第四話 生者と死者と悪魔と(2)

 訓練を終えた騎士が一人戻ってきて、全員の視線が向けられた。

 自主訓練ということもあって、その騎士は頭や身体に兜や鎧を身につけておらず、学生ではなく既に一人前の騎士であろう貫禄が漂っていた。


 短髪の青年騎士は訪問者に気がつくと、爽やかな笑顔を向けた。


「レーンさん、お疲れ様です!」

 ジェインが大きく頭を下げて挨拶した。

「若き期待のルーキー、ジェインか。お疲れさま。そちらのお三方は?」

 青年騎士は訊ねた。

 もちろん、このの中にアルジントは含まれていない。


「知り合いなんです。今、武器庫の案内をしていて……」

 ジェインの説明に合わせて、ウェリティが一歩前へ出て会釈した。

「こんにちは、ウェリティ・ローグと申します。私は研究者で、ちょうど見学に付き添っていただいていたんです」


「おお、それはそれは! 何か得られるものがあったなら良いのですが」


 青年騎士は嫌な顔をせず、爛漫な笑顔を見せた。

 アルジントはこの男をよく知っている。騎士団学校の先輩であったレーン・ディルタスだ。

 階級も年齢も違えど、昔からリーグルス家とディルタス家の付き合いはそれなりにあり、アルジントとレーンは昔馴染みの関係だった。


「私はレーン・ディルタスと申します。こんな汗臭い格好でのご挨拶になってしまい、申し訳ありません」

 苦笑しながら、その騎士は名乗った。

「とても熱心に練習されているのですね」

「たいしたことありませんよ。こうでもしないと、すぐに体力が落ちてしまいそうで」


 ジェインが純粋無垢に笑う。

「レーンさんがそんなことを言うなんて、らしくないですね」

 レーンのことを随分と慕っているようで、数少ない言葉からも、それが十分に窺えるほどだった。

「いやいや、俺はそんな人間じゃないよ」


 大らかで明るく、人当たりがよい性格であれば、大抵は周囲の者を自分の方へと引き込む魅力も総じて付いてくるものであろう。

 だが、レーンはそれを全く自覚していないタイプの人間だった。

 この手の性格があまり騎士には向かないことを、アルジントはよく理解しているつもりである。



 もう一人、訓練を終えた騎士が戻ってきて、この部屋の中にいた全員が彼に視線を移した。


 一瞬、その騎士の背後に浮かぶ黒い影がアルジントの目に映り、唐突にラザーニ校内で見た光景が頭の中に蘇った。


「…… ウェリティ、ルーア、ヴェーチル。この場からレーンとジェインを連れて外に出ろ」


 アルジントが強い口調で指示すると、隣でジェインが怯えながら呟いた。


「あ、悪魔だ……。悪魔が取り憑いている……」

「どんなふうに見えている?」

 アルジントが訊く。

「顔が……。ものすごく……怖い……」


 アルジントは不意に顔をしかめた。

 自分が見ている悪魔の姿とは少し違うことを知る。


 それならば、死者すら見えていないレーンもまたを見ている可能性があるのだ。



「……おい、アルフレッド。どうした? 具合でも悪いのか?」

 レーンがその騎士に声をかけていた。


「離れろ! レーン、早く部屋から出ろ!」

 アルジントは咄嗟に声を大きくして言ったが、この声が生者に届くことはない。


 この場で頼れる者は、レーンと同じ生者であるジェインだけだった。


「お願い! レーンさん、早く外に出て!」


「ま、待て、ジェイン。様子がおかしいんだよ。もしかして、どこか怪我したんじゃないか?」



 この異様な状況を察したウェリティが、毅然とした態度でルーアとヴェーチルの二人に声をかける。

「二人は先に外に出て待っていて。どうしても、お願い」


 やむを得ずの指示に、二人は頷いて従うことを選んだ。



 そのうちに、ラザーニ校のときと同じ光景が目の前に現れた。

 黒い影がゆっくりと騎士アルフレッドの背中へと吸い込まれていく。

 生気のなかった騎士の身体がゆっくりと動いたかと思うと、俊敏に腰の剣を抜いて矛先をこちらへ向けた。


 アルジントは動じることなく、自らの剣を抜く。

 視線を相手から逸らすことなく、右手を伸ばし、真っ直ぐに剣先を向けた。


「貴様がイルバ・マルサスか? 前にラザーニ校で姿を現したのも貴様か?」

 騎士は虚ろな顔でにやりと笑う。

「……せっかくリーグルス家の人間がいるところ惜しいが、今回だけは君たちに用がない」


 そう言い切ると、視線がぐるりとレーンの方へ向けられた。


 ――狙いはレーンなのか……?!



 悪魔の狙いが生者ならば、この際リーグルス家を惨殺したのがイルバ・マルサスであろうがなかろうが関係なかった。

 生きた人間が悪魔の標的となることだけは、絶対に避けなければならない。



「レーンさん! とりあえず、ここから一緒に出ましょうよ!」

 ジェインは一生懸命にレーンの服の裾を引っ張り、この部屋から外に出そうとしている。

「で、でも――!」

「お願いします! アルフレッドさんは、大丈夫ですから!」


 ジェインは顔を歪めながら、レーンの左腕をがっしりと掴んで力の限り引っ張る。

 だが、体幹が鍛えられたレーンはびくともしない。


「……わ、分かった! 行くよ、行くから!」


 やむを得ず納得したレーンの様子を見て、アルジントは少しだけ安堵した。


「……あの騎士を逃がすのか?」

 イルバ・マルサスがアルジントに問うた。

「貴様の相手は僕だ。この二人は関係ないだろう」

 アルジントは剣を両手で構えなおす。

 自分のように、理不尽に殺される生者をこれ以上増やしたくはないという思いが強かった。



 悪魔に取り憑かれた騎士アルフレッドが剣を大きく振り上げた。

 風を切る音とともに、アルジントに向けて剣を振り下ろす。


 剣がぶつかり合う金属音が鳴り響いた。


「狙いはなんだ……⁈」

 アルジントは力いっぱいに相手の剣を受け止める。

「それを話す義理はない。そこを退けろ、人はいずれ死ぬ。タイミングなんて、選ぶことができない」

「貴様がやっていることは、ただの殺人だ!」


 具合の悪そうな騎士アルフレッドの姿を、レーンが悔しそうに一瞥する。何も状況が説明されないまま、この部屋から押し出されようとしていた。


「レーンさん! 後ろは振り向かないで、そのまま先に出てください!」


「お、俺は最後でいいよ! ウェリティさんが先に外へ出てください」


 ジェインとレーンの危機感の差は、まるで天地ほどに違っていた。


「だめだよ! レーンさんじゃないと!」


「……だけど、俺は騎士だから」


 ジェインの頑張りも虚しく、言葉でも腕力でも、一〇歳ほど上のレーンに敵うことはなかった。


 そんな状況を横目で見るしかなかったアルジントは、小さく舌打ちして剣で力いっぱい相手を押しやる。


「早く外に……! ジェインも!」

 ウェリティの言葉も頑なに聞き入れず、レーンはイルバに憑依されたアルフレッドの方を振り返った。


「これは面白いものを見た。……今回も俺の勝ちか」


 イルバ・マルサスの声が途切れると同時に、アルジントは目の前の敵を見失った。

 構えていた剣が宙を斬って前のめりに転びそうになる。


「……扉が開かないよ!」

 ジェインが叫んだ。

 同時に、アルジントが勢いよく扉の方を振り向く。


「アル! 目の前――!」

 ウェリティの叫声が聞こえて、アルジントが剣を構えた時はすでに遅かった。

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