第5話

「咲人、今日はずいぶん早いね」

「ああ、うん。ちょっと用事があって」


朝、いつもより早く起きてリビングに行くと、母に声をかけられた。


「もしかして、最近仲のいいっていう女の子?」

「まあ、そんなとこ」

「そっか、楽しんでらっしゃい。夕飯の事は気にしなくていいから」

「いいの?」

「いいのいいの。だって咲人がお友達と遊ぶだなんて小学校以来なんだから、楽しんでおいで」

「ありがとう。じゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい。気をつけてね」


どこか嬉しそうに笑う母の声を背に、僕は家を出た。





七瀬さんの指示通りに待ち合わせ場所にバイクで向かうと、異様な格好をしている人物が視界に入った。

G W初日の午前9時。これから遊びに行くのであろう高校生や、仕事に行く社会人で行き交う駅前で、その人物を避けるかのように人々が忙しなく歩いていた。


「おはよっ!」


僕が待ち合わせ場所に着くと、その異様な格好をした人物は元気に挨拶をしてきた。


「おはよう」


異様な人物もとい、ヘルメットを被り、長袖長ズボンの服装に大きなリュックを背負っている七瀬さんは、両親に車で送ってもらって時間通りに来られたようだ。


「なに?その格好」

「いいでしょう」


冗談を詰め込んで出来上がった格好の七瀬さんは、胸を張って堂々たる仁王立ちを決めていた。


「結構イケてると思うんだよね、仮面ライダーみたいで。どう、似合ってるかな?」

「うん、完璧な不審者だよ」

「やっぱりそう見えちゃうかー」


一応その異常性には理解しているようだ。そうなると、どうしてその格好をやめなかったと聞きたくなるが、七瀬さんにそんなことを聞いたところで無駄なんだろう。


「周りの人がみんな私を避けて歩いてる気がしたから、もしかしたらそうなのかなーって思ってたんだけど、やっぱりそうなのかー」

「その格好だとだれも近寄って来ないだろうね」

「でもモーセの気持ちは味わえたかな」

「ああ、モーセの海割り?」

「そうそう、咲人くんよく知ってるね。モーセは海を割って見せたけど、私は人混みを割ってみせたんだよ」

「七瀬さんにしては学のあることを言うね」

「あっ、今絶対私のこと馬鹿にしたでしょ!咲人くんって、時々私を馬鹿にしてるようなところあるよね」

「別に時々ってわけじゃないけどね」


そんな僕の言い草を気に留めることなく、七瀬さんは笑っていた。こうしていると、七瀬さんは本当に病気なのかと思う時がある。でも、七瀬さんの笑顔の根源にはきっと、その身に抱える病があるのかもしれない。


「さてと、行こっか」

「今日はどこに行くつもりなの?そしてその格好の意味は?そもそも僕はなんでバイクで来る必要があったの?」

「バイクで来てもらったのは、もちろん乗せてもらうため。この服装は、まだ長袖のほうが都合がいい場所に行くから。リュックは必要なものをいろいろ入れてたらこの量になっちゃっただけ」

「君は雪国にでも行くつもりなの?多分この季節だと北海道にでも行かないと雪はないよ」

「ん?咲人くんはなにを言ってるの?」


やっぱり七瀬さんに学はないらしい。いや、それで七瀬さんが世界の歴史上人物を語り始めたら、僕は普段とのギャップで面食らってしまうだろうけど。


「それで、今日は結局どこに行くつもりなの?」

「まあまあ、それは着いてからのお楽しみだよ。それじゃ、私がナビになるから、とりあえずバイクを走らせよう!」


七瀬さんはそう言って僕のバイクの後ろに跨り、「出発進行!」と周りの目なんて気にせずにはしゃいでいた。


「いやいや、原付は二人乗りは駄目だからね。行くならタクシーか電車にしよう」

「えー、乗ってみたいのにー。ちょっとだけでも駄目?」

「駄目なものは駄目。ヘルメットは僕のバイクに置いていけばいいから」


僕はバイクには乗れないと七瀬さんを説得して、駐輪場にバイクを止めた。


「しょうがない。なら電車で行くしかないかー。咲人くん、はやく行こ」


七瀬さんは僕の腕を掴んでそのまま駅構内に引っ張っていく。


「ならチャージしてくるから、ちょっとだけ待ってて」

「それなら大丈夫、私に任せて」


改札を通る手段を持ち合わせていない僕を、なおのこと引っ張り続ける七瀬さん。周りから見ると僕は、女子に無理やり連れ回される情けない男に見えているんだろう。まあ、そんなことを気にしていても、もうしょうがないから諦めているけど。


「はい、咲人くんはこれ使って」


改札の前で七瀬さんに渡されたのは、交通系電子マネーのカードだった。


「これは?七瀬さんのはあるの?」

「もちろん。それは咲人くんのだよ」

「どういうこと?」

「えっと、簡単に言うとね咲人くんのために作ったの。本当は、この前の遊園地に行った時に渡せればよかったけどね」


空いた口が塞がらない、とはまさにこのことだろう。呆気に取られていると、そそくさと七瀬さんが改札を抜けてしまったので、仕方なく譲り受けたカードを使う。


「って、なにこれ」


改札に表示されたカード残高が、僕の見間違いでなければ【二万円】と表示されていた。


「どうしたのー、早く行こうよー」


七瀬さんには『待つ』ということが出来ないのかもしれない。カード残高を見て固まる僕の様子を、いろいろな角度から見ていた。


「この残高、なに?」

「あー、それね。いやぁ、この電子マネーって二万円までしか入らないみたいでさー」

「いや、さすがにこんな額は受け取れないよ」

「そんなの気にしないで。これからいろんな場所に行くんだから、むしろ足りないくらいだよ」


七瀬さんは僕をどれだけ遠くに連れていくのだろうか。

たしかに死ぬまでやりたい事ノートの全部を手伝うとは言ったけど、ここまでとはさすがに思ってなかった。僕はまだ七瀬さんの本気のほどを理解していないのかもしれない。


「とりあえず、行こう?」


七瀬さんに促され、僕はこれからどこに連れていかれるのだろうかと半ば恐怖を抱きながら電車に乗った。


「お金はいつか絶対返すから」


そう宣言することが今の精一杯だった。

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