第六章
第一話 ディルタス家の庭で
騎士団学校の領内を出てランゲル地区に入ると、王の住むダンベルグ城が姿を表す。軍事要塞としては今もなお現役で、ランゲル地区の周辺には貴族や騎士が邸宅を構えている。
その一角にディルタス家の屋敷がある。ディルタス家は子爵の爵位を持ち、二十二歳の青年騎士、レーン・ディルタスはその家の長男だった。
レーンは既に学校を卒業しているが、裏表のない性格と人望の厚さが買われて、今は学校に残って若手育成の一端を担っている。
この日は既に夕方だったが、アルジントに相談を持ちかけられ、レーンは断ることもなくその誘いに応じた。
人の喧騒のない場所で、というアルジントの事前の頼みを聞いて、レーンは自宅の庭にアルジントと立会人ジェインを招いていた。
庭園を歩きながら、レーンがアルジントから聞いた話を整理する。
「――それで、つまり。アルとジェインは俺を死者だって言いたいわけだな? この前お会いしたあの三人がアルの友人たちと言うわけか」
「友人かは分からないが、まあそういうことだ。話が早くて助かる。だから人のいない場所で話したかった。ジェインは生者で、僕は死者。おまけに僕は普通の生者には姿が見えない
騎士団学校の武器庫で起こった事件が、今でも鮮明に頭の中に蘇ってくる。あんな経験はもう二度としたくない。
「……大丈夫か?」
さり気なくレーンに訊かれて、アルジントは視線を逸らした。それを訊くのは、本来こちら側のはずなのだ。
正直者で真正面から物事に向き合おうとするレーンの姿勢は、アルジントが尊敬している部分でもある。頭の切れも行動力も、アルジントが太鼓判を押すほど信頼を寄せている人物だが、幾分人情味がありすぎて疑り深さには少々欠けているのだ。
「混乱していないのか?」
アルジントが訊くと、レーンは肩をすくめる素振りを見せた。
「まあ、していないと言えば嘘になる。でも、理由はともかく事実は理解した。アルが突然俺の前に姿を現したわけだから、それは疑いようもない事実だ。頭の理解はすぐに追いつかせるから、話を続けてくれ」
これ以上の気遣いは不要とでも言うように、レーンは落ち着いてアルジントの話を受け止めていた。
「分かった、普通に話を進める。……今、イルバ・マルサスという悪魔になった男が、生者や死者に取り憑いては人を殺めている状況が続いている。僕たちも生者の時にそいつに殺されているし、再び殺される危険性がある。だから、先にイルバ・マルサスを殺したい」
殺すという明確な意思表示を受けて、レーンが足を止める。
「……そうか。学校前で悪魔に取り憑かれたって人の話も聞いたことがある。アルの言うことは俺も嘘だとは思わないよ。イルバ・マルサスという男を殺す必要があることは分かったが、どうして俺たちは奴に殺されたんだ? ……原因に全く身に覚えがないんだ」
「奴は殺人狂だ。もはや理屈や道理じゃない。……特にリーグルス家に対する感情は歪んでいる。罪のないレーンや他の生者を殺しても平気でいられるんだから、正真正銘の悪魔だ」
「なるほどな。この前亡くなったカーターも、同期のダルラスさんの話をよく引き合いに出していた。優秀で身分も高くて人望もある――そんなライバルがいたら卑屈にもなるんだろうか。……俺なら純粋に尊敬するんだけどな」
横からレーンの視線を感じて、アルジントが顔をしかめて咳払いした。
「――で、話を戻す。イルバ・マルサスを殺すにあたって、もしも僕だけで対処できなかった場合、力を貸してくれるか?」
「うん、正当な理由があるなら断ることはしない。これからは俺も死者として関わっていくんだろうし」
「……助かる。それと、もう一つお願いがあるんだ」
慎重になるアルジントだったが、レーンは場の空気を緩めるように苦笑を浮かべた。
「何を言われたって、俺は構わないよ」
「分かった。……最初に、ダンベルグ教会にあるフロールという少女の死体の話をしただろう?」
「ああ、覚えてるよ」
「その死体をネルソン村に返す前に、イルバ・マルサスが何か仕掛けてくるんじゃないかと予想している。……今度こそ、リーグルス家の人間は全員殺されるかもしれない」
