第四話 眠る少女(2)
「――皆さん、お困りですか?」
背後から聞こえたリード牧師の声に、ヴェーチルが真っ先に反応を示した。
「実は、一人体調を崩してしまったようで……」
速足で向かってきたリード牧師が、途中でペースを落としてルーアに歩み寄る。その表情は神妙に眉を寄せていた。
「……これは、外に出るだけでは解決しないかもしれない」
「どうしてですか?」
「何かが取り憑いている」
「……え?」
ヴェーチルの視線が再びルーアに向けられた。
ウェリティは「やっぱり」と心の中でつぶやいた。ルーアから聞いた不思議な夢の正体が、もしもこれなのだとすれば、十分に納得できる。
教会にあるというフロール・ヴァレンヌの死体について、ウェリティはアルジントから聞いたばかりだったが、出身が同じネルソン村であることを除いたとしても、決して無関係とは思えない。
ルーアは苦しみながらも、時折弱々しい笑みを滲ませていた。
「……そういう……ことですか。これが、取り憑かれるという……感覚……?」
そして、頭と心が別物になったかのように、ルーアはポロポロと涙を零し始めた。
「……理由も分からないのに、ものすごく……、悲しくて……」
ヴェーチルが不安そうな顔をリード牧師に向けた。
「これは、悪魔の仕業ですか?」
だが、リード牧師はいたって穏やかに答える。
「いいや、悪意は感じない。ただの純粋な人間の悲しみに近い」
その答えに、ウェリティも反射的に質問した。
「では、悪魔が憑依しているわけではないと? そんなことって――」
「どうやら、あり得るらしい」
いまいち根拠に欠けるリード牧師の言葉を聞いて、ウェリティは少し踏み込んだ質問に切り替えた。
「では、単刀直入に聞いてもよろしいでしょうか。……少女の綺麗な死体について、あなたは何か知っていることはありませんか?」
リード牧師は悲しげに頬を緩めた。
「……なるほど、それをご存知でしたか」
「ええ。例えば――その死体がルーアの今の状態と何か関係している可能性はありますか?」
「ないとは言い切れないでしょう。今私に見えている
リード牧師のその視点は、人間の持つ純粋な霊感によるものであった。死者の概念とは似て非なるところから、彼は人の死を見ていた。
「ああ、そういうこと……」
ウェリティの中には一つの推論が浮かんだ。
ルーアの中には、いつからか少女の魂が取り憑いていた。
その少女はほぼ無害でありながら、このダンベルグ教会に入ったことを引き金に、感情が弾けたかのようにルーアの外に姿を現したのではないだろうか。
つまり、ルーアの中の少女――フロール・ヴァレンヌは、教会に保管された自分の身体に反応したのではないか。
「皆さんは、地下室の『眠る少女』をご覧になりたいですか?」
リード牧師の言葉に、空気が一瞬で緊張感に包まれた。
ヴェーチルとルーアがウェリティの回答を黙って待っていた。
もちろんウェリティの答えはただ一つ、イエスのみ。
「ぜひお願いします」
フロールの死体を見ることができれば、死者の謎を解決する手掛かりになる可能性も高い。このチャンスは何としても逃すわけにはいかない。
祭壇横の扉から地下へ続く階段を降りていくと、そこは岩を削って作られた洞穴のようで、ラザーニ校の地下研究室とは比にならないほどの冷気が漂っていた。
そこは誰もが認めるであろう死の空間だった。
「ここは遺体の安置所にもなっていましてね」
リード牧師の言葉に、誰も言葉を発することはなかった。
「聞いてもよろしいでしょうか。リード牧師、『眠る少女』がこの地下で眠る理由はご存知ですか?」
「……ええ、詳しいことは分かりませんが、どうやら死体泥棒がネルソン村から少女の死体をすぐ掘り起こしたようです。――これが神の怒りを買うとも知らずに、彼らは愚かな行為をしたものです」
「その死体泥棒が、少女の死体を教会に運んできたのですか?」
「ええ、そう聞いています。王族はその死体を保存するために、この教会に多額の寄付までするようになりました」
