第6話
「んっま〜!」
感嘆の声を漏らす七瀬さんに、感息を漏らす僕。
なんてことだろう、僕達はいよいよ県どころか地方すら越えていた。
僕達は現在、電車とバスを乗り継いで、果物が美味しいという農園にきていた。すっかり都会とかけ離れた情景で、標高の高いここからならば、遠目に海すら見えるほどだ。
名産物の果物を美味しそうに頬張る七瀬さんを横目に、僕はスマホで現在地を確認する。
「咲人くんも食べようよー。せっかくここまで来たんだからさ」
「それもそうだね」
七瀬さんの言うとおりせっかくここまできたんだ、少しくらい楽しまないともったいない。そう思って僕は机に置いてある苺を一つ頬張る。
「本当だ、美味しい」
口に放り込んだ苺は、甘酸っぱくて飲み込んだ後でも、その美味しさが口の中に広がっていた。
「でしょー?ほら、こっちもあるよ」
次々と苺やらメロンが置かれていって、その一つ一つが輝いて見えた。
その果物達を、次々に口へと放り込む七瀬さん。そんな七瀬さんの表情はとても幸せそうだった。
「よしっ、行きますか」
「え、まだ行くところあるの?」
「もちろん。というか、ここはただ休憩のために寄っただけだから。目的地はまだまだ先だよ」
七瀬さんはここからさらに都会を離れようとしているらしかった。しかし、それだと帰宅が遅くなってしまう。母に家のことは気にしなくていいと言われているが、早く帰るに越したことはないし、七瀬さんに病気で倒れられても困る。
普段の勢いで忘れそうになるけれど、七瀬さんは心臓の病気を抱えている。時間を共有する人としてその点は無視できない。
「七瀬さんの目的地は気になるし、連れて行ってあげたいとも思うんだけどさ、そろそろ引き返して帰らないと遅くなる。家族の人も心配するでしょ」
「たしかに心配はしてくれているだろうね。でも、そんな拘束された毎日じゃつまらないし、死ぬまでに悔いを残しちゃうからね。そして咲人くんは味方でいてね。甘やかしてね」
そこには、七瀬さんにしては珍しい感情が見え隠れていた。
自分勝手な七瀬さんなら今までたくさん見てきたけれど、甘える姿なんて初めて見たかもしれない。その甘える姿は、七瀬さんが僕に心を許したのか、僕が数少ない病気のことを知る人だからなのかは分からないけれど。
「咲人くんはただ、私と一緒にいろんな所に行って、たくさん思い出を作ってくれればいいんだよ」
「でも、さすがに連絡はしておかないと。遅くなるなら遅くなるって」
「たしかにそうだよね・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
七瀬さんは、夢から醒まさないでほしいと、そう言っているような、悲しそうな顔をしていあた。病院で行動が著しく制限されている七瀬さんから自由を奪うことは、僕にはできない。
「それとちょうどいいから言っておくけど、私は今日、咲人くんを家に帰さないからね」
「・・・・・・・え?」
「いやー、異性にこういうセリフ言われたら嬉しいんだろうけど、まさか自分が言う日が来るとはねー」
「えっと、どういうこと?」
「お泊まりってこと」
突拍子もない七瀬さんのセリフに一瞬言葉が出なかった。
「そういうことなら、なおさらお母さんに連絡しないと」
「それなら大丈夫だよ。ちゃんと咲人くんのお母さんには許可貰ってるから」
「えっ、どういうこと?いつの間にお母さんと連絡取ってたの?」
本当に分からない。七瀬さんは僕のお母さんと会ったことがないはずだ。
「ふふん、それはね、実は病院の検査で担当してくれている看護師さんが咲人くんのお母さんだからだよ」
そのセリフと同時に今朝のお母さんの様子を思い出す。そういえば、やけに楽しそうに笑っていたな。
お母さんが七瀬さんの通院している病院で働いているのは知っていたけれど、まさか七瀬さんの担当をしているとは思わなかった。
「・・・・・・そういうことか。僕の知らないところで二人は連絡を取っていたんだね」
「あったりー!二日間咲人くんを預かりますって言ったら、どうぞどうぞって言ってくれたよ」
七瀬さんはそのときのお母さんとの会話を思い出しているのか、大袈裟に笑っていた。僕の知らないところで二人がそんなに仲良くしているとは知らなかった。
「だから今、私を咎めるものなんて、病気と神様くらいなんだから気にしなくていいの」
「気にする理由にしかならない二つをよく挙げようと思ったね」