「だから、先にイルバ・マルサスを殺すんだよな?」
「そうだ。……だが、失敗する可能性もある。だから、もし僕が目的を果たせないようなことがあったら、その後のことをレーンに頼みたい」
レーンの表情は一つも揺れ動くことなく、真っ直ぐにアルジントを見ていた。
「……それじゃあ、俺からも一つ訊く。もし俺が後のことを引き受けたとして、その目的が達成されたら死者は全員解放されるのか? 神の国へ行けるのか?」
「分からない」
アルジントは即答した。
「そんな分からないもののためにアルは命をかけるのか? 次に死んだら、今度は姿がなくなるかもしれないんだろ?」
「じゃあ何をすればいい? 何もしないまま二回目も黙って殺されろというのか? そんなの冗談じゃない」
レーンは自らの冷静さを保つため、息を吐いて空を見上げた。
「……アルの気持ちは理解したよ。理解した上で言わせてもらうが、これはアルが責任を負うようなことじゃないと思う」
息を吸う間もなく、反射的にアルジントはレーンの胸ぐらを掴んで睨んだ。
表情豊かなレーンのわりには全く動じないあたり、やはり騎士らしく肝が据わっている。
「話を聞いていたのか? 僕が今までどれだけ――」
「アル。お前は自分を追い込みすぎだ。これは友人たちにも共有しているんだろうな?」
アルジントはレーンを掴む手を離すと、分かりやすく目を逸らした。当然、ここまでの内容を事細かに話しているわけもない。
レーンは困ったように笑った。
「……まあいい。どこまで共有しているかは別として、アルが俺に求めているのはお前の代わりか? それで、今さら俺がその役目を果たせると思うか?」
「じゃあどうしろっていうんだ」
「俺がイルバを殺す。悪魔の殺し方なんぞ分からないが、手法があるなら伝授を頼む。その方がこの先上手くいくだろ?」
レーンが善意で言ってくれていることはアルジントも十分過ぎるほどに理解していた。
それでも、イルバ・マルサスを相手にするにはレーンは善人すぎるのだ。これが致命的な欠点だからこそ、イルバ殺しをレーンに完全に委ねることはできない。もちろん、そうするしかないのなら別なのだが、できることなら極力回避したい。
「……悪魔の殺し方については、まだ情報不足なんだ。もう少し調べようと思っている」
アルジントはそれだけ言った。責任感が強くてお人好しのレーンを相手に、この先の話をどう伝えるべきか迷いが生じていた。
結局、この日の話し合いは折り合いがつかないまま平行線に終わった。
「フロール・ヴァレンヌの死体の話、実はさっき初めて聞いたんだけど、一つ思ったことがあって……」
ディルタス家を出て、帰り際にジェインがぼそりとアルジントに言った。
アルジントは余計なことを聞かせてしまったかと一瞬ぎくりとしたが、ジェインの顔は何か一つの答えを導き出しているかのように見えた。
「なんだ?」
「禁忌を犯した人間は死後に神の国へ行けないって話、聞いたことある?」
「ああ、僕もルーフェン旧市街の生まれだからな。だが、僕たちが禁忌を犯したことが理由で死者になったと思っているなら、それはおそらく違うと思うが……」
「それは分かってる。……そうじゃなくて、教会や墓地に対する不敬罪や、神や死人に対する冒涜罪。生前にそれらを行った人間は神の怒りに触れて、神の国には行けないと言われている。フロールさんの死体の話、あれって墓の掘り起こしだから、冒涜罪だよね? それでも墓を掘り起こしたってことは、掘り起こすことに何かメリットがあったってことだよね?」
アルジントは一瞬沈黙した後に頷いた。
教会をよく知るジェインだからこそ、年齢に見合わずこんな発想が浮かぶのだ。
「間違いない。墓を掘り起こすことで得をする人間がいるんだろう。……迷惑かけるがこれからも協力を頼む、ジェイン」
少し改まった風に言うと、ジェインは年相応の子供らしく笑った。
「そんなの今さらだよ、アルジントさん。僕も自分で決めたんだから」
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