第二話 ダルラスの手紙
ジェインと別れた後、アルジントはそのまま屋敷へ帰宅した。
夕食時に兄ダルラスの様子がいつもと違うことに気がついて、アルジントはそれが妙に気になっていた。まるでどこか思い詰めたような、心ここに在らず状態のように見えてならなかったのだ。
ダルラスは今日も外出していたが、当然、その行き先は誰も聞いていない。随分と遅くに帰ってきたこともあり、アルジントはその行き先を勝手にネルソン村であろうと想像していた。
彼はフロール・ヴァレンヌの墓の場所へ行き、その現況を確認しに行ったのではないだろうか。
父ファルコスが行方をくらました以上、その次にリード牧師との約束ないしこの役目を担うのは長兄ダルラスなのだ。父からこの件について事前に引き継ぎを受けていたとしても、今考えれば何ら不思議ではない。
「兄上、体調が優れませんか? あまり食事が進んでいないようですが……」
見かねたアルジントが声をかけると、ダルラスは弱々しく苦笑を浮かべた。
「ああ、いや。気を遣わせてすまない。少し無理をし過ぎたかもしれん」
無理も当然だと、アルジントは思った。父ファルコスの役割は、ダンベルグ教会のリード牧師との密約により成り立っている。
誰にも言うことなく、それを貫き通さなければならないのだ。
長女ラジェリーが二人の兄弟を交互に見ながら、瞬きを繰り返した。
「あら、二人とも前より仲良くなった? お父様が長期の出張に出られてから、距離が縮んだように見えるけど……」
途端に緊張感が背筋を走ったが、それは自分だけなのだとアルジントは小さく息をついた。
父ファルコスの失踪を、この家では急な仕事による長期の出張としている。単純にダルラスがそう言って誤魔化しただけだが、その言葉を誰も疑っていない。
「私は前から仲が良いと思っていたぞ。……そうだな、アル。食後に私の部屋に来ないか? チェスでもしよう」
――兄上が僕をチェスを誘うだと?
アルジントは状況を理解しきれずにいたが、おそらく何か情報を得たに違いないと考えた。
これは、あえて二人の状況を作ろうとしているのだ。
「ありがとうございます。ぜひお手合わせ願います」
慣れない笑顔を浮かべて、アルジントはこの場を切り抜けた。男兄弟同士、何もおかしなことはない。
兄ダルラスの部屋は二階の端に位置している。
父以外の者が入室することは滅多になく、アルジントも人知れず緊張した面持ちで向かった。
「兄上。アルジントが参りました」
部屋の中から声は聞こえず、扉の取手を掴むと、鍵はかかっていなかった。
「兄上、入りますよ」
声をかけながら扉を開けて、そっと中を覗く。
唐突に吹いてきた風を顔に真正面から浴びて、アルジントは驚いて目を瞑った。
ゆっくりと目を開けると、そこは昔見たままの無機質な兄の部屋であった。だがそこに兄の姿はない。
部屋の中に無断で入ると、執務机の背後の大窓が開いていた。先ほど吹いてきた風は、ここから入ってきたのだ。
なんとなく嫌な予感がして、アルジントは窓から少し顔を出して暗くなった外を覗いた。
窓の真下を見下ろしたが何もなく、ほっと安堵する。
だが、どこにも兄の姿がないのだ。
机上には数冊の本が積まれており、その一番上に背表紙や表紙に何も書かれていない古い日記のようなものが置いてあった。
「……失礼します」
誰もいない部屋でひと言断りを入れると、アルジントはその本を開いた。
随分と年季が入っており、表紙の布が今にも破れてしまいそうである。ウェリティの『死亡者名簿』が新しいと思えるほどには古い。
「これは……アンドラ王時代の記録書か? なぜここに……」
その本に書かれていた主な内容は、主に王族と教会の関係性についてで、第三者的視点から事実が綴られているようだった。
アンドラ王時代のリーグルス家の立場は王族と密接で、アンドラ王死後はその立場をマルサス家に取って代わられた。
その事実はアルジントも知っていたが、何度聞いても理由は判然としなかったことを覚えている。
――アンドラ王の功績を後の王によって塗り替える……?
