第八話 幽霊屋敷(2)


「お帰りなさいませ、アル様」

 小柄な女性が屋敷の中からにこやかに出迎えて、決まり文句のような挨拶を述べた。

「まあ、こんなにたくさんのご友人に来ていただけるなんて、私はもう嬉しくって嬉しくって仕方ありません。皆さま、ご足労感謝いたします。ゆっくりしていってくださいね」

「お茶を用意してもらえるか」

 アルジントがそう訊くと、女性は深々と頭を下げた。

「はい、すぐに。客間にお持ちしますので、先に中でお待ちください」

 アルジントは短く頷くと、何も言わずに歩みを進めた。



 屋敷に入ってすぐ正面の階段を上り、絵画や彫像が飾られた通路を歩く。

 屋敷の人間と誰ともすれ違うことなく辿り着いた二階の部屋、そこが客間であった。


 白を基調とした壁の一側面に、十時格子の大きな窓が四つ並んでいる。室内は明るく清潔感もあり、ルーアは一目でこの部屋が気に入った。

 長テーブルに二人ずつ並んで椅子に座ると、会話を始める間もなく、使用人によってお茶と菓子が運び込まれてきた。

 芳醇な香りが漂う紅茶と、白いクリームに包まれた柔らかそうなケーキ。これらを前にして、ルーアは目を輝かせた。


 部屋の中が四人だけになったところで、ウェリティが口を開く。

「相変わらずの素敵なおもてなしをありがとう、アルジント」

「……別に」

 アルジントは淡々とした様子で言い、紅茶をまず一口飲んだ。ヴェーチルとウェリティがフォークを手に持ったため、それを真似てルーアもフォークを持つ。ひとくち分のケーキを取り、ゆっくりと口に運ぶ。

「お、美味しい……」

 感動が声に出てしまっていた。


 普段は全くと言っていいほど食べることのできない洋菓子、ケーキ。できることなら母親にも食べさせてあげたい。


「お腹が減っていたのか?」

 アルジントに問われて、ルーアは恥ずかしさに頬を染めた。

「だって、めったに食べられるものじゃないから……」

 口ごもったルーアを庇うように、ヴェーチルが口を挟む。

「分かるよ。俺も美味しすぎて一気に食べちゃったからね」

 確かに彼の皿の上は既に綺麗さっぱりだ。


 ウェリティは食事中のフォークを静かに置くと、視線をルーアに向けた。

「私たちはね、お腹が空くことのない身体なの。美味しいと感じて食事をするけれど、実は食べなくても生きていけるのよね」


 ウェリティの唐突な告白に、ルーアは全身にざわざわと鳥肌が立つ。

 衝撃というよりも、自分という生き物が何なのか分からないことへのおぞましさというべきか。


 さらに輪を掛けるように、アルジントが訊いた。

「ルーア。君はこの屋敷を美しいと言ったな。その感想は今でも変わらないか?」


「……もちろん、嘘はついていません」


「分かった。……じゃあ、この屋敷が世間一般に何と言われているか知っているか?」


 ヴェーチルとウェリティからの強い視線を肌で感じて、ルーアは下を向いた。

 その答えがいい言葉じゃないことだけは、何となく分かる。


「――『幽霊ゴースト屋敷ハウス』」


 ルーアは、ひっと息を呑んだ。幽霊ゴーストという言葉による直感的な恐怖を感じたせいなのか、その屋敷に自分がいることに恐怖を覚えたのかは分からない。

 だが、普通の屋敷ではないことだけ分かった。


「この屋敷の人間は全員死者だ。まあ、それを自覚している者がどれほどいるのかは僕にも分からないがな。……ちなみに、生者の中にはこの建物を『血みどろ屋敷』なんて呼ぶ奴もいるらしい。失礼極まりないと思わないか?」

 アルジントが虚無を纏った笑みを浮かべて、ルーアを見据えた。

 彼とは目を合わせたくなかったが、ルーアは縛り付けられたように目を逸らすことができなかった。


「ここが美しい屋敷に見えているのなら、それは君が死者だという証拠だ」


 ルーアは膝の上で両手を開くと、じっと見下ろした。

 肉体は存在していて、浮かび上がる静脈も鮮明に見える。折り曲げた指も、関節に合わせてゆっくりと動く。

 今までたくさんの物に触れてきた、紛れもない自分の手。


 それなのに、自分が死者であると受け入れなければならない事実に、受け止めきれない感情が込み上げてきた。

 涙が頬を伝った。


 ――ああ、どうして私は死んでしまったのだろうか。



 ヴェーチルは噛みしめるように言った。

「君は一人じゃないよ。今日から君は本当の仲間だ」

「なか、ま……」

「そうだよ。俺たちにはこの苦しみから解放される権利がある。だから、一緒に解決していくんだ、ルーア」




 この日、ルーアは死者であることを受け入れた。

 一八八九年七月末日のことであった。

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