第六話 ウェリティ・ローグ
ウェリティが死者について調べ始めたのは、ラザーニ校で歴史の教師として勤め始めた頃だった。職員室には自席があり、ほぼ毎日のように教室で生徒たちに授業を行っていた。
ある日の勤務終了後、ウェリティは先輩教師から学校の地下に古い研究室があるという話を聞いて、俄然興味が湧いた。
そこはかつて教職員として勤めていた女性、サラ・リードのために造られた部屋だった。
サラは教員として勤めながら、若くして大病を患っていた。フロール・ヴァレンヌと同じ病であったと、兄ランドル・リードの『死亡者名簿』に記録されている。
病の進行によって教壇に立つことが困難になった後も、学校側はサラを手放そうとはしなかった。
むしろ学校はサラのために研究室を増設し、研究に没入できる環境を整えたのである。それほどまでにサラは人望が厚く、勤勉家な女性であった。
程なくしてサラが亡くなった後、その研究室は一時封鎖された。
だが、のちにウェリティが教職員となって地下研究室の存在を知ると、勤務時間外のみ研究室を使用できるよう学校長に直談判した。
学校長の許諾はあっさり下りた。その理由は単純で、地下を埋めるにも資金がかかり、どうせなら有効活用した方が良いという判断からであった。
しばらくして、学校長から「成果物として一つ論文を書き上げて欲しい」と依頼を受けたウェリティは、それに応えるため、時間外勤務も厭わず懸命に取り組んだ。
二月後、研究成果として第一号の論文を発表した。
表題は『生と死』。
サラの研究テーマと同じであった。
論文を読んで興味関心を抱いた者たちは、ウェリティ・ローグを高く評価した。
それゆえ、学校職員としての身分を有しながら、ウェリティは研究を職務とすることが許されたのである。
だが、ウェリティの死後、ラザーニ校側は学校職員名簿からウェリティ・ローグの名前を消した。
幽霊が出ると噂されるようになった地下研究室に、生者は誰も寄り付かなくなったのである。
「――ねえ、レイク。殺された私が言うのもおかしいけど、人の死には必ず意味がある。きっと、私はあの研究室で殺される運命だったのよ。そうは思わない?」
自宅へ帰る前、ウェリティは閉店後のアムール・デ・ロワに立ち寄っていた。
「運命があったとしても、俺はそれで良かったなんて思わないよ。人生選べるなら、絶対に生きていた方がいい」
力説するレイクに、ウェリティが嘲笑を浮かべた。
「あなた酷なことを言うわねえ。これから本当の意味で死のうとしている私たちには、まるで戯言よ」
「それでもいい。……君は本当に死者について解明する気なの? どれだけ労力をかけても、叶うとは限らないよ?」
「もちろん分かってる。分かったうえでやっているのよ」
レイクは大袈裟に眉を寄せた。
「俺には分からないよ。君たちは、ものすごく重大なリスクを見逃しているかもしれないじゃないか……」
その言葉に、ウェリティは冷笑した。
生者のレイクが、死者の苦悩を本当の意味で理解できていないことくらい、初めから分かっている。
それでも、死者に協力してくれる数少ない生者の一人として、それなりに彼には期待しているのだ。
「……ねえレイク、私、あなたには感謝しているのよ。フロールのことを教えてくれたじゃない? あれ、良かれと思って教えてくれたのよね?」
「もちろんさ」
あっさりとした回答に、ウェリティはため息をつく。
自らの気持ちを落ち着かせるため、大きく深呼吸してからレイクの顔を見た。
「じゃあ、私の話を聞いてくれる?
まず、この街を大きく二つの時代に分割するとしたら、間違いなくアンドラ王の治世の前後で区別されるわ。このルーフェス旧市街が街として形成されたのはアンドラ王の時代で、フロールという少女も同じ時代に生まれている。
アンドラ王は治世の後、フロールに対して迎えに行くを約束したけど、フロールの死体は死体泥棒によってネルソン村の墓から消えていた。アンドラ王が自害した理由は歴史の闇に葬られているけど、私の推論はフロールの死を知ったアンドラ王の精神的ショックによる自害。そして、これには全て王族たちが関与していると思うの」
「それはアンドラ王のことをよく思わない他の王族による陰謀ってこと? それなら、ダンベルグ教会にフロールの死体を保管させたのはどうして? アンドラ王のことが嫌いなら、わざわざフロールの死体を掘り起こしたりするかな……」
ウェリティの両眼がやや見開かれた。たった今レイクが話した内容に気に掛かる部分があったのだが、あえて触れないことを選んだ。
ウェリティは淡々と話を続ける。
「王族は陰謀を隠そうとしたのよ。アンドラ王を間接的に殺めたに等しい王族たちは、自分たちはそれに関与していないことを証明する必要があった。だから、わざわざ教会に資金援助をして、フロールの死体管理まで任せた」
強く言い切るウェリティに、レイクが苦笑混じりに小さく唸る。
「そんなこと、あるのかなあ……?」
「あるわよ。だから、もしも私の身に何かあったときは、あなたも協力してね。あの子たちと一緒に、フロールの身体をネルソン村に返してあげて」
これはさすがに冗談だろうとでも言わんばかりに、レイクの表情が引きつっていた。
人通りが少なくなったメインストリートを歩きながら、ウェリティは群青に染まり始めたばかりの空を見上げた。
自分が殺された日も、最期にこんな空を見た記憶がある。
あの日、研究室に図書館で借りた本を置き忘れて、再び研究室に戻ったのだ。
その間に見たほんの少しの空の色が、まさに今見ているものと同じだった。
これが生者として最期に見た外の景色だった。
ウェリティの背後をついて研究室に入ってきたのは、顔馴染みのレイクだった。
彼は柔らかな笑顔のまま、背に隠していた調理用ナイフを取り出したのだ。
ウェリティが黒い靄を見たのは、この時が初めてだった。
そして、ウェリティの記憶は途切れた。死んだのだ。
死者の研究をすることの大前提として、ウェリティは自分自身が死を受け入れなければならなかった。
だから、結果として誰に殺されたとか、そういうことはあまり気にしなかった。この先も話すつもりはない。
ウェリティは歩きながら、考えごとに耽っていた。
先代のランドル・リード牧師はサラを悪魔にさせたことをひどく後悔して、無事に神の国へ送ることができるようにと死者の研究を行った。
だが、彼の執念が詰まった『死亡者名簿』の存在を、サラは許さなかった。
そして、サラの恨みはイルバ・マルサスにも向けられた。サラ・リードとイルバ・マルサスの関係性ははっきりとしていないが、サラの性格を考えると、イルバ・マルサス側に何か非があったと考える方が妥当であろう。
やはり、イルバ・マルサスは――。
「――ねえ、待ってよ! ウェリティ!」
背後から聞こえた男性の声はレイクだ。
店に何か忘れ物でもしてしまっただろうか、とウェリティは後ろを振り返る。
その瞬間、心臓に調理用ナイフが突き刺さった。
「――……え?」
目に映るレイクの姿が、ぼんやりとして見える。
不思議と身体に痛みは感じないような気がした。
「あなた、また誰かに操られて――……?」
そのまま意識が遠のいていく。
身体の全ての力が抜けていくようで、どうしようもないほどに眠い。
これからやることはたくさんあるというのに――……。
「本当に……すまない……。ごめんよ、ウェリティ……」
泣きながら謝るレイクの声だけが微かに聞こえていた。
――どうして謝るの? あなた、また悪魔に操られたのよね? だってレイクが私を刺すなんて、それしか有り得な――……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます