第二章
第一話 死因について
放課後の廊下に軽やかな靴の音が反響する。
その音は、帰る生徒たちと反対方向に進み、階段下へと続いていく。
そのまま闇に吸い込まれていくように――。
「こんにちは」
研究室に顔を出したのはルーアであった。
「あら、こんにちは。今日はまだヴェーチルもアルジントも来ていないのよ」
普段なら、ルーアが来る頃には二人とも既に椅子に座って雑談をしている頃である。
リーグルス家の屋敷に行ってから、彼らはほぼ毎日顔を出していたため、今日もいるものだとルーアは勝手に思っていた。
「……そういえば、最近の調子はどう?」
少しだけ後ろめたそうにウェリティが訊いた。
「なんとかやっています。ただ、やっぱり自分が死者だという実感はありません。分からないこともまだ多いですけど、……色々と教えていただきありがとうございます」
ルーアは軽く一礼すると、手前の椅子を引いて腰をおろした。数日間のうちに、この場所が今ではすっかり定位置になっている。
ウェリティは首を横に振り、憂いた表情を見せた。
「ありがとうだなんて、とんでもないわ。私たちだって、あなたの人生を狂わせてしまったと思っているのよ」
「それでも、いつか知ることだったなら今で良かったと思います。私だけじゃないですから。先生だって、自分が死者だと知ったときは、きっと不安だったでしょうし……」
ルーアの言葉を聞いたウェリティは小さく肩をすくめた。
「それが、私は少し特殊だったのよ。死者だということに、自分で気がついたの」
ルーアは驚きのあまり目を丸くした。
先日のアルジントの話によると、死者であることに自分では気がつかないと聞いたばかりである。
「そんなこと、あり得るんですか?」
「そうね、普通は気がつかないと思う。ただ、私は生前から死者について研究していたし。もちろん、研究をしている時は、まさか自分が死者になるなんて思ってもいなかったけどね」
一瞬、ドキリと背筋に緊張感が走る。
「あの。もしかして、ウェリティ先生は自分の死因を知っているんですか……?」
「ええ、悲しいことにね。気分のいいものではないから、詳しく話す気にはなれないんだけど……」
伏せ目がちのウェリティを見て、ルーアは慌てて両手で口を塞いだ。
「余計なことを、すみません」
そう謝りながらも、ルーアは少しだけ羨ましく感じた。
自分の死因が全く分からず、死んだことを裏付けるものが何もないというのも気味が悪い。
「……死んだ理由はどうすれば分かるんでしょうか?」
「そうよね、あなたも知りたいわよね……」
ウェリティは俯いたかと思うと、すぐに顔を上げてふっと儚げな笑みを浮かべた。
「ごめんなさい、何でもないわ。死因は、あなたの記憶を辿れば分かるかもしれない。ヴェーチルの場合もそうだったから」
死因を探る方法の一つとして、死者の記憶を辿る方法があるのだとウェリティは言った。
死者の記憶はフィルムが途切れたように、空白期間を挟むことが多く、その空白が死んだことを意味するという。
ルーアは約一年前ほどから、二つの夢をよく見ている。
一つはネルソン村のある少女の夢。もう一つは、夢か現実か区別がつかなくなるような不思議な実体験に近い夢。
空白期間を考慮すれば、死因と何らかの関係がありそうなのは後者の夢の方だ。
建物から逃げようとしているのに、なぜ逃げようとしていたのかは分からない、そんな夢である。これが本当に夢なのか、それとも記憶障害なのかは分からないが、日常生活に支障をきたすことがなかったため、ルーアは今まで誰にも話したことはなかった。母親にさえも。
ただ、これが死因と何か関係していたのかもしれないと思うと、少しだけ合点がいくような気がした。
これをウェリティに話すと、彼女は真顔で顎に手を添えた。
「その記憶について、あなたはどんな感情を持っているのか聞いてもいい?」
「……はい。これ自体が私の見た夢だった可能性もあるんですけど、思い出そうとすると不思議な感覚になります。私は混乱しているんでしょうか……」
ルーアが話しながら記憶を思い起こそうとすると、やはり逃げているところで記憶が途切れた。
感情とはまた別のところで、この記憶は嫌だという指令が頭に送られてきているような感覚なのだ。
小さな頃の記憶が鮮明であることが、なおさら不思議でならない。
「ルーア、話してくれてありがとう。嫌な記憶だけが抜けているということは、これが一種の記憶喪失である可能性も否定はできない。でも、前提としてあなたは死者。だから、逃げようとしていた記憶は現実で、それが亡くなった原因の可能性もあるでしょうね。ルーアは死者になってから時間があまり経っていないはずだから、約一年前に亡くなったと言われても納得いくわ」
覚悟していたとはいえ、死因が明かされそうになるというのは緊張する。
「念のためにあなたの家族構成を聞いてもいい?」
「今は母親と二人です」
「……そう」
ウェリティはそれ以上何も言わなかった。
だが、彼女のこの質問の意図がルーアにはなんとなく分かった気がした。
でも、それはこちらから訊くことでもない。
母親が死者である可能性など、話にすら出したくなかった。
「死者がこの街に存在している理由は分かりますか?」
ルーアは話題を逸らした。
「……いえ、残念ながら。私は死者について研究していると言ったけど、そういうことも含めて、今もまだ研究している段階なのよ」
そうか、とルーアは困ったような笑みを浮かべた。
ウェリティで分からないことを、自分が考えて分かるはずがない。
焦っても仕方のないことだと思いつつも、この先数年、数十年もこのままでいることは、今のルーアには耐えられそうになかった。
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