第四話 自白

 ダルラスの死因を一晩考えたアルジントは、翌朝までにその結論を悪魔イルバ・マルサスによると判断した。


 もしも自分が悪魔となって人を殺すならば、どんな手段を選ぶだろうか――それを考えたとき、アルジントの頭の中に咄嗟に浮かんだのは落下死であった。


 悪魔イルバ・マルサスがダルラスに憑依し、その教唆により飛び降り自殺を図ったのだとすれば、色々と合点がいくのだ。

 ダルラスに飛び降り行為をさせて、身体が地面に落下する直前に悪魔が外に離脱したのだとすれば、その人間と共に死ぬことを回避できる。


 イルバ・マルサスが落下直前でダルラスの身体から離脱したということは、そのまま共に落下死することが悪魔にとって都合の悪いことだったからであろう。



 ――これを早く、ウェリティたちに共有しなければ……。



 ***



 午前六時過ぎ、ダンベルグ教会の鐘の音を聞いてから、アルジントはリーグルス家の屋敷を出発した。

 まだ時間が早いことを承知のうえで、地下研究室でウェリティを待つ予定でいた。


「……やあ、アルジントくん」


 アムール・デ・ロワに到着して裏口に入ると、普段は店の早朝の仕込みで不在にしているはずのレイクの姿があった。

 何をしている様子もなく、ただ虚ろな顔で椅子に座ったまま、アルジントの方をじっと見つめていた。

 ひどくやつれたような顔で、目には隈を作り、死を見つめているかのような無表情である。


「今日の仕事は休みなのか?」


 違和感を察しながらも、アルジントは敢えていつもと変わらない調子で訊いた。


「え? ……ああ、店。そうだ、店だ。忘れていた……」


 レイクは頭をふらつかせながら、両手を付いて椅子から立ち上がった。

 その瞬間、身体のバランスを崩して前のめりに倒れ込んだところを、慌ててアルジントが正面から支えた。


「……お、おい、しっかりしろ!」


 レイクは頭を床に打たずに済んだが、そのまま自力で立つこともせず全体重をかけてアルジントに覆いかぶさった。

 アルジントはすぐに体勢を立て直したが、レイクはそのまま床に突っ伏したままである。


「――はははっ、はははっ……」


 狂気じみたレイクの掠れた笑い声が漏れ聞こえて、アルジントは唐突に緊張感が走った。


 普段のレイクとはまるで別人だった。悪魔に憑依されたかのような言動に、アルジントは腰を屈めて自らの剣の柄に手を触れる。


「ははっ、ははは……。……うっ、ううう……」


 笑い声が嗚咽に変わった。

 同時に身体を起こして、傀儡のように床にぺたんと座った。


 一瞬、無音に包まれたかと思うと、レイクが両手でがばっと顔を覆い、大量に涙を流しながら泣き崩れた。


 アルジントも無意識のうちに呆気にとられたようにレイクを見下ろしていた。


「……おい、何があった?」


「俺が……、俺が……。うう……、すまないウェリティ……」


 その瞬間、アルジントは考えるよりも先に身体が動いていた。

 レイクの胸ぐらを掴み、強い力でぐいと手前に引っ張る。灰色の眼光を鋭利な刃物のようにレイクへ突きつけていた。


「ウェリティに何があった?! 知ってるなら言え!」


 怒りの感情に任せて声を張り上げる。


 涙で弱々しく崩れたレイクの姿を見ても気にならないほどに、アルジントの中には怒りが込み上げていた。


「こっ、殺される……ところだった……!! だから……仕方なかったんだ……! 許してくれ――……」


 あまりの情けない姿に、彼が何を言っているのか理解できないという感情が沸々と浮かぶ。


「お前が何かやったのか? お前の意思で? ……ウェリティをどうした?!」


「こ、殺し……た」


 レイクの襟元を掴んでいたアルジントの手が、一気に脱力して離れた。

 言っている意味が理解できず、未知の恐怖を感じてゆっくりと後ずさる。


「……嘘をつくな。お前にウェリティを殺せるわけがない。……お前はウェリティに協力してた。協力してたから、家の裏口も使わせてたはずだろ……?」


「……嘘じゃない。そうしないと……、俺が、マーディス王に殺されるところだったんだ……!!」


 王の名を聞いて、アルジントの心臓がドクンと波打った。

 マルサス家だけではなく、レイクもまた王族に懐柔させられていたということだ。

 そして、この男は自身の死の恐怖に打ち勝つことができなかったのだ。死者とはいえ、我が身かわいさ故にウェリティを殺せるような人間だったということであろう。


「……お前は僕たちのことも殺すのか?」


 レイクは大きく首を横に振った。何度も何度も、とめどない涙を流しながら。


「……できないよ! こんなこと、やっぱり俺には向いてなかった……!」



 アルジントは無言で蔑むようにレイクを見下ろして、剣を抜いた。それを一秒も経たぬうちにレイクの目鼻先に向ける。


「残念だ」

 

「頼む! こ、殺さないでくれ……! ア、アル――」


 レイクの悲痛な叫びが響く中で、裏口の扉が開いた。そこには制服姿のヴェーチルが目を大きく見開いて呆然と立っていた。

 邪魔が入ったことにアルジントは小さく舌打ちして、剣を下ろす。


 目で見た光景に身体をわなわなと震わしながら、ヴェーチルが中に入ってくる。


「ねえ、アルジント? な、何やってるんだよ?! なんでレイクさんにそんな物騒なものを――?!」


 アルジントが冷淡にレイクを見下ろした。


「こいつがウェリティを殺した。自白しやがった」


「待って! 駄目だ、まずは話をしないと! こんなに怯えてるじゃないか……! 普通じゃない、こんなの二人とも普通じゃないよ!」


 レイクは床に突っ伏したまま、気がおかしくなったかのように泣き崩れていた。その姿はもはや無害にしか見えず、精神的に狂ってしまっているかのようである。


「アル、分かってるだろ?! どんな理由であれ、殺しちゃだめだ! 彼は生きた人間なんだよ、俺たち死者とは違う! 彼を殺せば、アルは本物の殺人者だ!」


「放っておけば、僕らも殺される」


「それでも今は落ち着いてくれ! ……俺も状況が分かってないんだ、教えてくれよ!」


 ヴェーチルの言葉を聞き流しながら、アルジントは懐からハンカチを取り出した。レイクの両手を背後から力ずくで引っ張り上げて、背中で固く縛り上げる。

 項垂れたまま、レイクは枯れるほどの涙を流していた。


「貴様、抵抗する体力もないってか?」


 横から見ていたヴェーチルがそわそわした様子で、扉の出入口をちらちらと見る。

「アルジント、そんなことして平気? 他の誰かに見つかるかも……」


「なぜだ? 僕らは死者だぞ。死んだ人間が生きた人間を縛っただなんて、こいつが言いふらしても街の人間は誰も信じやしない。……これでも随分と譲歩してやったんだ」


 足は自由だが、レイクはそのまま床に突っ伏していた。


「……来い、ヴェーチル。話をする」



 向かった先はウェリティの地下研究室であった。

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