第七話 レネッサベル教会(2)
レネッサベル教会の中には補修工事用の木組みが壁に沿って立てられていた。人の姿はないが、看板には『一八八八年十一月、火災により一部補修工事中』と記されている。
ルーアが何食わぬ顔で教会の中へ入っていく様子を見て、アルジントがヴェーチルを後方からそっと呼び止めた。
「ちょっと待て。火事の跡は見えているか? 看板とか……」
ヴェーチルがぽかんとした顔で振り向く。
「どういうこと?」
「なるほど、見えていないわけか。ここは昨年の十一月に火事になっている。ルーアにも見えていないらしい。これがどういう意味か分かるか? ……彼女が死んだのも昨年の十一月だ」
ヴェーチルはすぐにその意味を察して目を逸らした。
「……それがルーアの死因?」
「ああ。彼女には逃げているような記憶があって、それを思い出そうとすると空白が生じるのだとウェリティから聞いた。それなら、火事が理由の可能性は否定できない。いや、むしろその可能性が高い」
「ルーアには伝える?」
「今はまだやめとけ。……あとは君が伝えた方がいいと思ったタイミングで、話せばいい」
アルジントは鞄をヴェーチルに預けると、祭壇へ祈りを捧げるルーアにひと言も告げることなく教会を出た。
教会の墓地とは反対側に広がるネルソン村の丘陵を見上げた。その一番高い丘の上に、一本のリンデンバウムの樹が見える。
この場所からでも相当な大木であることが分かる。
アルジントはアマリウスの丘へと向かった。
丘陵を登り始めると、すでに草が腰丈まで鬱蒼と生い茂っていた。人の手が相当期間入っていない証拠だった。
頂上に辿り着くと、リンデンバウムの葉が風で揺られながら、さわさわと音を立てていた。
地面に細心の注意を払いながら、アルジントは樹を一周するようにゆっくりと歩いた。二週目に入ったところで、足に何かが当たった。
「石か?」
草の根元を手で掻き分けていくと、地面から二〇センチほど頭を出した岩のようなものがあった。表面は滑らかに削られており、人の手が加えられている。
腰を屈めてそれを見ると、文字が書いてあった。雨風にさらされて風化しつつあるが、かろうじて読める文字である。
そこには、フロールという名前が刻まれていた。
――ここが墓の場所か。
「……フロール・ヴァレンヌ。君は必ずここに帰って来れるだろう。だから、ルーアやヴェーチルのことを信じてくれ」
リンデンバウムに背を向けた時、一瞬だけ人の声が聞こえたような気がしたが、アルジントは振り返ることなく丘を下った。
「アルジント……! 本当にアマリウスの丘に登ったの?! 身体は何ともない?!」
戻ってきたアルジントにルーアが駆け寄った。
「何がだ?」
「えっと、色々と……?」
「フロールの墓なら見つけた。草に埋まって見えづらいが、樹の右側すぐそばにある。身体を返すのはあの場所だ」
「う、うん。分かったけど……」
歯切れの悪いルーアに、アルジントは首を傾げる。
「他になにか用事があるか?」
「ううん、何も」
「そうか。僕たちは街に帰ろうと思うが、ルーアはどうする? 体調不良に乗じてそのまま家に帰るか?」
ルーアは無言で俯きながら、迷っていた。
「迷うなら、ここに残れ。死者でいられる時間も短いかもしれない。母親との時間を共有できるのも今のうちだぞ」
「……ありがとう。じゃあ、そうする。二人はこれからどうするの?」
訊かれたため、アルジントが先にヴェーチルに指示した。
「君は妹のそばにいてやれ。僕はレーンに伝えたいことがあるから、今から騎士団学校に行く」
ヴェーチルは戸惑いの表情を見せたが、静かに頷いた。
「……分かった。時々、アルの言葉は何かを見据えていそうで怖いと思うんだ。でも、頼り甲斐あってさ。頼りすぎてたかなって思うこともあるけど……」
「今さらだな。僕も自分勝手にやらせてもらっているところもある。だから、そこはお互い様ってやつだ」
「じゃあ、私はこのまま家に帰るね。二人とも、今日は来てくれてありがとう。……ウェリティ先生のことはすごく悲しいけど、またすぐに会えると思っているから」
ルーアはにこりと笑ったが、その表情にはどこか寂しさを堪えたような感情が見え隠れていた。
ルーアに持ち前の爽やかな笑顔を向けるヴェーチルと、ほぼ無表情で視線を逸らすアルジント。対照的な二人は、ルーアに軽く会釈して村道に戻った。
ベル・ストリート入口付近で、アルジントは兄ダルラスから預かった本とウェリティの死者に関する一連の本を、鞄ごとヴェーチルに差し出した。
「これをヴェーチルに預けておく」
ヴェーチルは戸惑った様相でたじろいだ。
「う、嘘でしょ? それ、本気で言ってるの?」
「ああ、僕にはもう必要ない。最終的にジェインの手に渡って教会が持っていれば安全だ。……頼んだぞ。シェリダにもよろしく伝えてくれ」
「……? わ、わかった」
ヴェーチルはそれを受け取ると、大事そうに胸に抱えた。
それを見て、アルジントはふと安堵した表情を浮かべた。
「僕はしばらく研究室へは行かないと思う。何かあったら、教会へ行け」
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