第七話 レネッサベル教会(1)
地下研究室から死者に関する書物などを全て持ち出して、三人の死者はアムール・デ・ロワの店主レイクの家に続く通路を進んでいた。
「……アルジント、本当にそのまま進んで大丈夫?」
重い鞄を提げながら先頭を歩くアルジントに、ヴェーチルが不安そうな声をかける。
「大丈夫だ。もう何があっても切りかかるつもりはない。足は自由なんだ、どこか助けを乞いに外に出ているかもしれない。あいつに僕たちを殺すことはできないさ」
アルジントは頭上の四方形の板を軽く押し上げて、三センチほどの隙間から部屋の中をぐるりと覗く。
「……いない」
レイクが不在であることを確認して、三人は順番に家の中に入った。
「さっさと出るぞ」
レイクが朝の状態でルーフェス旧市街に繰り出しているとすれば、かなり人目を引くことになることは想像に難くない。彼がどこに消えたかは気になるところではあるが、今さら彼が何をしようと意味はない。現状、やむを得ず裏口を使用させてもらっているが、今後それ以外で彼に頼ることはないだろう。
ルーアの案内により、旧市街の狭い道を歩き進んで城門を出た。
その瞬間、大きく拓けた景色に思わず目を奪われた。初めて見る街の外の光景に、死者や悪魔のいる世界とはまったく別の場所に来たような感覚を体感したのだ。
「もしかして、二人とも初めて城門を出たの……?」
ルーアの言葉に、アルジントがヴェーチルの方を向く。
彼は輝いた瞳で周囲を見回しており、まるで幼い少年のように純粋な表情を浮かべていた。
「俺は初めてだよ。街の外がこんなに綺麗だったなんて知らなかった……」
アルジントはため息をつくと、ほんのわずかに苦笑を浮かべた。
「僕も初めてだ。思っていたより――いや、むしろ外の方がずっと綺麗だな」
「今日は月に一回の、ネルソン村の女性たちがヴァレンヌさんの家に集まって料理を作る日なの」
並んで歩きながら、ルーアはそう言って笑った。
「じゃあ男の人はどうするの?」
何気ないヴェーチルの質問に、ルーアは微笑みを見せる。
「いつもどおり仕事するだけ。この日は、女性が料理の腕前を上げるために切磋琢磨する日。だから、決して遊びじゃないの」
「すごいなあ。街の中にいると、そんな活動が行われているなんて想像つかないよ」
「ヴァレンヌさんとは、フロール・ヴァレンヌの家か?」
アルジントが訊くと、ルーアの表情はわずかに陰りを見せた。
「昔の話は聞いていないから分からないけど、私はそうなんだろうなと思ってる」
「じゃあ、アマリウスの丘って知っているか?」
「え? ……うん。でも、昔から丘の上に登ってはいけないって言われていたから、行ったことはない」
「なぜだ?」
「……あそこは悲しい場所だからってお母さんに言われた。でも、フロールのお墓はアマリウスの丘の上だし、必要があるなら私は行っても問題ないと思う」
ネルソン村のことは、アルジントも当然知ってはいたものの、いざ村に来てみると、ルーフェス旧市街とは社会の仕組みが随分と異なっていることが分かった。
ルーアがネルソン村の人間であるという事実を、初めて目で見て実感したのだ。
村道から少し土手を下がった場所に、赤い屋根の家があった。ルーアはその場所を指で示す。
「あそこが私のイージェル家。そばに牛舎があるの。――で、お隣がヴァレンヌさんの家。大きな家でしょう?」
ヴァレンヌ家は家屋面積だけでもイージェル家の約三倍の大きさはあるように見えた。牛舎だけでなく、近くには広大な畑が広がっており、どこまでがヴァレンヌ家の敷地なのかは見ただけでは判別がつかない。
「――で、僕は何をすればいい?」
アルジントが訊いた。
「こっちじゃなくて、村のレネッサベル教会に来て欲しいの」
「今さらだが、本当にいいのか?」
「うん。村で亡くなった人は、みんな同じ教会に眠っているから、母が死者なら墓があるはず……」
レネッサベル教会は白色を基調とした建物で、外から目視した限りでは窓枠に黒く焼け焦げた跡のようなものがあった。
「最近、火事でもあったのか?」
アルジントが何気なく訊くと、ルーアはきょとんとした顔で首を傾げた。
「え、どうして?」
その反応から、アルジントは「いや別に」とだけ答えた。
教会の裏手は丘陵地帯で、そのほとんどの敷地が墓地になっていた。緑地一面に並ぶ墓標の間を、風が吹き抜けていく。
「君は父親の墓の場所は知っているのか?」
「……うん」
ルーアの表情は緊張感の高まりにより、固くなり始めていた。
それでも、率先して墓地の間を歩きながら、父親の墓がある場所まで案内した。
「ここが、父の墓」
その墓は手入れが綺麗に行き届いていた。
名前は、ルイス・イージェル。享年三十五。
アルジントはその周辺を見回して、イージェル家の墓を探す。敷地が広いためか、家族ごとにまとまった区画を墓地として与えられているようで、それならば、ルーアの母親とルーア本人の墓も近い場所にあるに違いなかった。
アルジントが次に見つけたのは、ルーア・イージェルと書かれた墓だった。
死亡年月日は、一九八八年十一月五日。本日から数えて一年未満の歳月しか経っていない。
だが、この墓標はルーアの目には入っていないはずで、アルジントがそれを言うことはなかった。
ルーアの母親、アリアの名前を探してゆっくりと歩きながら、墓に刻まれた名前を注視していく。
――ない、……ない。……やっぱり、ない。
最終的にアルジントが出した結論は、「ルーアの母親は死んでいない」という答えだった。
ルーアの方をちらりと見ると、緊張が弾けそうなほどの顔で、ヴェーチルの後ろに縮こまりながら立っている。
それほどまでに知ることを恐れていながら、真実を知ろうとするルーアに対して、アルジントは彼女の覚悟を感じていた。
「……結果を伝える。君の母親は、死者じゃない。死んでいなかった」
その瞬間、ルーアはどっと脱力してその場に座り込んだ。魂が抜けたような顔で、大きく息を吐いた。
「良かった……。お母さん、死んでなかったんだ……」
ルーアは両手で大きく顔を覆うと、声を押し殺して泣き崩れた。
傍らで寄り添うヴェーチルも、つられて涙を浮かべている。
それほどまでに生者に寄り添える感情を持つ二人に対して、アルジントは羨ましさすら感じていた。
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