第三話 教会の地下
ヴェーチルは思ったよりも冷静に事実を受け止められていることに、自分でも驚いていた。何となく、こうなることを心のどこかで想定していたのかもしれない。
アルジントはそういう人間だった――今ならそう思える。
「イルバ・マルサスはいなくなったということは、つまり悪魔イルバに殺される可能性はなくなったということですね」
ヴェーチルが確認して訊くと、レーンは大きく頷いた。
「うん。アルはイルバ・マルサスを何としても殺そうとしていた。……でも、俺の方が悪魔を引き込んでしまったんだ」
「アルジントはそんな風に思っていませんよ。だから、あとはフロールさんをネルソン村に返すだけです。……きっとその時、神が俺たちのことを審判してくれるでしょうから」
ヴェーチルは後方からこちらに視線を向けるリード牧師を振り返った。穏やかで悲しそうな顔を浮かべている。自分の役目を理解しているがゆえの表情だった。
「……ついて来なさい。フロールを運び出すなら、日中の方がいい。夜は自警団に怪しまれてしまう」
「分かりました」
そう言って、ヴェーチルはジェインとレーンの顔を交互に見て頷いた。
リード牧師の後をついて地下へ進み、ヴェーチルは眠る少女フロール・ヴァレンヌと二度目の対面をした。
その姿は相変わらず美しく、本当に眠っているだけのような姿だ。すぐにでも目を覚ましそうな少女に、ヴェーチルは悲しみの感情を抱いた。リード牧師による語りを聞いた後だと、その悲しみはより強くなる。生きていれば、この少女はどんな人生を歩んでいたのだろうか。
「……ねえ。こっちのは何?」
ジェインが身震いしながらフロールが眠るケースの奥の方を指さした。
そこにはもう一つ同じようなケースがあったが、洞穴の岩壁で半分ほど隠れている。
リード牧師は失態に焦った表情を見せた。だが自らを弁護することなく、すぐに諦めたように溜息をついた。
「……悪い、ジェイン。まだ見せるつもりはなかった。これもお前のためだった」
その言葉を聞いて、ジェインの顔からは一瞬で血の気が失せた。一目散に奥の方へ走って行く。
白い布を持ち上げてその中を確認するなり、ジェインは恐怖の叫び声を上げた。
「爺ちゃん……!?」
そこにあったのはジェインの祖父、先代牧師のランドル・リードの眠った姿だった。
だが、ヴェーチルの目にその姿は映っていなかった。咄嗟に思い浮かんだのは、ウェリティが書いたフロールについての記録である。
『死者の身体と魂が解離した時、私たち死者はフロールの死体を認識できるようになった』
『死者ルーアに憑依した瞬間から、フロールの身体が私たち死者にも視えるようになった』
これらの逆を考えると、ランドル・リード先代牧師は、身体と魂が解離していないのだ。だからこそ、死者の死体を見ることができないのだろう。
だが、死者の目には映らなくても、この状況が異常であるということは分かる。
ヴェーチルの中には、フロールを初めて見たときとは違う感情が浮かんでいた。これはさすがに良い気がしない。たとえどんな理由があったとしても――。
「父さん!? なんで爺ちゃんがここにいるの!?」
「お前の爺さんは、死者に足を引っ張られたんだ。お前を全てに巻き込んだ……。それは私にとって許せることじゃなかった。だから、爺さんのことには触れずに、このまま遠出したままにさせたかった。姿もなく、墓もなければ、爺さんかまさか死んでいるなんて思わないだろうと……。これは完全に私のミスだよ」
リード牧師は腹を括っているようで、言動全てが異様なほどに落ち着いていた。
「正気じゃない……、正気じゃないよ! 父さんは牧師でしょ!? そんなのやっていいことじゃないでしょ!?」
洞穴の中にジェインの悲痛な叫び声が響く。
「そうだろうね。ジェイン、お前は私を自警団に差し出すか? それとも王に差し出す? ……これが死者の冒涜だと言われたら、私も違うとは言えない」
冷静な父親に、ジェインがひどく裏切られたかのような顔で力の限り叫んだ。
「嘘ついてよ!? 今まで嘘ついてたのに、どうして認めるの!? 最後まで嘘ついてよ! これは死者の冒涜じゃないって、どうして言わないの!?」
言葉で追い詰められたリード牧師は、ただ黙っていることしかできずにいた。
ジェインは怒りに顔を火照らせ、少しだけ鼻をすすりながら、祖父が眠るケースから離れた。
「……もう別にいいよ。僕が今やらなきゃならないのは、フロールさんをネルソン村に返すことだから。……これだけはやり遂げないと」
父の横を無言で通り過ぎると、ジェインはフロール・ヴァレンヌの姿をじっと見た。
「早く運ぼうよ。教会に停まってる馬車を使えると思うから」
「あの……。ジェイン、大丈夫……?」
ヴェーチルがそっと訊くと、ジェインが作業をこなしながら小さく頷いた。その両目には涙が溜まっていた。
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