第五話 調査(1)

 ウェリティを研究室に残して、ルーアは二人の死者とともに校内へ続いていく薄暗い階段を上った。


 最初に目についた教室をちらりと覗いてみるが、既に生徒の姿はどこにも見当たらない。廊下にも生徒の姿はなかった。

 せいぜい居残っている教師たちの会話が聞こえてくる程度である。

 だが、それもよく考えてみれば当然であり、窓から見える空は随分と深く焼けた赤色に染まっていた。


「――やっぱり人はいないみたいだね」


 下級生の教室が並ぶ廊下の真ん中で、ヴェーチルが呟いた。

 この最上階のフロアが最後であり、何も収穫がなければ今日の調査はこれで終わりだ。

 そもそも、そんな簡単に死者に出会えるはずがなかったのだと、ルーアは納得しつつ小さなため息を漏らした。



 ルーアは既に諦め心で、校舎の東側から三つ目の教室、その小窓を覗いてみる。

 その瞬間、ハッと息を飲んだ。


「待って。この教室の中、人がいる……」


 男子生徒らしき後ろ姿をルーアの双眼が捉えていた。

 自席と思われる窓際に座り、たった一人で何やら書き物をしている姿がどこか異様で惹きつけられる。


 ルーアが扉を開けようと手をのばすと、背後からアルジントに腕を掴まれ止められた。


「……待て。大丈夫だろうな?」


 その声は小さく、わずかに緊張感を帯びていた。

 アルジントが慎重になる理由は、死者であるルーアも当然分かっている。


 死者か生者か見分けがつかない場合の対応のついては、アルジントの存在が何より重要になることは言うまでもない。

 そこで、その者が死者である確率が高いと判断された場合、相手の名前を聞く必要があるのだ。

 ただし、これはあくまで『死亡者名簿』と照合し、死者の共通点を探るための一つの手段に過ぎない。ゆえに、相手方に余計な疑念を抱かれる前に早々に立ち去ること――これがお約束になるわけだ。


 心を決めたルーアがそっと教室の扉を開けると、その男子生徒は驚いた様子で振り向いた。

 色白の肌に、表情はどこか儚げで、今にも消えてしまいそうな危うさを秘めている。


「すみません。ちょっと聞きたいことがあって……」

 ルーアの言葉に、男子生徒は穏やかな笑みを見せた。

「いいよ」

「その、私の友達がどこか行っちゃって。もしかして、見てたりしないかなと思って……」


 事前にアルジントに言われたとおりに声をかけてみる。

 あとは彼の出方次第だ。


「さっき一度だけ教室を出たけど、誰にも会わなかったよ」


 この返事が返ってきたということは、彼は生者である可能性が高い。

 仮に死者ならば、ルーアの背後に立つアルジントの姿も見えているはずだが、特に関心を抱いている様子もない。


 心なしか安堵して、ルーアは素の感情から苦笑を浮かべた。

「そ、そっか! 何だか邪魔しちゃってごめんなさい。それならいいの、ありがとう」


 何もなくて良かったと、胸をなで下ろした時だった。


「ねえ、その友達ってどんな子?」


 男子生徒の方から声をかけてきた。

 予想していなかった質問に、ルーアは一瞬だけドキンと恐怖を感じた。


 男子生徒は少し首をかしげていた。

 顔をこちらに向けているのに、視線はルーアではなく教室の扉付近――アルジントが立つ場所をじっと見つめているのだ。


 彼は死者かもしれないという緊張感が、ルーアの中に突然生まれた。


「……ね、ねえ、あなたの名前は?」

 これは念のための確認だ。

「え? ルークス・ベンだけど」

「わ、私はルーア・イージェル。どうもありがとう。その……また会ったら、よろしくね」

 ルーアは軽く手を振り、会釈した。


「……よくやった。急いで教室を出るぞ」

 アルジントが小声で指示した。


 彼の名前を聞けた今、あとはこの場から早急に退室するだけ――そのはずだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る