第五話 地下研究室にて
いつもと変わらない地下研究室の中で、アルジントは無言のまま、定位置の椅子に座った。
ウェリティを殺したというレイクを目の前にして、アルジントは随分と取り乱してしまった自覚があったが、今は思いのほか冷静だった。
それは間違いなくヴェーチルが居るおかげだったが、当の本人は不安そうな顔を浮かべていた。
「本当に、助かった」
少し気にかけるようにアルジントが言うと、ヴェーチルの弱々しい笑みが返ってきた。
「俺はアルジントが無事で良かったよ。……でも、本当に殺しちゃうんじゃないかって思った。あんな風に怒ると思わなかったから」
悪意の無さゆえに、アルジントは痛手をつかれたように眉を寄せる。
「……すぐに手を出すのは僕の悪い癖だ。だから、止めてくれたことには本当に感謝している。……――僕が言うのもどうかと思うが、今日は学校を休んだ方がいい」
「うん……、そうだね」
覇気のない声で返事をしたヴェーチルが、無理しているかのように力なく笑った。
始業の鐘の音の余韻がわずかに聞こえたような気がして、アルジントはため息をついた。
「……やっぱりウェリティは来ないよな」
ウェリティが研究室に来ないという事実こそが、何よりも彼女がもういないことを意味していた。
昨晩から色々なことがあり過ぎて、何に対して怒り、驚き、悲しめばよいのかが分からない。
「……あのさ、アルジント。後で説明してくれるんだよね? 重要なことなら、ルーアも知っていたほうがいいよね……?」
ヴェーチルが静かに訊いた。
「……そうだな。非常事態なわけだし、授業が始まる前に呼びに行くか。君は姿が見えるから厄介だ、ここで待っていろ」
迅速な判断により、アルジントが椅子から立ち上がる。
「……ごめん」
ぼそりと呟いたヴェーチルに、アルジントはため息をついてみせた。
「ヴェーチルはそう簡単に謝るな。……僕はちょっとここを離れるが、誰か来ても反対の扉からは人を入れるんじゃないぞ」
「う、うん……」
始業の鐘から授業開始の鐘が鳴る合間の時間を狙って、アルジントは教室へ向かった。
ルーアの教室の場所を既に把握しているアルジントは、迷うことなくそこへたどり着くと、廊下でルーアを待った。
生徒らが教室から出てきたとき、タイミングよくルーアと目が合った。
「ルーア? 何見てるの?」
友人エマの声にルーアが背後を振り返る。その表情には苦笑が浮かんでいた。
「……あ、いや、えっと。学校来たけど、何か体調が優れないような気がして、やっぱり帰ろうかと……」
「え、大丈夫?! それなら私が先生に伝えておくから、早めに帰りなよ! 荷物持って来る?」
「あ、うん。そうだね、帰ろうかな……。荷物は自分で片付けるから、大丈夫」
アルジントは廊下の壁に寄りかかりながら、その一連の様子をぼんやりと眺めていた。
生者に認識されるというのも、それはそれで大変なものだということを思い出す。
荷物を抱えて教室から出てきたルーアに目配せして、アルジントは地下研究室に繋がる階段へ向かった。
「ねえ、アルジント。何が――」
「おい、まだ喋るな。こっちは構わないが、君の方が怪しまれるぞ」
ルーアは慌てたように口を噤んだ。
地下研究室に入った途端、項垂れるヴェーチルの姿を見てルーアは立ちすくんだ。
「何か、あったの……?」
縋るようにルーアがアルジントを見る。
「ああ、そうだ。……悪かったな、学校なのに。まずは座って、今から話すことをよく聞いてほしい。ヴェーチルもだ。理由はあとから話すから、今は僕の話を聞いて、受け止めてほしい。質問はあとで受け付ける。念のためだが、半分は事実、あとの半分はほぼ確定的事実だ」
ヴェーチルとルーアが見るからに不安そうな顔を浮かべながら、黙っていた。
アルジントは感情を無にして機械のごとく淡々と話を始めた。
「まず一つめ、この研究室に入るための入口でもあるカフェ、アムール・デ・ロワの店主レイクがウェリティを殺した。そして二つめ、悪魔イルバ・マルサスが僕の兄であるダルラス・リーグルスを殺した。この二つの死者殺しは、同日に起きたと思われる」
二人は大きく目を見開いたまま、その言葉をただ受け止めようと必死にテーブルの一点だけを見つめていた。
言いたいことは山ほどあろうが、二人はアルジントの指示どおり何も言わず無言を貫いている。
「問題の一つは、店主レイクがウェリティを殺した理由。彼は死者に協力してくれていたが、裏切った。王が関与していることを本人がほのめかしている。つまり、死者に王族が関与している可能性が浮上した。
もう一つは、マルサス家と王族の関係性が深いという事実だ。その中で、悪魔のイルバ・マルサスが父ファルコスと兄ダルラスを殺したということは――」
アルジントが淡々と話を進めながら、一度言葉を止めて二人の顔を見る。
既に受け止めきれていない様子がひしひしと伝わってくるが、ここでやめるわけにもいかなかった。
「――つまり、だ。王族とマルサス家は互いに協力して死者殺しをしていることになる。じゃあなぜそんなことをするのか――それは、この街からアンドラ王の存在を消すためだと考える」
ヴェーチルが呆気にとられたように口を開いた。
「……アンドラ王? なんで今さらその名前が出てくるんだ? ……アンドラ王の存在が消えるわけないよね?」
「その通りだ。そこで、アンドラ王亡き後、王族はフロールの墓の掘り起こしをマルサス家に依頼した。禁忌を犯して、わざと神の怒りに触れようとしたんだろう。その怒りが死者を生み出した可能性もある。アンドラ王と関係の深いフロール・ヴァレンヌという少女の存在が鍵を握っているはずだ」
ルーアが恐ろしいものでも見たかのような表情を浮かべながら、祈るように胸に手を当てた。
「……じゃあ私たちが死者になったのは、ただ運が悪かったから? たまたま神様の怒りによって死者になっただけ? あのウェリティ先生も……?」
両眼に涙が浮かんでいく様を横目で見て、ヴェーチルが苦しそうに瞼を閉じた。
アルジントは再び口を開く。
「……まだ何も終わっていない。今一番の問題はイルバ・マルサスが野放しになっていることだ。放ってはおけない」
「でも、悪魔相手にできることなんて――」
「弱点がある。僕が奴を排除できれば、フロールの死体を安全にネルソン村へ返すことができるはずだ。あらかじめレーンとジェインにも協力を依頼しておく。……僕の兄が書き残した手紙が挟まっているから、中を読んで内容を確認したら、ジェインに渡してくれ」
アルジントがテーブル上にどんと本を置くと同時に、ヴェーチルの顔が不自然に歪んだ。
「……どうしてジェインなの?」
「ジェインは生者で、聖職者の子だ。王も教会に対して禁忌は犯せないし、悪魔も近づくことはできない」
「じゃあ、アルジントは何するの?」
「レーンにも協力を依頼して、イルバ・マルサスを殺すことに専念する。君たちにはそっちに集中してもらいたい」
そうは言ったものの、疑り深いヴェーチルの視線がアルジントを捉えて離さなかった。
「それって――」
「今のところ、僕も両方に手を回せる自信がないってことだ。……言っている意味が分かるか? 君らを頼っているんだからな」
若干、不貞腐れながら言うアルジントに、ヴェーチルとルーアが顔を見合わせた。
おかげで少し空気が和らいだようだが、今ここにウェリティがいないことには到底慣れそうにもなかった。
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