そう話すリード牧師は、表情に暗い影を作っていた。
この話が真実ならば、王族の対応もまた常軸を逸しているように思えてならない。
「あなたは望んで保存に協力を?」
「……いいえ。でも、私に決断権はありませんよ。寄付を受けている以上、この教会は王族の支配下にあるも同然ですから。――さあ、どうぞ。手前の棺が『眠る少女』です」
袋小路になった洞穴の奥。そこに辿り着いたとき、肌に触れる空気が変わった。
岩壁に沿って、棺のようなものが二つ縦に並んでおり、棺全体が白い大判の布で覆われていた。
リード牧師が布をめくりあげると、そこに横たわっていたのはブロンドの髪の少女だった。透明なケースの中に白い綿が敷き詰められ、その上で生きているように眠っている。
「フロール・ヴァレンヌ……。本当に、見とれてしまうほど美しいわ……。こんな綺麗に、死体を保存できるものなのね……」
ウェリティは感嘆の声を上げた。
『眠る少女』はまるで生きているかのごとく、両目を瞑って横たわっていた。
色白の肌に、透き通るようなブロンドの長い髪。長い睫毛にふっくらとした頬、わずかに笑みを浮かべているかのような表情――。
ヴェーチルが両手で顔を覆うルーアの姿を見た。
「ルーア……?」
ルーアは静かに泣いていた。
「どうして……。お願いだから……、私をネルソン村に、帰して……」
その声色がルーアのものではないことに、ウェリティはすぐに気がついた。悪魔と非常に似た現象だと、すぐさま冷静に判断する。
「あなたは、フロール? あなたの望みは何?」
「……はい。私を、どうかネルソン村に……」
ルーアの身体を借りたフロールが会話に応じる。
「ええ、もちろん協力します。だから、教えて欲しいことがあるの。……あなたはいつからルーアの中にいるの? ルーアの身体を選んだ理由は?」
「私の身体を、取り返して欲しかった……」
ウェリティは決して引くことなく質問を続ける。
「それはなぜ? ルーアでなければならない理由は?」
「……他の人は操ることが、できなかった。私の魂を受け入れてくれたのは、ルーアだけだった」
「ルーアを利用したの?」
フロールが全力で首を横に振った。
「そんなつもりじゃなかった……。でも、ルーアのおかげで皆さんと出会えた。ようやくここまで、辿り着いた……」
「あなたは、人間に憑依する悪魔とは違うのよね?」
ウェリティが訊くと、フロールはきょとんとした顔を見せた。
「悪魔? それは何? 私はただ、死んでから一〇〇年以上経って、人に取り入る術を身につけたの……」
既に会話は噛み合っていないが、ウェリティは単刀直入に話を続ける。
「じゃあ、死者はいつから現れたか分かる? 私たちが解放されるために、何か方法は知っている?」
「いいえ、何も……。ごめんなさい。この身体は、返します――……」
声が途切れた瞬間、糸が切れたかのようにルーアがその場に前のめりに倒れた。
意識を失っているようで、ルーアが目を覚ましたのは、教会を出てから三〇分ほど経った頃だった。
「私、途中で体調が悪くなって……。その後どうなったの?」
教会横のベンチで目を覚ましたルーアは、地下に入ってからの記憶が途中からすっぽりと抜けていた。
ただ、不思議とすっきりした顔をしていて、まるで憑き物が落ちたかのようであった。
「実はね、ルーア。あなたに取り憑いていた少女がいたようなの」
フロール・ヴァレンヌという少女の魂が憑いていたことを、ウェリティはルーアに正直に伝えた。
それを聞いたルーアは嫌な顔をすることもなく、むしろ納得した表情を見せた。
「これが、私の夢の正体……。あれは、フロール・ヴァレンヌの記憶だったんですね?」
「ええ、そうね」
「フロールは悪魔ですか?」
「感覚的には、悪魔と死者の中間……。だけど悪意がないから、
「……そうですか。私はただ単純に、フロールが救われるといいなって……思います」
ルーアはそっと目を閉じた。
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