「大丈夫だよ。私の身体には、私の行動を止めるなら、病気の進行を止めておけって言ってあるからいいんだよ。それに病気になる運命を作った神様なんて大嫌い。誰だって、嫌いな人の言うことなんて聞かないでしょ?」
「七瀬さんらしいね」
そのあと、少なくともその場には七瀬さんを咎める人はいなかったため、僕達は再びバスに乗り込んだ。
気がつけば山道に入っていて、かなりの標高に来ているみたいだった。するとなにやら施設が見えてきて、近くにつれ独特の匂いが鼻を突いた。どうやら僕は温泉に連れて来られたらしい。
日が暮れ始めてきた頃、僕達は温泉宿に到着した。七瀬さんはこの立派な佇まいの旅館に泊まろうというのだろうか。
「こんにちはー!いや、もうこんばんわなのかな?」
七瀬さんが元気よく声を出すと女将さんが出てきてくれて、おもてなし精神のお手本のような動作で接待をしてくれた。
「汗もかいたし、もう温泉入ろうよ。いいよね?」
「いや、ちょっと待って。まさか一部屋しか取ってないの?」
「うん、そうだけど何か問題あった?」
「いや、男女が同じ部屋に泊まるなんて問題しかないでしょ」
「大丈夫だよ。咲人くんが私に何かしてくることなんてないでしょ?」
「それはそうだけど・・・・・・」
「なら問題ないじゃん。ほらせっかくの温泉なんだから早く入ろうよ」
「わかったよ。せっかくここまで来たんだしね」
どうやら七瀬さんと別の部屋に泊まることは無理そうなので、後のことは温泉で汗を流してからにしよう。
「お客さん、まだ全然いない時間帯みたいだね」
「そうだね。ゆっくり温泉に浸かれそうだよ。入浴の時はひとりに限る」
「ふふっ。せっかくだし、混浴、しちゃおっか」
「・・・・・・僕の話聞いてた?ひとりがいいってことを主張したつもりだったんだけどな。混浴なんて馬鹿じゃないの?」
「いつも色々振り回しちゃってるからお礼にバスタオル姿くらいなら見してあげてもいいかなーって思ったのに」
「もう一度言うよ、馬鹿なんじゃないの?」
「冗談だよー」
僕達は別れて各々温泉に入っていく。地元の銭湯は時々利用するけど、自然豊かでおいしい空気と入浴の心地よさを同時に味わえる露天風呂には興味があった。身体をひと通り流し終えると、すぐに外へと繋がる扉を開ける。
だけど、僕の快適の空気は、次のひと声で望むべくもなくなってしまった。
「ねぇー!咲人くん聞こえるー?」
七瀬さんは、男女分かれている露天風呂の柵越しに会話を試しみていた。やっぱり七瀬さんは馬鹿みたいだ。
「ねぇってばー!」
「・・・・・・あのさ、恥ずかしいからもう少し静かにしてくれないかな」
「なんだ、聞こえてるじゃん!」
「聞こえてるから、もっと声を小さくしてくれないかな?」
「どうして?」
「恥ずかしいからってさっき言ったでしょ」
「いいじゃん、こっちには誰もいないんだし」
「僕のほうにいたらどうするのさ」
「恥ずかしいのは咲人くんだけなんだからいいじゃない」
このクソ野郎、と言いたくなるのをグッと堪える。きっと七瀬さんのことだから「私は女だから野郎じゃないんだなー」なんて揚げ足を取ってくるんだろう。
「私ね、今裸なんだ」
「・・・・・・・・・・」
七瀬さんの言葉の意味を一瞬でも考えてしまった僕もきっと馬鹿なんだろう。入浴中なんだから、当たり前の格好をしているというのに。僕が返答に遅れていると、七瀬さんはさらに畳みかけてきた。
「あれー?もしかして想像しちゃった?うふふ、今ならまだ間に合うよ。こんな機会なかなかないからね、混浴行こっか」
「ごめん、潜っていたから何を言ってるのか全く聞き取れなかった」
「だーかーらー」
「だけど碌なことじゃないってことだけはわかるから、何も言わなくていい。七瀬さんは常に話さずにはいられない病気か何かなの?せっかくの温泉なんだから静かにしようよ」
「私は心臓の病気ですー。まあ言いたいことはわかるし、いい温泉だなーとは思うんだけど、この柵の向こうに咲人くんがいるって思うと無性に話したくなるんだよね。私にとってはみんなが当たり前に感じる今みたいな時間も限られた自由な時間だから、できることならずっと話していたいんだー」
静かで寂しい空気が僕の思考を麻痺させる。話に乗らなくてもいいのに、ついつい、話に乗ってしまいたくなる。
「だからさ」
「うん」
「混浴行こっか」
「もう本当に黙ってくれないかな」
一度でも真面目に話を聞こうとした僕が馬鹿だった。本当に僕の優しい心を返してほしい。
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