書いてある内容に目を疑った。アンドラ王は今もなお街の人々の支持が厚く、彼を否定する者はほぼいない。
だが、この本によると、王族内でアンドラ王は妬まれていた可能性が高いことが窺える。
アンドラ王の死後、街の中心部はより一層発展し、ベル・ストリートなどの貧民層の暮らす地区はより一層貧しくなったのだ。
そして、フロール・ヴァレンヌの死体の保存など、王族の資金援助によりダンベルグ教会が維持されていることを考えると、教会は王族の所有物に成り下がったと捉えることもできる。
教会がベル・ストリートの生活を支えていると知っていながら、なぜ教会に資金援助したのか。それは本当にフロールの死体保存のためだったのか。
リード牧師が死体を手放したいと思っているのなら、死体を保存して得するのは一体誰だろうか。
「――いや違う。前提が間違っていた……?」
アルジントは目眩がして、咄嗟に机に両手をついた。
「僕は、どうして気が付かなかった……!」
王家が資金援助をしてフロールの死体を保存したということは、墓から死体を掘り起こしたのも王族の思惑。そう考えると、すべては王族による自作自演ということになる。
王族ともあろう者たちが、墓の掘り起こしが禁忌であることを知らないはずがない。ならば、考え得ることは何者かに死体泥棒を代行させた可能性だ。
そして、死体泥棒をやり遂げたのが仮にマルサス家だったならば、今の王族に属する立場を勝ち取った理由として十分納得できるのではないか。
――この街に死者がいるのは、後の世の王族がそれを望んだからなのか?
本の間から雑に挟まった一枚の紙を見つけて、アルジントは震える手でその頁の紙を見た。
その紙には走り書きをしたような兄ダルラスの文字が綴られていた。
アルジントへ。
これを最初に見るのがアルであることを願う。
もしもアルがこれを読んでいるなら、私も負けたということだろう。不甲斐ない。
伝達事項がある。フロール・ヴァレンヌの墓は、ネルソン村、アマリウスの丘の上だ。
私の身に何かあったときは、その後の判断はすべてお前に委ねる。リード牧師に援助を乞うといい。
王族とイルバ・マルサスには気をつけなさい。
ただ、私は父のようにはならない。それだけは安心してほしい。
お前に負担をかけて、本当に申し訳ない。
兄 ダルラス
まるで後世に何かを託すかのような、自分が死ぬことを予測しているような手紙だった。
内容の意味がよく分からずに、アルジントは顔をしかめる。
そのまま、再び背後から風が吹き込んでくる窓の方を向いた。
「……どういうことだ? 私も負けた? 父のようにはならないって?」
死者の姿が消える時、今ある情報で考えられることはただ一つ、二度目の死。
それにより悪魔と化した者は、サラやイルバのように他人に憑依することで意思を持って行動することができる。
父ファルコスがイルバに殺されたならば、どこかで二度目の死を迎えているはずなのだ。
だからこそ、現状では父ファルコスが悪魔となってカーター・マルサスを殺したという可能性も否定できないのだ。
手紙の中でアルジントが気に掛かっていた文言の一つが、父のようにはならないという言葉であった。
これを悪魔と化すことと捉えたならば、兄は自らの意思で悪魔にならないと言いきったことになる。
もしも意思によって悪魔にならずに済むのであれば、必要以上に二度目の死を恐れる必要はないだろう。
アルジントは本の頁の間に兄の手紙を挟むと、それを腕に抱えてダルラスの部屋を出た。
自分でも驚くほど冷静だった。
ダルラスはおそらくイルバに殺されたのだろうが、その手法も分からず、今はまだ実感すらわかない。
ただ、次は自分かもしれないのだ。
それならば、死者を解明するための証拠となり得るこの本とダルラスの手紙は、自分以外の誰かに託さなければならないだろう。
それが死者解放のためなのだ。
自室に戻ったアルジントはベットの上に仰向けに倒れ込んだ。
――まずは、兄上が行方をくらませたことを、屋敷の誰かに伝えないと……。
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