第二話 歴史語り
「稀代の神の代弁者と呼ばれた男こそが、アンドラ王だった。彼の人物像が細やかに記録されたものはそれほど残っておらず、その多くは謎に包まれている。
一六九八年、戦いの女神とも呼ばれた先代女帝エルヴィナは、アンドラ・ブラシェールを戦乱の世に産み落とした。
エルヴィナは争いに強く、民を扇動する力もあったが、俄然政治方面はからっきしだったと言われている。アンドラ王は幼少期から戦いによる貧富の差を目にしては苦しんでいた。だから、この街を平等にするのは自分の役目だと、ずっと思っていた。
アンドラ王は街の中だけではなく、その郊外の村のことにも目を向けていた。安定した暮らしができるように、彼らにも配慮したんだ。だから、村の者たちはアンドラ王を強く支持したんだ」
ダンベルグ教会の翼廊で開かれていたのは、リード牧師による歴史語りであった。目の前にはヴェーチルの妹シェリダを含む四人の少年少女たちが座っている。子供には難しいかと思われるリード牧師の話しぶりではあるが、何度もこの話を聞いているらしい彼らにとって、それはもはや童話に近しいものになっていた。
さらにその後方で、ヴェーチルとジェインがリード牧師の語りを聞いていた。
シェリダが前列で目を輝かせながら、リード牧師に手を挙げて訊いた。
「アンドラ王は村の女の子のことが好きになったんだよね」
「そのとおり。彼は色恋沙汰には無縁のまま生きていく覚悟をしていたようだが、たまたま訪れたネルソン村で、その少女のことを気にするようになったらしい。……でも、それは見た目の美しさだけが理由ではなかった」
「私知ってるよ。心が綺麗だったから、だよね?」
「そのとおりだよ。人の心は何にも代え難い。純粋な少女の心は、茨道を歩くアンドラ王にとって希望だったんだろう」
シェリダの顔が少し寂しそうになる。
「でも、女の子は病気だったんだよね?」
「そうだ。アンドラ王が彼女を迎えに行く約束をして別れたきり、二人は二度と会うことはなかった。三〇歳になったアンドラ王がルーフェス旧市街を復興させた時には、既に少女は亡くなっていたんだ」
前方の若い聴講者たちが「かわいそう」との声を上げていた。
ヴェーチルは確かにその通りだと思いながら、この小休止のタイミングで手を挙げた。
「あの、僕からも一つ聞いていいですか? なぜアンドラ王は少女の死をすぐに知ることができなかったんですか?」
「王族がわざとアンドラ王に隠していたことが明らかにされている。だから、仕事に一区切りついたアンドラ王がネルソン村を訪れたとき、初めて少女の親族から知らされたようだ」
「とてもショックだったでしょうね、アンドラ王は」
「その気持ちは誰にも計り知れないだろう。唯一の救いがその少女だったのだからね」
「続きを聞かせて!」
子どもたちの声に、リード牧師が頷いた。
「アンドラ王は村から城へ帰るとき、この教会に寄って祈りを捧げた。そして、帰ったその日に死んでしまったんだ。城外で――しかも、あまりにもみすぼらしい服装だったそうだ。最初は誰もが王だと気がつかなかったらしい。本当は誰にも気づかれないまま死ぬことを望んだのかもしれない」
ヴェーチルは心の中に悔しい思いが込み上げた。
教会の地下にフロール・ヴァレンヌの死体があったことすら、アンドラ王は一切知らずに死んだのだろう。ルーフェス旧市街を作り上げたあのアンドラ王が、それほどまでに王族に妬み嫌われ、死に追いやられたのだ。
アンドラ王と聞けば実力と人望を兼ね備えた強き王というイメージが先行してしまうが、それは後世の人間による勝手な想像に過ぎない。
「あの、僕も一つ聞いていい……ですか?」
ジェインが少し改まったように口を開いた。リード牧師の顔には驚きの表情が浮かんでいる。
「ああ、もちろんだよ」
「神の代弁者ってアンドラ王は言われてるけど、それってただ言われているだけなの? それとも、何か本当に神の言葉をお告げしたりしたの?」
鋭い質問に、リード牧師が一瞬考え込むような態度を見せた。
「それは――神に選ばれた人間だからだ。アンドラ王はこのダンベルグ教会をとても大切にしていて、よくここに足を運んでいた。目に見えない神の力は強大で、神は我々人間の知見が及ばぬ場所から、アンドラ王と友人のような対等な関係を築いた」
「神の方からアンドラ王に近づいたってこと?」
「そういうことだ。不思議だとは思うが、そうとしか思えないような力が、ルーフェス旧市街には働いているんだよ」
ぽかんとする若い聴講者たちを見て、リード牧師は困ったような笑みを浮かべた。
「……君たちには少し難しかったかもしれないね。今日はここまでとしよう」
そう言って語りに終止符を打つと、リード牧師はヴェーチルとジェインを呼んだ。
「どうしたの?」
ジェインが訊いた。
「この話をしていて、私にも一つ分かったことがある」
「何? もしかして、さっき言ってた神の力のこと? 死者が蘇るのはその力が歪んでいるから?」
「ああ、そうだ。すべてはフロール・ヴァレンヌから始まっている。そして、彼女やヴェーチル君たちが死者として蘇ったのは、神がアンドラ王の意思を汲んだからだ」
ヴェーチルが咄嗟に口を挟む。
「じゃあ、死者になったのはネガティブな理由ではなかったかもしれないってことですか?」
「そうだ。十分にあり得る。むしろ、その可能性の方が高いかもしれない」
「でも、マルサス家の人間だって死者になっています。どうして彼らも死者に……?」
「それをアンドラ王に聞くことができれば良かったんだが……」
「――失礼いたします」
声がした扉の方を見ると、腰から深く頭を下げる青年の姿があった。その服装から、彼が騎士であることを誰もが認識した。
「……レーンさん!」
ジェインがレーンの方へと早足で向かう。ヴェーチルも後を追って歩いていくと、ただ事ではない状況がすぐに分かった。
心を整理してからやって来たのだろうが、顔には涙の跡が分かりやすく残ったままだった。
「申し訳ない。リーグルス家の人たちが、アルが……アルジントが、死んだ。たぶん、これは俺のせいなんだ。でも、アルは……イルバ・マルサスを殺した。自分のやるべきことを果たしたんだ」
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