくいらしい。ブツブツと小さな声で呟くように発音しているレオンハルトに、内心苦笑しながら恭一郎は繰り返す。

「恭一郎です」

「キョーイチロー様」

 発音に長音記号を感じるけれど、間違いではない。恭一郎は微笑んで頷くが、笑みを苦笑へと変えて続ける。

「様も不要です」

 一般人の恭一郎は、国王陛下であるレオンハルトに様付けで呼ばれるような身分ではない。

「では、キョーイチロー殿」

「はい」

「私のこともレオンハルトとお呼びください」

 その言葉に、周囲の空気がざわりと不穏に動く。

「いや、王様のことを名前で呼ぶなんて!!」

(この国のことをよく知らない俺でも、不敬だってわかる)

「私が良いと言っているのですから、構いません。誰にも文句は言わせませんよ」

 にこやかな笑みを浮かべてレオンハルトは言うけれど、恭一郎は心臓バクバクである。

(これは、うんと言っていいのだろうか……)

 『誰にも文句は言わせない』とは、恭一郎にも選択の余地はないと言うことなのだろう。恭一郎は逡巡するけれど、有無を言わさぬレオンハルトの笑顔に息を吐きながら答えた。

「……では、レオンハルト様。お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 名前呼びは受け入れるから、せめて敬称を付けることだけは許してほしい。だって、周りの目が怖いんだもん。

 レオンハルトは、一瞬目を見開くけれどすぐに笑みに戻して答える。

「はい。私にお答えできることでしたらお答えしましょう」

 レオンハルトの笑顔は人好きのする顔ではあるが、その先にある感情が読めず恭一郎は薄寒さを感じながら聞く。

「お……私はなぜ、この国に呼ばれたのでしょうか?」

 京一郎の問いに、レオンハルトは表情を固くして話し始める。

「我が国……というか、この世界は、今存続の危機に瀕しているのです」

 そうは言っても、王宮を見る限りでは危機に瀕しているようには見えない。むしろメーアヴァルト国は豊かな国であるように思われる。

「キョーイチロー殿は、瘴花をご存じですか?」

 問われて恭一郎は首を横に振る。その言葉は、先ほどの謁見の間でも聞かれた言葉だ。

「瘴花とは、瘴気を発する花のことです。瘴気とは、穢れを帯びたエネルギーのことで、空気中にも僅かに存在しています。少量であれば、体に何の害もないのですが、大量に濃度の高い瘴気を吸うとたちまちに命を落としてしまう恐ろしいものです」

 レオンハルトが目で合図をすると、侍女が分厚い本を恭一郎に差し出す。開かれたページには、青い美しい花が描かれている。

「それが瘴花です。瘴花は、一輪でも高濃度の瘴気を発ますが、多くの場合群生しています。その発生の仕組みや原産地はわかっていませんが、通常であれば、稀に人里離れた山奥などに生えているのを、たまたま通りかかった者に発見されるくらいでした。頻度で言えば、年に一度歩かないか程度です」

 恭一郎の知っている花で言えば、瘴花はネモフィラの花に似ている。中心部は白く、外側に向かって深い青へと変わる花弁の花が、群生している様子はさぞかし美しいことだろう。けれど、その美しさは、人の命を奪う美しさでもあるようだ。

「この瘴花の群生地が、近年頻繁に発見されて、国土や民たちに被害を及ぼしているのです」

「なるほど……。でも、それとこれとは何の関係が?」

 恭一郎の言葉に、レオンハルトは答える。

「瘴花は、切っても刈っても枯れません。火を付けて燃やしてしまうことはできますが、そうするとその土地に瘴気が移ってしまって十年以上は土地が使い物にならなくなってしまいます。唯一の対応策が光魔法での浄化なのですが、光魔法は使い手が限られていて、被害に追いついていないのが現状なのです」

(何となくわかってきたぞ……)

 恭一郎は、カップに手を伸ばして緩くなった紅茶を飲む。

「光魔法の最大の使い手は、聖なる力を持つ者……いわゆる聖女や聖者と呼ばれる人たちです。しかし、今代の我が国には、瘴花を浄化できるほどの光魔法を操れる者がおらず、異世界からの召喚に頼ったというわけです」

「なるほど……」

 恭一郎は、一息に紅茶を飲み干してカップを置くと、レオンハルトの瞳を真っ直ぐに見つめた。

「ご承知の通り、私は聖女ではありません。しかも、魔法も使えないようなので、この国のお役には立てそうにありません」

 それはつまり言外に元の世界に帰してくれと言っているようなもので。その言葉にレオンハルトは困ったように眉を下げる。

「大変申し訳ないのですが、今の我々の技術では、使徒様を元の世界にお戻しすることはできません。また、しゅは何か意味があって貴方をこちらの世界に呼び寄せたのでしょうから、それがわかるまではこの国にいていただきたいのです」

(本人が人違い、失敗したって言ってたんだけどな……)

 という言葉は、恭一郎の心の中だけにしまっておくことにする。

「わかりました。……ですが、私を元の世界に戻す方法を探すことは、してくれますよね?」

「それはもちろん」

 レオンハルトは、にっこりと笑みを恭一郎へと向ける。その笑みは、先ほどまでの感情が読めないようなものではなく、信頼できる心からの笑みだと恭一郎は感じた。

「では、私がここにいる意味がわかって、元の世界に戻る方法がわかるまでお世話になります」

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